空気が震える。わずかな音と共に、何本もの細い線が迫ってくる。
僕は双閃刀を水平に構え、膝を軽く曲げる。
風の流れ。振動の間隔。気配の密度。
見える。感じる。斬れる――!
「ッ!」
刃が閃く。右、左、下段から突き上げる糸を正確に断ち切る。
だが次の瞬間、隠れていた糸が空中で軌道を変え、再び僕を狙ってきた。
「……追尾? いや、違う」
回避しつつ距離を取る。
糸は生きているように宙を舞い、僕の進路を先回りしてくる。
「"動きの予測"か……」
上から声が響く。
「ふふ、冴えてるじゃないか」
岩壁に張り付いたまま、広目が筆を走らせる。
その軌跡が空中に軌道を刻み、それが糸となって現実に作用していく。
「お前の動き、息づかい、反応速度。すべて俺の“記録”に刻まれてる。つまり、対策済みってわけさ」
「……なるほど」
僕は視線を走らせる。
この空間全体が“記録装置”のようなものだ。
無数に浮かぶ呪符。複雑に張られた糸。そこに刻まれた細密な筆跡。
「"美しい構成"だね」
「お褒めにあずかり光栄」
広目は笑みを浮かべたまま、巻物にさらさらと筆を走らせる。
「でも、芸術ってのは――完成してから価値がある」
その瞬間、周囲がうねった。
まるで蜘蛛の巣が呼吸するように、糸が蠢く。
「行くぞ」
僕は一歩、踏み出した。
右手の閃刀を逆手に、左は正統の構え。
呼吸を整え、地面を蹴る。
「双閃ノ一・波紋断!」
前方へと走る。風を切る音とともに、鋭い斬撃が糸を切り裂く。
だが――
「"予測済み"」
広目の呟きと同時に、斬った糸の背後から別の線が現れ、足元を絡め取ろうとする。
「くっ……!」
跳躍するが、空中にも糸が展開されていた。
「空中は死角じゃない」
「なら――こちらも」
空中で身をひねり、双閃刀を交差させる。
「双閃ノ二・燕返し!」
二段目の刃が描く刃風が、広目の予測を断ち切るように空間を払う。
糸が砕け、広目の防御にわずかな乱れが生じた。
「へえ……やるじゃないか」
「君の“記録”は、過去の積み重ねに過ぎない。未来は、僕が決める」
「なら、その未来を塗り潰してやるよ」
広目の筆が再び奔る。
「“天蓋情報陣”」
瞬間、空が黒く染まった。
――糸の雨。
無数の細線が空から降り注ぎ、避けることすら許さない密度で僕を包囲する。
「なるほど、そう来るか」
僕は刀を一度納める。
構えを低く、足を開き、指先に集中する。
「双閃ノ三・霞陣刃」
空中で交差した双閃刀が、螺旋状に回転しながら周囲を切り裂く。
回転斬撃が周囲の糸を吹き飛ばし、わずかに生まれた空間へと跳び出す。
「っ、まだ……!」
抜けきれない。
一筋の糸が肩に絡む。
――次の瞬間、電流のような衝撃が走る。
「ぐっ……!」
脚が痺れる。反応が遅れた。
その一瞬を逃さず、さらに別の糸が僕の手首に巻きついてくる。
「ふふ……ほら、言っただろ?」
広目の筆が止まる。
「捕らえられるのは、時間の問題だって」
僕の片腕が引かれ、次第に動きが鈍る。
「このまま、すべてを奪われる」
「……なら」
僕はもう片方の閃刀を、逆手に持ち直した。
「その“記録”を、リセットしてやる」
「ほう?」
「双閃ノ四・絶影穿!」
刃が一閃。腕に巻きついた糸ごと、肩口を浅く斬り裂く。
「な……!?」
鮮血が飛ぶ。
だが、それで腕の自由を取り戻した。
「“捨てる”判断は、記録できなかっただろ?」
「っざけんなぁ……!」
広目が初めて怒声を上げる。
「ここで止める!」
筆が走る。呪符が舞う。空間が歪み、すべてが敵に変わる。
「“動く”ことが、すでに罠なんだよ!」
「ならば――」
僕は地面を蹴る。
「“止まらずに、斬り続ける”!」
双閃刀が閃く。両腕に宿る力を最大限に解放する。
「双閃・連式――断絶十字!」
左右から振るわれる斬撃が交差し、前方の糸陣を一気に断ち割る。
「グアアアアアア!!」
広目の左腕が切り裂かれ、筆が地に落ちた。
「な……なんだよ……!」
彼の呟きが、敗北の予感に染まる。
「俺の記録は……完璧だったはず……!」
「完璧な記録は、あくまで“過去”のものさ」
僕は静かに刃を下ろす。
「未来は、書かれてない」
広目は膝をつき、肩を震わせる。
「……まだだ……まだ終わらねぇ……」
「終わりだよ」
そう言い切った時、彼の目にふたたび炎が灯る。
「最終記録――“命ノ書”……!」
巻物が、赤く発光する。
僕の背筋に、冷たい戦慄が走った。
「やれやれ……ほんと、しつこいね」