ヒュウウウウ……
渓谷の風が静かに吹き抜ける。
俺たちはひたすらに駆けていた。
「美雪は大丈夫なのか?」
秋月一馬が息を切らしながら問う。
「……知らないよ」三輪蓮が短く答えた。
「大丈夫。彼女は速い」浮水が言う「ま、僕ほどじゃないけど」
遠野美雪は、速い。そして、強い。
彼女がやられたとは思えない――そう信じたい。
だが、俺たちは後ろを振り返る余裕などなかった。
今は、前へ。
黒磯風磨と水上凪を取り戻すために。
「待って」
浮水が足を止めた。
その動きは滑らかで、まるで風が止まるかのように静かだった。
「……何か聞こえるね」
彼は微かに首を傾げると、目を細め、周囲の気配を探る。
俺たちは一斉に耳を澄ませた。
ギシ……ギシ……
かすかな音が風に乗って流れてくる。
「……足音?」
俺が呟くと、蓮が首を振った。
「いや、違う」
彼は慎重に地面を踏みしめながら、渓谷の岩壁を見上げた。
「音の反響がおかしい……これは、何かが"上"にいる」
「上だと?」
一馬が眉をひそめる。
「確かに……まるで、"張られた糸"の上を何かが動いているような音だ」
浮水はゆっくりと双閃刀を構えた。
「罠だね」
「ガシャアアアッ!!!」
突如、渓谷の岩壁が崩れ、俺たちの目の前に巨大な蜘蛛の巣のようなものが広がった。
「なっ……!?」
俺はとっさにガン・ダガーを構え、仲間と距離を取る。
ギシ……ギシ……
蜘蛛の巣のような構造の糸の上で、何かがゆっくりと動く音がする。
「……どうやら、次の敵が来たようだね」
浮水が静かに呟いた。
「ようこそ、この俺――
声が響いた。
頭上を見上げると、渓谷の岩壁に張り付くようにして、一人の男がこちらを見下ろしていた。
長い髪を揺らし、薄笑いを浮かべた神徒。
「おまえらも連続通過クエストなんだろ?」
「……も?」
俺が顔をしかめる中、広目は余裕たっぷりに笑いながら、指を鳴らした。
すると、蜘蛛の巣のような糸が俺たちの周囲を覆い始める。
「ここでお前らは、俺が片付ける」
「クソ……!」
一馬が拳を握る。
「また足止めかよ!」
「……しかたないね」
浮水が小さく息を吐いた。「こいつは、僕がやるよ」
「ははっ!おまえは賢い」
広目が、浮水に向かって指を差す。
「おまえ、俺が四人衆の中で一番強いと見切ったな?」
「うーん……別に」
浮水は静かに言った。
「君が"一番早く倒せる"敵だから、僕が残るだけ」
「……は?」
広目の笑みが消えた。
「僕たちは黒磯を追うために、できるだけ時間をかけずに突破する必要がある」
浮水は淡々と続ける。
「君の戦闘スタイルを見る限り、"戦況を分析してデータを蓄積する"タイプだね。なら、戦いが長引けば長引くほど君の優位になる」
「つまり――」
双閃刀を構えながら、浮水が言い放つ。
「短期決戦に持ち込めば、僕の勝ちだ」
「………………あ?」
広目が、今度は完全に表情を歪めた。
「俺を"最も倒しやすい"と判断したってか?」
その声は、笑っているようで、怒りが滲んでいる。
「おいおいおい……マジで言ってんのか?」
「うん」
浮水は一切の迷いなく答える。
「君はデータ収集型で、敵の動きを把握することで戦闘力を上げていく。でも、それって"相手がデータを与えなければ勝てない"ってことだよね?」
「……ッハハハハ!!!」
広目が爆笑した。
「いいぜ……いいぜ……お前、相当気に入った!」
彼は巻物を広げると、そこに文字を綴り始めた。
「書き記された戦場の記憶は、お前の動きを全て封じる」
「……データ管理型の敵か」
浮水が呟く。
「だったら、こっちも"情報を与えない"戦い方をするだけ」
彼は静かに笑い、双閃刀を構え直した。
浮水は、後ろを振り返り、仲間たちを見た。
「ここからは、副リーダーに任せるよ」
「……俺か?」
蓮が驚いたように眉を上げる。
「うん、賢くんも一馬も戦闘タイプだからね。冷静な判断ができるのは君だけ」
浮水は淡々と言った。
「後の指揮は任せた。僕はここで、この敵を片付ける」
「……わかった」
蓮は短く答え、エレクトロブレードを握る。
「行くぞ!」
俺たちは浮水を信じ、渓谷を先へと進む。
だが、その背後で――
ギシ……ギシ……!
糸が鳴る音が聞こえた。
「さて、お前はどこまで耐えられる?」
広目と浮水の戦いが始まる――。