俺と秋月は、岩場の細い斜面を駆け抜けていた。
風は強く、足元は不安定。だが、立ち止まっている暇はない。
「もうすぐだ。黒磯たちはこの先のはずだ」
「おう!」
後ろから力強い声が返ってくる。秋月は、俺の背を追いながらもまったく息を乱していなかった。
ふと、風の中に違和感を覚えた。
「止まれ!」
俺は思わず叫んだ。
地面が揺れ、轟音と共に土煙が巻き上がる。
その中から、黒い影が現れた。
「……ちっ。結局誰も足止めできてないし。ま、あの程度じゃ当然か」
鋭く吊り上がった目に、無表情の仮面のような顔。
四人目の特級神徒――持国。
「道をあけろ」
俺がそう言うと、持国は微笑んだ。目が笑っていない。
「誰に口きいてんの?」
その声が落ちると同時に、地面に光が走った。
「……!」
秋月と俺は同時に飛び退く。
足場が斜めに裂け、重力が崩れかけた。
「灰島、あれ……マジでやべーやつだぞ」
「わかってる」
持国はゆっくりと歩いてくる。攻撃の気配すら見せないまま、場を完全に支配していた。
「やれやれ……一人ずつの方が倒しやすいと思ってたけど」
持国が軽く笑った。
「二人一緒に殺せるなら、それに越したことはないよね?」
「灰島、オレがやる」
「……は?」
秋月が俺の前に立った。
「オレ、ああいう気取ってるやつの顔面に一発いれたいと思ってたんだよ」
「待て、でもここは――」
「時間ねえよ!」
秋月の声が、いつになく真剣だった。
その目には、怖さも迷いもなかった。ただまっすぐに、前だけを見ていた。
「オレが囮になるっつってんだ! おまえは先に行け!」
「……!」
その瞬間――秋月は足元の岩を砕いた。
崖の縁が崩れ、一気に土砂と共に滑落していく。
「秋月!!」
「行け、灰島っ!!!」
咄嗟に手を伸ばすが、届かない。
秋月と持国の体が、一緒に崖下へと落ちていった。
「……っ!」
握り締めた拳に、爪が食い込む。
それでも、立ち止まるわけにはいかなかった。
俺は、走った。
* * *
ゴロゴロと転がり、何度も岩にぶつかって、ようやく止まった。
全身が土まみれで、肋骨が何本か折れていてもおかしくなかった。
「いってぇ……っ!」
呻きながら、なんとか体を起こす。
その視線の先――
奴が、いた。
砂で汚れた服の下から、歪んだ笑みだけが、不気味に浮かんでいた。
目が合った瞬間、背筋をつうっと冷たいものが這い上がる。
体が、勝手に震えていた。
「わざわざ、引き離すとは……愚かだね。おまえ一人で俺に勝てるとでも?」
口調は静かだが、そこには確信めいた殺気が混じっていた。
まるで、俺がこの場にいることすら"筋書き通り"だと言わんばかりに。
俺は、拳を握る。けど、指先が冷たくて力が入らない。
膝が、今にも笑い出しそうだった。
(ビビってんのか、俺……)
情けなさと、悔しさで、奥歯を噛んだ。
でも、目の前の“それ”は、確かに格が違った。
今までの神徒とは比べ物にならない。
まとっている“気”だけで、膝が砕けそうになるほどだった。
「愚かで結構」
なんとか、口だけでも強がって言ってみせた。
でも、喉が渇いて声が震える。
バレてないかと、無駄に不安になる。
「タイマンの方が、燃えるんだよ。俺はな」
視線が交錯する。
持国の瞳は、まるで深淵みたいだった。
感情も、情けもない。ただ、こちらを“削ぐ”ことだけを目的とした目。
俺は一歩、後ずさりそうになる足を、なんとか踏みとどめた。
駄目だ。ここで引いたら終わりだ。
――
――
脳裏に、奴らの顔が浮かんだ。
あいつらなら、きっと今の俺を見て笑うんだろうな。
「なんだよ一馬、ビビってんの?」
「らしくないっすよ! 一馬さん」
――うっせえ。わかってるよ。
俺は、自分の頬を思い切り叩いた。
バチンッと乾いた音が響く。
痛みが、熱をくれた。
体の奥から、何かが目を覚ました気がした。
「ビビるのも、ここまでだ」
拳を、強く握る。今度はしっかりと、力がこもっていた。
「さあ、お手並み拝見といこうか」
持国が、不気味なほどゆっくりと歩き出す。
まるでこちらを“じっくり壊す”つもりの、いやらしい足取りで。
だが、もう俺の心は決まっていた。
やるしかない。やらなきゃ、仲間の元に戻れねえ。
「こっちのセリフだ。――鉄仮面!」
俺の咆哮が、荒野に響いた。