派手に埃が舞っていた。
目がしばしばするし、耳もキーンと鳴って、喉にも色んな刺激が刺さる刺さる。
「けほっけほっ!? あ、あのさぁ! もうちょっと穏便なやり方だと思ってたんだけど!?」
舞い散る粉だか煙だかを振り払いながら、ひっくり返したベッドから頭を出す。
音と衝撃で想像はついていたが、牢とは思えないほど豪奢だった部屋は、嵐が去った後のよう。
格子は残っていても壁は見事に木っ端微塵。衝撃を受け止めたベッドには、壁の破片が幾つも刺さっていた。
だというのに、老人は呆れたように溜息を吐く。
「キャンキャン騒ぐんじゃねぇ。覚悟できてたんじゃねぇのか」
「できてる! できてるけど、いきなり壁を吹き飛ばすとは思えなかったって言うか、そもそもどうやったの!?」
「外壁を走ってる庭園向けの蒸気管には、ちょっとばかしの細工があってな。檻を作った奴の悪戯さ」
吹き込む冷たい夜風を前にして、どこか男は懐かしそうに笑っていた。
底が知れないとはこういうことを言うのだろう。きっとそれを教えてもらえる日なんて訪れない。
「悪趣味な知り合いだね……それで、ほんとに大丈夫?」
「構造体支持用のワイヤが人の体重くらいで切れるこたぁない。やれるかどうかはお嬢ちゃん次第だ」
投げ渡されるベッドの破片。否、多分こういう事態を想定して作られていたであろう、ベッドの金具に偽装したフック。
壁に空いた大穴から外を見れば、非常灯に照らされる太いワイヤも見え、何をさせようとしているのかは一目瞭然と言ったところ。
色々言いたいことはあった。ワイヤが切れるより、そもそも安全に減速できるのかとか。誰か今までに試した奴は居るのかとか。
けれど、他に方法がないことは明白で、だから私は何より気になった疑問だけを口にした。
「……お爺さんはどうするの?」
「お嬢ちゃんが気にする必要はねぇ。こっちにはこっちの迎えがあんのさ」
「急げ急げ! 天空牢の壁が破られてるぞ!」
ドカドカと響いてくる足音に、今更かと老人は鼻を鳴らす。
「さぁ行きな。教えられることは全部教えた。何を犠牲にしてもやり遂げる覚悟が揺らがんのなら、猶予はねぇぞ」
背中を押されて、壁の穴から外に出る。
眼下に広がる景色は工場エリアの僅かな灯りのみ。ワイヤの付け根すら暗闇に覆われた中で、私は1つ大きく息を吸いこんだ。
「……色々ありがと。やってみせるよ」
覚悟を決める。誰かに運命を決められるくらいなら、自分で選ぶのが私のやり方だと。
ワイヤに引っかけたフックを握りしめ、静かに足を床から離す。
一気に加速する身体。唯一自分を支えるフックは、小さく火花を散らしながらワイヤの上を滑走していく。
悲鳴なんて出ない。冷たい風は気持ちよく、久しぶりに感じた自由の空気を肺一杯に吸いこんで、長い髪の毛も暴れさせたまま下へ下へ。
この勢いのまま何かにぶつかれば、まぁ怪我では済まないだろう。もうそれでもいいか、なんて吹っ切れたように思い始めた頃、暗闇ばかりだった先にぼんやりとした明かりが見えた。
「あれって……そういうことっ!」
白い塊が乗ったコンテナ。いつからそこに留置されているのか知らないが、多分これも老人の計算の内だろう。
あるなら先に言ってほしかったが、恨み言を考える余裕すら私には残されていない。ただタイミングを計って、勇気を振り絞りフックから手を離し、同時に体を丸めた。
「もがっ」
肌に擦れる柔らかい衝撃。派手に崩れる白い塊は、想像通り洗濯された布地の山だった。
自分の身体が特に怪我をしておらず、意識もハッキリしていることを確認し、手足をバタつかせて顔を上げる。
どうやら私は、そう深い所までは沈まなかったらしい。ポンと音が出そうな感じに布の中から視界が開けた。
「ふぅ、結構楽しかった――けど」
崩れた布山は大きく、当然そんなことになれば作業員たちの注意を引くのは必至。
事実、腰を抜かした者から壁に隠れた者まで、驚いた幾つもの目が私のことを沈黙のまま見つめていた。
「あー……あはは、邪魔してごめんね? お仕事お疲れ様です。それじゃっ!」
布の塊を転がるように下り、ぺこぺこと頭を下げつつ、私は繊維倉庫らしき建物から駆けだした。服に布切れがいくつか挟まっていたが気にしない。
まだここは中層なのだ。上層の混乱から追手を撒くには近すぎる。
一刻も早く下層に。あるいは、牢人の言った通り。
『上手く降りられたら?』
『上層の産業区の東端を目指せ。色の違うダストシュートがあるはずだ』
『それは?』
『都市外のリサイクル施設に繋がってる。尤も、大昔に使われなくなった廃墟だ。覚えてる奴も居るまいよ』
走りながらため息が出そうになった。
コラシーに暮らしたのは所詮数週間程度。土地勘なんてほとんどある訳もないのに、咄嗟にどっちが東かなんて判断できるものか。
これで中央の目抜き通りに東西南北の案内がなければ、どうしようもなかったかもしれない。
ロコモのクラクションが響き、その中央をのっそりと圧力式の路面鉄道が走っていく。
――
人ごみに紛れても、異国人である私の姿は間違いなく目立つ。なら公共交通でも使わないよりは、と考えを巡らせていた矢先。
「ひったくりだァ! 誰かそいつを止めてくれ!」