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第61話 運鈍根

「この音――フン、縁ってのは怖ぇな。あのガキにゃ勿体ねぇ女だったが」


 目が見えなくなれば、他の感覚が強くなる。俺の場合、それは特に耳だったのだろう。

 懐かしい駆動音。蒸気の漏れる音。多少改造されてはいるらしいが、それでも自分の耳と記憶を誤魔化せるほど中身は入れ替わっていないらしい。

 もう少し浸っていたい気分ではあった。しかし、どうにも俺の周りには無粋な連中が多いのだろう。

 光を失って久しいというのに、遠慮のない足音はどれくらいの距離と人数かを測るには十分すぎた。


「全員その場を動くな!」


「到着まで10分か。上層の公安局が聞いて呆れる」


「壁を破ったのは貴様か」


 銃を向けられる音。いや、こんなもの音がなくとも気配だけで十分わかる。

 脱獄を企てたとなれば、自分を亡き者にする理由としては十分だ。ホンスビーの思惑がなんであれ、上層部としてはむしろチャンスと見るはず。

 だが、もう俺に挙げてやる両手は必要ない。


「随分な言いがかりだ。何年もこの牢に居た奴が、どうやって外の蒸気管を破裂させられる? インフラの設計ミスだろ」


「……隊長、女の方が居ません」


「そう遠くへは行けないはずだ。直ちに追跡部隊を編成しろ。目標の生死は問わん」


「随分過激なことを言うじゃねぇか。嬢ちゃん、中々いい女だったぜ?」


「おい動くんじゃない!」


 ゆらりと前へ出た。たちまち、鋭い殺意がこちらへ向けられる。

 それがなんだと言うのだろうか。こんな若造共程度の殺意に。


「悪ぃが、俺もいい加減この部屋には飽きちまった。役目も済んだ。後は自由にさせてもらおう」


「指示に従わない場合、この場で射殺する。脅しではないぞ」


「なら、1歩遅かったな」


 冷たい夜風に混ざって、熱を帯びた空気が混ざりこむ。

 次の瞬間、俺の背後に凄まじい威圧感が立ち上がり、目の前にあった公安局の気配が一斉に退いた。


「ちゅ、中型クラスのスチーマン!? 一体、どうやってこんな上層に!?」


「こ、後退しろ! 壁に身を隠せ!」


 ああ、懐かしい匂いだ。熱された鉄と油、そして蒸気の香。

 俺も本来あるべき場所へ帰る時が来た。ようやく、許される時が。

 差し出されたマニピュレータを足で探りながら、静かに鋼の掌の上に立って振り返る。


「教えといてやるぜ若ぇの。多層都市ってのは増設に増設を重ねた迷宮だ。地図が全てだなんて思うなよ」


 吐き捨てたセリフを最後に、機体はふわりと宙を舞った。壁面に打ち込んだアンカーチェーンを頼りにしながら、コラシーの壁面を跳ぶようにして下っていく。

 そうして都市の外、暗がりの中へ降り立った時、ようやくその中身が顔を出した。相変らず操縦は上手くなっていそうにないが。


「カッカッカ……久しぶりとはいえ、随分派手にやったなぁ。仇討ちのつもりかぁ?」


 最後に聞いた時よりも、また一段としわがれた馴染みの声がおかしそうに笑う。


「それは俺の仕事じゃねぇ。どう使うかは、若い奴らが決めることだ」


「違いねぇやぁ」


「お前も随分と老けたな機械屋。どうするつもりだ」


「帰るに決まってんだろがぁ。約束だから無理を聞いたが、こんところ耳は遠いは腰は痛ぇわでたまらんのだぞぉ」


 枝のような手に導かれ、俺は静かにコックピットの中へ腰を下ろす。

 身体に馴染む機体は注文通り。あるいは、俺にとっても奴にとっても、最後の納品になるかもしれない。

 そう考えれば、最高の出来だろう。


「次に会う時は墓ン中かもな」


「おい、メリーアンの嬢ちゃんには挨拶せんのかぁ?」


 脳裏を過る赤いドレス。だが、もう俺は必要ない。


「……アイツももうガキじゃねぇんだ。何も知らねぇ泣き虫は卒業してるだろ」


 あいつが最後まで縋ったのは俺もよく覚えている。元々は不得意だった社交の世界へ身を投じ、オリゾンテとして大きな看板を掲げられるようになっていることも。そうして得た地位や立場の目的が、自分を救う為にあったこともだ。

 フッと鼻を鳴らした俺に、機械屋はやれやれと言った様子でため息を吐いた。


「伝言なら聞いてやるぜぇ? 覚えてられりゃあ、だがなぁ」


「必要ねぇさ。お前が戻れば、伝える必要のあるもんは伝わる」


「カカッ、墓の前で嫌味言われても知らんぞぉ」


「上等だ」


 機械屋の気配が静寂の中へ消える。

 いつか託された未来への芽は若きに渡り、自分に求められた役目は終わった。後はやりたいようにやるのみ。


 ――約束は果たした。喜べ、戦争の中でアンタらが夢見た新しい未来は、ちゃんと芽吹いていたようだぞ。



 ■



「やーっぱ大騒ぎになってらー」


 貨物駅片隅の薄にある汚い酒場のテラス席で、タムは新聞の一面を飾った記事を眺めながらやれやれと肩を落とす。


「天空牢の壁が吹き飛んだのは、老朽化した蒸気配管の破裂が原因、ねぇ?」


 机にしなだれるような格好で、メルクリオは物憂げに奇妙な色のカクテルをすする。

 爆発音はコラシーの中へ広く響いていた。少なくとも、西側地区の人間は全員が大なり小なり音を聞いたことだろう。

 都市の外壁を、それも一層堅牢な牢の壁が破れたのだ。圧力爆発としてもかなりの規模だったはず。


「偶然にしちゃできすぎてるよね。まぁ、サテンならなんかしてそうではあるけど」


「未来予知でもできないと無理無理。なんなら誰でも入れる場所じゃないし、そもそも高層の外壁配管よ? 小細工の方法なんて想像つかないワ」


 それもそうか、とタムは唸る。

 しかし、あの時間はメルクリオが読み上げた暗号とほぼ一致する。これがサテンの脱走手段だという確証は無いが、他に遙か高層の天空牢から逃げ出せる方法があるとも思えず、ならば無関係とも思えない。


 ――あり得るとしたらなんだろう。コラシーのインフラ関係者? それも設計に関わったような人が絡んでる? サテンの人間関係って一体?


「社長ぉー!」


 手を振りながら駆けてくる男性の姿に、タムは陰謀的な思考から引き戻される。


「使い走りご苦労! どーだった?」


 ひいふうと息を切らすサミュエルは、送り出す際に再々急かされたからだろう。汗をボトボト垂らし膝に手をつきながら、報告ゥと力のない声を出した。


「オールド、ディガーについて、は、昨日の夜、コラシーを出発して……ぜぇ……以降、戻っていない、そう、です……ふぅ」


「だろーね。まぁ、どっかの信号所とかで隠れて、貨車に乗せるとかじゃない?」


 道中の事情は分からない。だが、1つは確信に至った。

 ヒュージはサテンと合流している。2人は上手くやったのだ。

 とはいえ、それは手放しで喜べることでもない。国法に照らせば、脱獄犯とその幇助ほうじょに他ならず、彼らは揃って都市の敷居を股げなくなったようなもの。

 ほとぼりが冷めるまで、あるいはもう二度と会えないかもしれない。そう思うとタムは、自身のお腹あたりから、寂しいような気持ちが込み上げてくるのを感じていた。


「あら、防衛隊」


 メルクリオの声にはたと顔を上げる。

 細められた視線の先には二列縦隊の一団が、どこか物々しくなりきれない雰囲気で軍用貨物列車へ向かい進んでいるところだった。


「なんでしょう? 定期訓練の時期とはズレますが」


「ちょっと聞いてくる」


 情報収集は商人の性だ。特に人が多く動くとなれば、合わせて大きな金も動くもの。

 今のアパルサライナーには先立つものがある。ならばなおさら、ここはドカンと稼げるタイミングだとタムは考えた。


「ねぇねぇ兵隊さん、これ何の出撃? もしかしてコラシー、どっかと戦争すんの?」


 彼女に捕まった軽い雰囲気の兵士は、一瞬怪訝そうな顔をしたものの、小柄な彼女を子どもと見違えてか、すぐにその表情を緩めて見せた。


「ハハッ、まさか。第二軍団の特別演習だよ。鉄道信号所の防衛及び、治安維持訓練って奴」


「コラそこぉ! 私語を慎め!」


 たちまち飛んでくる怒声に、いかんいかんと兵士は軽く手を振ってから背筋を伸ばし直す。

 それを頑張ってねぇ、なんて気の抜けた声と共に見送ったタムは、兵士よりなお渋い表情を作ってテーブルへ戻ってきた。


「……あの感じ、多分鉄道を押さえるつもりだ。不味くない?」


 特別演習ということは、本来のスケジュールには無いもののはず。それもこんなタイミングでとなれば、流石に無関係とは思えない。

 たとえ本当に無関係だったとしても、サテンが防衛隊に見つかればタダでは済まないだろう。

 そんな彼女に危惧に、メルクリオとサミュエルは揃って顔を見合せた。


「そりゃあ……まぁ不味いでしょうけど、相手が防衛隊ならどうしようもありませんよ」


「国法に照らせば悪はこっちだもの。それに仕事としては何のお金にもならないわヨ?」


 続けざまの正論に、タムはうーと唸る。

 わかっている事だ。大した力を持たない一商人がでしゃばれば、痛い目を見るのはこっちであることくらい。

 ただ、理解と納得は違うと彼女は帽子をブンブン振って、拳を胸の前に握りこんだ。


「でもさでもさ! 友達が大変かもなのに何にもしないってのは、やっぱ違う気がするじゃん!?」


 響いた表裏のない咆哮。

 それはテーブルのみならず、周りをゆく雑踏からさえ音を奪ったよう。

 こと、メルクリオとサミュエルは丸くした目を瞬かせ、かと思えばほどなくフッと口元に笑みを零した。


「あ、あれ? なんかアタシ変なこと言った?」


「友達、ねぇ? フフフ」


「社長らしいというかなんというか、ハハハ」


 片やゴージャスな後ろ髪を軽く払い、片や丸いメガネをくいと持ち上げて笑う2人の歳上。

 同時に、タムの顔はトマトのように赤くなった。


「なな、なんだよもー!? 暖かい目でこっちみんなー!」


「いやはや、このような往来で大したものですな。ミス・ムラサキ」


 背後から聞こえた落ち着いた声と控えめな拍手に、タムは素早くいつぞやのガスマスクを顔に貼り付ける。

 が、振り返った先に居た相手は、今更顔を隠す意味が無い相手だった。


「ベンジャミン? それと――」


「……ども」


 面長の溶接グラス男と、それに隠れるような格好で、口元までマフラーを巻いた黒髪の女性。


「君、この間の……ニコラ・ワルターだっけ? 怪我はダイジョブなん?」


「えと……」


 どこか不安げな様子の彼女は、なお盾とするようにベンジャミンの後ろへ下がりかけて。


「まぁまぁこちらの事情は追々。それよりも、良ければ先の話、我々も混ぜては貰えませんかな?」


 彼はそんなことを唐突に言い放った。冗談めかすこともなく。

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