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7-3: A Nighttime School Adventure (夜の学校探訪)

「ちょっと、そこの」

振り返ると、燃えるような赤い髪が目に飛び込んできた。 

MA-1ジャケットを羽織り、ポケットに手を突っ込んで立っている少女――雷、燦華。

「……雷、燦華?」

名前を口にすると、彼女は薄く笑った。

「そ。やっぱり私って有名人なのね」

雷部隊を率い、大規模攻略戦でカギを手にしたプレイヤー。

そうか。日本支部に一時滞在しているのか。

「それで、その有名人が何の用だ?」

「案内人が必要なのよ」

雷はあっさりと言い放ち、俺をじろりと値踏みするように見た。

「案内人?」

「そう、あたしをエスコートさせてあげる。光栄に思いなさい」

その言葉には冗談の気配もなく、俺を「案内人」とだけ呼ぶ態度には、どこか高飛車な響きがあった。

「……どこへ行くんだ?」

「学校よ」

雷は腕を組みながら、あっけらかんと言った。

「学校? なんでそんなところに行く必要があるんだよ」

「だって、私、行ったことがないんだもの」

その言葉を聞いた瞬間、俺は何も言えなくなった。

あまりに淡々とした返答だったからだ。

「学校に忍び込むの、始業の時間まで、まだ一時間以上あるでしょ?」

雷は腕時計をちらりと見て、肩をすくめた。

「だから、行くわよ」

「何する気だ?」

「決まってるでしょ。忍び込むのよ」

彼女は楽しそうに笑い、軽く髪をかき上げた。

俺たちは廊下を静かに歩き、セキュリティの甘い裏口から外へ出た。

月明かりの下、影が長く伸びている。

周囲には人影はなく、遠くの自販機がかすかに点滅しているだけだった。

雷は歩幅を合わせるつもりもなく、軽い足取りで先を進んでいく。

その背中を見ながら、俺は彼女の言葉を思い返していた。

「ピーターパンになったら、もう現実の世界を出歩けなくなるでしょ?」

ピーターパン――戦場で生き残った最強のプレイヤーが、冷凍睡眠に入る。

それは名誉であり、同時に現実から切り離されることを意味している。

「矢神がいないいま、有望なプレイヤーたちがどんどんピーターパン化していく。たぶん、私の冷凍処置も、何か月か早まる。だから、そのまえにやりたいこと全部やるの」

彼女は歩きながらそう呟いた。

まるで、それが自分に訪れる運命であることを知りながら、それを楽しんでいるようにも見えた。

彼女はきっと認めないだろうが、緋野翠と同じように思えた。

「それで……その前に学校か?」

「そうよ。さっきも言ったけど、私、行ったことないの」

「……勉強はどうしてたんだ?」

「家庭教師がついてたの。十歳の頃には、情報工学の学士課程まで終わらせたんだから!」

「まじかよ……すげえな」

「でしょ!? 私ってやっぱ、天才なのよねぇ」

雷の声には哀しさがなかった。

ただ事実を述べているだけ――いや、それどころか、どこか楽しげですらあった。

学校の校門が見えてきたとき、雷は立ち止まり、小さくつぶやいた。

「これが学校……」

その声には、彼女の年齢に似合わないほどの冷静さと、ほんの少しの興味が混じっていた。

校舎の窓ガラスが月光を反射し、静かな敷地には風が通り抜けている。

遠くで虫の声がかすかに響き、現実の世界でしか味わえない静けさがそこにあった。

「なんだか、思ったよりも普通ね」

雷は首をかしげながらそう呟く。

俺はその横顔を見て、彼女がどんな気持ちでこの場所に来たのかを考えた。

「こんなとこに突っ立ってるとバレるぞ。ほら、急げ」

俺の言葉で雷は我に返り、俺たちは校門を静かにくぐり抜けた。

校舎内に足を踏み入れると、足音が静かな廊下に響いた。

教室を覗き込む雷の姿はどこか無邪気で、さっきまでの高飛車な態度が少しだけ和らいで見えた。

「これが教室ってやつなのね。案外狭いじゃない」

雷が机のひとつに腰を下ろし、天井を見上げる。

その仕草には、彼女が抱える特別な事情など欠片も感じさせない。

俺はそんな彼女を見て、ただ一言つぶやいた。

「……楽しんでるか?」

「当然でしょ。これが私にとって初めての学校生活だもの」

彼女はそういうと、たたっと駆けていき、手近な椅子に腰を下ろした。

「ね! どう? 生徒に見える!?」

その楽しそうな表情に、俺は少しだけ苦笑した。

「ああ、見えるよ」

「やっぱり!? あー、私ってなにやっても様になっちゃうんだから!困っちゃう!」

雷がどんな思いでここに来たのか、その答えはまだ見えない。

ただ、彼女が本当に楽しそうにしているのは確かだった。

「じゃあ次は、体育館に――」

「おいおいまだ回るのか?」

「当然でしょ? こんな機会ないんだから。それに、この時間なら誰もいな――」

だが、雷の声に重なるように廊下の奥から足音が聞こえてきた。

続けて「誰かいるのかぁ?」と間延びした声。

「まずい!雷、隠れろ!」

「え?え?」

俺は雷の肩を抱き、急いで掃除ロッカーに身を隠した。

そして、息を殺す。

用務員の朝の巡回が始まったのだろう。

俺がどうすべきか悩んでいると、雷が小声で笑いながら言った。

「これって、いわゆるピンチってやつね。やるじゃない、私を追い込むなんて」

「言ってる場合か!」

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