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第62話 信号所

 ガンガラガッシャン鉄の音。

 コンテナに響いたそれは、まるで鐘のように反響する。寝起きの頭をひっくり返すには十分すぎる衝撃だ。


「だっからお前はよぉ!」


 冷たい床を踏み締めながら、ベッドの上で丸くなる寝ぼけ眼を睨みつける。

 俺の形相を見れば、そこらの奴は大概竦み上るだろう。それを自ら売りにもしている訳だが。


「ふにゃ?」


 人様のベッドで、今なお半分夢の中に居るであろうサテン・キオンには、まるで効き目がないらしい。

 おかげで自然と額に青筋が立った。


「人語を喋れ人語を! 人の寝床に入ってくんなって、前も言ったよなァ!?」


「あ……ヒュージ君だぁ……おはよぉ……もちょっとだけ寝てていーい?」


 こいつは、本当にこいつは。

 女としての自覚がどうとかこうとか、そういう説教を考えられる程俺に精神的余裕はなかった。


「ンンンいいはずねぇんだよなァ?」


「やーあー、私のシーツぅ」


 なお丸くなろうとするサテンをシーツごと引っ張れば、抵抗も虚しくベッドの上を引きずられ。


「痛ぁ!?」


 ガンという派手な音と共に、彼女はベッドの端から落下した。

 シーツを巻き上げながら深いため息をひとつ。


「目ぇ覚めたか?」


「あたた……もうちょっと優しく起こしてくれてもいいのにさぁ」


「よく言うぜ。文句言う前に、俺のベッドに不法侵入する癖を――だ、な」


 後ろ頭を擦りながら涙目になるサテンに、俺は呆れた視線を送る。

 つもりだった。そう、つもりだったのだ。

 しかし、それは予定よりやや下方へと吸い寄せられ。


「ん? どしたの――あ」


 サテンは異国の服を身につける。それは大概帯巻きの物で、寝着はその中でも肌着に近く、かつゆったりした物なのだろう。

 当然、暴れることなど想定してはいまい。俺の視線の先には、想像よりも遥かに柔らかそうな肌色が、肩からはだけるようにして広がっていて。


「あはは、ごめんね?」


 サテンは軽い照れ笑いをしながら、どこかわざとらしく胸元を手で隠す。その目は何故だか、少し挑発的にも思えるが。


「謝んな! 見てねぇからさっさと着直せ!」


「……君になら、見られても悪い気はしないんだけどな」


 咄嗟にシーツを放り捨てる。

 モヒカンの先まで一気に暑くなった気がした。


「ババババ馬鹿言ってんじゃねぇ! お前はもうちょっと恥じらいを持て!」


「フフッ、かーわいっ」


 何が面白いのか、サテンははだけた服を整えながら、まだクスクスと笑っていた。

 挑発的なのは、少しではなかったかもしれない。



 ■



 いつもと変わらないコックピットの中、味もクソもないパサパサの保存食を、口の中へ放り込む。

 一応にも脱獄犯を乗せているのだ。夜中に身を隠せるほど大きな建物の残骸を見つけられたのは幸運だった。

 とはいえ、根本的な問題は解決していない。


「そんで、こっからどうする? オールドディガーのタンクじゃ、節約してもあと2日が限界だぞ」


「分かってる。南側のどこかで停車場に寄ろう」


 後部座席からの声に振り返らないまま、古ぼけたメモ帳をパネルの奥から引っ張り出す。

 日焼けした紙に描かれた地図の上。 現在位置と機体の稼動限界を照らし合わせれば、向かうべき先に選ぶ余地などほとんどない。

 分かっていたことだと肩を落とす。


「今の容量で辿りつけるとすりゃ、南部第2信号所がデッドラインだな。つっても、素直に入れさせてもらえると思うか?」


 今頃コラシーでは大騒ぎだろう。こいつの言い分が正しければ、高層エリアにある牢の壁をぶち抜いてきたと言うのだから。

 警察も公安も血眼のはず。奴らだって馬鹿では無い。真っ先に疑われるのは関わりのあった人間で、しかもわざわざこんなタイミングに都市外調査に出ている奴を怪しまないはずがないのだ。


「私が顔を出さなければ大丈夫じゃないかなー」


 だというのに、サテンはケラケラと楽観的に笑う。

 何故俺様がこんなに頭を痛めねばならないのだろうか。何かが間違っている気がするものの、それをこの女に問い詰めたところで、のらりくらり躱されるだけだろうのとは目に見えていた。


「……金あんのかよ」


 諦めたようにそう呟くと、彼女はようやく自分事のように困った声を出した。


「それがないんだよね。荷物ぜーんぶ取られたままだしさ」


 正規の手続きを経ない方法で出てくるのだから、至極当然と言える。元々は無実の罪を被せられたはずが、今ではしっかり犯罪者だ。

 しかし、おかげで頭の悪い俺にも多少は考えが回せた。


「だろうと思ったぜ。ほれ」


 くたびれたリュックサックを後部座席へ投げ渡す。

 するとサテンは珍しく目を丸くした。


「えっ? これ、私の旅行鞄……あっ工房か!」


「勝手で悪ぃが、お前の借りてた工房は組合受付の姉ちゃんに頼んで解約してもらった。そん中にゃ運び出せた私物と、家具だのなんだのを売り払った分の金が入ってる。大した額じゃねぇがな」


 後ろ頭に手を組みつつ、ヒラヒラと手を振ってみせる。

 スチーマンの圧力維持費と俺たちの食費を考えれば、全部使っても補給2回分。鉄道も利用すれば補給1回で底をつく。

 そんな気休めにもかかわらず、サテンは感心したように息を吐いた。


「驚いたな。君って変なとこで気が回るよね」


「余計なお世話だっつの。テメェがあそこ借りてなけりゃ、今頃お互い素寒貧だったかと思うと気が気じゃねぇぜ」


「あれ? ヒュージ君、この間稼いだお金は?」


 怪訝そうに首を傾げるサテン。

 全くこいつは賢いのか阿呆なのか。やれやれと俺は肩を竦めた。


「んなもん、機体と手間賃に全ツッパに決まってんだろ」


 沈黙。

 振り返りはしなかったが、多分奴は唖然としていたことだろう。俺は確かに金無しの辛さを知っているが、しかし博打をするというなら俺も男だ。財布を空にする覚悟くらい持ち合わせている。

 とはいえ、いい所から出てきたであろうお嬢さんには理解できないだろうが、なんて密かに勝ち誇っていれば。


「……ぷっ、アハハハハハハ! 何それ! アハハハハっ!」


「誰のせいだと思ってんだヨ」


 ケタケタと笑う彼女の声に、俺は小さく舌を打つ。

 この博打は自分で選んだ道だ。しかし、選ぶにも理由は要る。

 面白そうだから? 勝ちが大きいから? ああ最初はそうだった。

 だが、今は。


「ありがと。それから……ごめんね?」


「へっ、全部経費に入れとけ。後でまとめて払ってもらうからな」


「――そうだね。頑張るよ」


 小さく鼻を鳴らしつつ、レバーを引き込みペダルを踏んで、オールドディガーを引き起こす。

 それはらしくない自分への嘲笑だったかもしれない。



 ■



 南方面へと進むこと暫く。

 コラシーから出発したことを誰かに悟られないよう、普通ではない大回りのルートを取ったが、行き着く先は変わらない。


「見えたな。信号所だ」


 かまぼこ型の朽ちた屋根に覆われるその場所は、地面を都市が覆っていた大昔において、中継駅の1つだったとか。

 並ぶ転轍機と腕木式信号機。ドームの中に見える出発待ちの列車。


「……待って。あそこに停まってるのは?」


 後ろから伸びてきたサテンの手に、俺はオールドディガーを瓦礫の影にかがませた。

 少しだけコックピットハッチを押し開け、隙間から双眼鏡で信号所の中を覗き込めば、すぐに舌打ちが出た。


「軍用列車か。ただの訓練だと思いてぇが、今はそうもいかねぇだろな」


「どうするの?」


「……お前のツラ見られなきゃ何とでもなるだろ。金くれ、話つけてくる」


 これまた賭けにはなるが、どう足掻いても補給からは逃れられないのだ。

 疑わしきは罰せず。誰が言ったかそんな文言を信じるしかないと、俺はオールドディガーを信号所へと進ませた。

 大柄な機体はすぐさま兵士の目に止まった事だろう。甲高い笛の音が響き、ベージュ色をした軍用の中型スチーマンがぞろぞろ集まってきた。


『そこのスチーマン、止まれ!』


 こちらが大型機だからだろう。ハーモニカライフルを3機から突きつけられる。

 動けば撃つと言わんばかりの警戒感に、俺は何をビビってるのかと息をつきつつ、コックピットハッチを解放した。


「おいおい、いきなり銃向ける奴があるかよ。こちとらただの労働者だぜぇ?」


「組合証を確認する。機を降りろ」


「へいへい」


 言われるがまま、サテンをコックピットの奥に残して機体を降りる。

 もちろん、普段は機体の中に放置している組合証を、わざとらしく首からぶら下げるのも忘れない。


「これどいいかァ?」


「……確認した。いいぞ」


 俺の体躯に少し表情を強ばらせながらも、兵士はコホンと小さく咳払いして周りのスチーマンを下がらせる。

 どうやら、つい最近牢にぶち込まれた男であることはバレなかったらしい。


「随分と物々しいな。訓練じゃねぇのか?」


「喋らず進め。妙な動きはするなよ」


「わーったから、いちいち睨むんじゃねぇよ」


 軽くカマをかけてみたが取り付く島もない。

 結局俺は急かされるまま、朽ちた信号所の事務所へ向かうしか無かった。

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