「ありがとうトゥルト・ナツ。君のお陰で私の大切な
デュロはナツの手を取り、指先に口付けをしては優しげな表情を向けて微笑む。
「ひゅっ」
感謝を伝えられて終わるだろうと思っていた彼女は、言葉を発する事はできずただただ顔を赤くして、ぎこちない礼を行って三歩下がっていく。
(ひゅ?まあいいか)
「チマの救出に向かってくれた三人と、この雨の中チマを探し続けてくれたブルード・リン、そしてトゥルト・ナツと行動を共にしていたアーロゥス・コンにも感謝する」
一同は
「然し…本当に公にしなくていいのか?」
「…」
「すみません、ナツ様は夢見心地で現実との区別が付いていなさそうなので、私の方から説明をいたします」
代理としてコンがナツの意思を伝えていけば、その場にいた一同は目を丸くして彼女へ視線を向けた。チマのことも、親の派閥が異なるレィエのことも気に食わないが、デュロの敬愛する叔父と従妹の為に、二人の立場を崩さないよう今回の件にナツが関わっていないことにする、その意志と慕情に驚いたのだろう。
チマに対して悪口陰口を叩き、勝負を仕掛けてみたりと何かとお騒がせなナツだが、根は真っ直ぐな娘である。
「その意気に報いれるよう、非公式に礼を用意する。…とトゥルト・ナツへ伝えてくれ」
「あっはい。それでは私共はお先に失礼します。行きますよ、ナツ様」
「…わかりましたわ」
意識のはっきりしていないナツは、コンに連れられて部屋を後にしていった。
「それで…チマの容態はどうなのだ?」
「目立つ外傷は私が治癒しましたが、川に流されて雨に打たれた影響か、大分身体が弱っているみたいで。暫くは医官が付きっ切りで様子を見るとのことでした。傷口から
「未だ安心はできないということだな。…無事であってくれチマ。よし、お前たちも汚れているし、雨の中での活動だ。身体を冷やしているだろうから、この場を離れて休息としてくれ。本当に、チマを救ってくれてありがとう」
「長く仕えてきた大切な方ですので」「護るべき主ですので」「掛け替えのないお友達なので」「。」
三者三様の返答を行っては、ゼラ以外の面々は部屋を後にし各々の部屋で身体を清め、シェオはチマの部屋の外で無事を祈りながら一夜を過ごしたのだとか。
―――
「はぁ…、折角の予行演習に演奏の練習、一番楽しみにしていた催しは中止。もう…
翌々日、医官の治癒魔法と看護により腹を立てられる程度に復活したチマは、宿の一室でパンケーキを食んでいた。
マフィ領を震撼させた自然公園の穢遺地は、派典ショウビを討伐される前後から範囲が収縮し始めて、公園内に残っていたショウビは第二第四騎士団及びマフィ領防衛騎士団の活躍により殲滅。綺麗な大自然は荒れ放題になってしまったが、これから復旧作業を行って来年度を目処に再びの開園を行うとのこと。
主犯格とされる笹耳族は三人とも死亡していたものの、身元を照会できるだけの持ち物を有していたため、東大陸南部に位置するフルーフナ王国へと抗議声明が出されることとなる。…真なる主犯は統魔族の『義憤』なのだが、それを公表すること無く、ドゥルッチェ王国の地位を下げないために断固とした態度をとらざるをえない。
「まあまあ、美味しいパンケーキは食べれていますし」
「…、美味しいけどもリンたちは昨日帰っちゃって、一人で食べてると寂しいのよ。シェオ、ビャス、それと居残ってくれた騎士の皆、今直ぐパンケーキを作ってもらってきて!私は誰かと一緒に甘味を楽しみたい気分なの!」
「「はいっ!」」
シェオだけ残って、他の者たちは大急ぎで食堂まで下っていき、事情を説明してはパンケーキを料理人に焼いてもらう。いくらか我儘な態度ではあるが、デュロを護るため身を挺し安全に撤退まで導いた立役者たるチマの指示であれば従わざるを得ない。料理人へ頭を下げて急ぎの仕事をお願いしていた。
「…私は大丈夫だから、そんな悲しそうな顔をしないでシェオ」
「お嬢様が、お嬢様がいなくなってしまったら私はもう…」
「大袈裟ねぇ。まあでも迷惑と心配を掛けたことには変わらないから謝っておくわ、ごめんね」
「大袈裟なんかではありませんよ、私は生涯をお嬢様に捧げようという覚悟でこの職に就いているのですから」
「なぁにそれ?他の女の子相手だったら
「~っ!!!?」
思ってもいなかった位置からの自爆に、シェオはたじろぎ顔を赤く染め上げた。
「でもシェオねぇ」
「…」
「悪くないかも」
「へ?」
「婚姻相手にってことよ。私とアゲセンベ家の事を一番に考えてくれて、派閥も完全にこっち。なにより私のことをしっかり見て、今まで共に過ごしてくれたのだから十分素質アリね」
「。」
もはや鯉のように口をはくはくさせるだけの人形と化していたシェオだが、かろうじてチマの言葉は聞き続け。
「今直ぐにとは言わないわ、私が卒業するくらいまでには返事をちょうだいな。市井出身で私の夫になるということは、必要なお勉強が沢山あるわけだしお稽古ごとも課せられる。さっきに言ったみたく、真の意味で『生涯を捧げる覚悟』が必要になるのだから」
誂うような表情ではなく、真面目そのものの鋭利な刃物のような相貌に、シェオは一度息を呑み。
「時間を…頂きたいです。お嬢様、いえ貴女の隣に自身と実力を培うだけの時間を」
「ええ、待っているわ。シェオのことを。…考える時間でなくて培う時間というこは、婚姻は受け入れてくれるということでいいの?」
「はい。…尊敬するアゲセンベ・チマ様の傍らに有りたいので」
「へぇ、ありがと。私は好きよ、何時も隣りにいてくれるシェオの事がね」
シェオの秘めるものとは少し異なる好意を正面から受けて、彼は「外の空気を吸ってきます」と足早に部屋を後にした。
(昔から緊張しいわよね)
(なんで私は「好き」の一言も言えないのですか…。今更お嬢様がお言葉を覆すことなんてありえませんから、好意を伝えたところで関係が崩れてしまうことなんてありえないのに、まったく)
「惚れた弱み、ですかね」
他人には見せられないほど顔を真赤にしたシェオは、全身を体毛で覆われた夜眼族の事を羨ましく思いながら、夏の風に当たっては呼吸を整えていくのであった。