雷の低い声が静かなダイナーの空気を震わせた。
「白波梓は信じるな」
俺は掴んでいたコーヒーカップをテーブルに置き、眉をひそめる。
「梓を……なぜ?」
雷はテーブルに肘をつき、じっと俺を見つめてくる。
その赤い髪が朝の日差しを浴びて、奇妙な輝きを放っていた。
「なんで特級神徒が乗っ取ったのが結城翔だったのか。
そして、どうして白波梓がそれを見破れたのか」
その言葉に胸に冷たいものが流れ込む。
「どういう意味だ?」
「特級神徒にプレイヤーが乗っ取られるなんて、誰も予想できないことだった。それを彼女は一瞬で看破した。偶然だと思う?」
雷の言葉には、いつもの軽さがない。真剣な目が俺を射抜く。
俺は言葉を返せず、ただ彼女の言葉を反芻する。
特級神徒――それは上位存在に近い敵。
その標的が結城翔であったこと。
そして、それを最初に見破ったのが梓だったという事実。
「それに、いくら上級3体に加え、特級がいたとして、あの矢神臣永が発動の遅い神逐に直前まで気が付かないなんて変。なにか大きな陰謀が動いている。私ならそう考えるわ」
「……その陰謀に、梓が何か関係してるって言いたいのか?」
問い詰めるように言うと、雷は答えず、視線を窓の外へ向けた。
その沈黙が、彼女の言葉の重みをさらに増幅させる。
そのとき、ドアベルが軽やかに鳴り響いた。
「あれ~? 雷ちゃんじゃん! って、賢くんも一緒!?」
振り向くと、そこには緋野翠が立っていた。
明るい色の髪をなびかせ、無邪気な笑みを浮かべている。
「翠……なんでお前がここに?」
俺が問いかけると、翠は大げさに肩をすくめた。
「え~?だって今日は大型作戦明けの特別休暇だよ~? 賢くん、そんなことも知らないの?」
「そうなのか?初耳だ」
「あ~でもそっか~、賢くん転校生だもんね~知らなくても無理はないか~」
俺が呆れたように返すと、翠は雷の隣に立ち、にやりと笑みを浮かべる。
「それにしても、なんで雷ちゃんと一緒にいるの?もしかしてデート?」
「んなわけないでしょ」
雷が興味なさげに答え、翠を一瞥する。
その視線に気づいた翠が、楽しげに声を上げた。
「だよね~。でも、雷ちゃんが賢くんに行ってくれたら、郭さんの競争率が落ちていいのになぁ」
「あんたねえ……」
雷は眉をひそめ、明らかに不機嫌そうだ。
「ふふ♪まあいいや。隣座るね~♪」
「ちょ!なに勝手に!」
雷が声を上げたところで、再びドアベルが鳴り、今度は遠野美雪と水上凪が入ってきた。
「賢くん?」
遠野美雪が驚いた笑みを浮かべ、俺たちのテーブルに近づいてくる。
その隣には、水上凪が不満げな表情で立っていた。
「賢くんさー、女子ふたりと朝食なんて、いいご身分じゃない?ね、美雪」
「……はい」
「誤解だ、凪、美雪。このふたりとは偶然会っただけだ」
俺が言い訳じみた声を上げると、凪は腕を組み、軽くため息をついた。
「ま、私にはどうでもいいけど」
「ね~?ふたりも座った~?詰めればまだ座れるよ~?」
「あ、こら!緋野翠!私を押すなってば!」
翠が雷を押しのけ、ふたりを誘うように微笑むが、凪は口元を尖らせて目を逸らした。
すると、さらにドアベルが鳴る。
「あれ? 先輩方、なんでここに?」
今度は天草結衣が小さな紙袋を手に現れる。
結衣は俺を見ると、パッと表情を明るくし、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「結衣。なんでここに」
俺が尋ねると、結衣はぎこちない笑顔を浮かべながら答える。
「ああ、いえ、なんだか目が覚ちゃって……それと、そうだ。文房具も買いたかったので、お散歩がてら出てきたんです!」
「ふぅん」
と、俺が呟くと、翠が横から
「ねえ、結衣ちゃん、それってほんと~?」
と口を挟んでくる。
「ほ、ほんとです!」
「へ~♪でも、そろそろ来るみたいだよ~?」
翠の言葉に、俺は首をかしげる。「来る?誰が?」
すると、ドアが大きく開かれ、スポーツウェア姿の黒磯風磨が息を切らしながら現れた。
「……おい、なんだこの騒ぎは」
黒磯は首筋にうっすらとにじんだ汗をタオルでぬぐいながら店内を見回し、目を丸くした。
「あれ、黒磯……おまえこそ、なんで」
俺が訊ねると、黒磯は肩をすくめる。
「ここは俺の行きつけだ。休日はランニングしてから、ここで朝食をとることにしてる」
「なるほどね~♪」
それを聞いた翠が、にまにまとした表情で結衣を見る。
結衣は普段でも小さい身体をさらに縮こまらせ、美雪の陰に隠れるように座っていた
「まあまあ、せっかくだから座れば? ここはもう満員だから、あっちの二人席とかに」
「わっ」
凪が結衣をひょいと美雪の背から押し出す。
「いい。俺、汗かいてるし」
「へー、黒磯もそういうの気にするんだ」
「だまれ、水上」
凪が美雪を顔を見合わせ、肩をすくめる。
黒磯は何も言わずにカウンターの席に腰を下ろした。
「結衣ちゃん!ん-!んー!」
翠がジェスチャーというには大げさすぎる素振りで、黒磯の横を顎で示した。
結衣は顔を真っ赤にしながら、それでも小さく頷いて、黒磯の横に腰を掛ける。
雷が窓枠に身を預けながら大きくため息をついた。
「もー、サボりが台無しじゃない」
「……だな」
俺は肩をすくめつつも、目の前の光景に少し戸惑いを覚えた。
仲間たちの賑やかな雰囲気の中、雷の言葉が心の奥に静かに響いていた。
「白波梓は信じるな」
その真意を探る暇もなく、ダイナーの中は笑い声と軽口が交錯していった。