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第68話 ナナシ

「1機……? たかが1機のスチーマン相手に小隊が全滅だと?」


 誰もが耳を疑った。

 ただのスチーマン1機が、訓練を積んだ完全武装の小隊を壊滅させる。それもチャレンジャー小隊の隊長は、軍の中でも成績上位の腕を持っていたはず。にもかかわらず、たったこれだけの時間で。

 列車長の思考は一瞬硬直していた。否、彼だけでなく指揮者に居る全員がだったかもしれない。手品を見せられているかのようだと。

 それを打ち破ったのは、警戒車からの連絡だった。


『警戒車より指揮車、目標補足。砲車への距離、方位伝達完了』


「列車長、攻撃準備整いました」


「各個射撃指示。急射せよ」


「全砲車、各個射撃、急ぎ撃て!」


 急ぎ撃て。その言葉は伝声管を反響し、あるいは電信機を通って各車両の間を繋ぎ、人の耳からまた口へ移って大砲へ届く。

 尾部を閉鎖された大砲を前に、砲手達は今か今かとその時を待っていた。その音が鼓膜を揺らした時、彼らは一斉に発射スイッチを押し込み、または手にする拉縄りゅうじょうを引いた。

 刹那、砂漠に火炎と轟音が立ち上がる。

 主砲副砲諸共の射撃。線路と枕木が凄まじい衝撃に揺れ、吹き荒れた発射炎が砂を吹き飛ばし、駆け抜けた砲弾は砂に落ちる手前にあって更なる音と煙を撒き散らす。

 着弾地点にあって生きていられる者はなかっただろう。デミロコモが備える砲よりも、遥かに大きく強力な火力の投射に舞い上がった砂は、風に流れながらもなお壁の様に景色を塞いでいた。


「どうか?」


 列車長の一言は確信に満ちていた。相手が何者でも、この砲撃に耐えられる者などありはしない。

 それでも観測員たちは必死に双眼鏡を眺め。


「砂塵の影響により視認困難――いえ!」


 狭い視界の中に現れた砂煙の塊。飛ぶように駆ける勢いで、巻き付いた砂を振り払うように姿を見せる。

 頭部に埋め込まれた細い目が、ギラリと輝いた。


「て、敵機! 距離20!」


「あの砲撃を抜けた……? いかん! 各車、近接防御射撃!」


 猛然と近付く中型スチーマンに、シュヴァリエ・ド・フェールの誇る主砲は既に追いつけない。否、追いつけたとてそこまでの俯角は取れず、至近距離を狙えるようには作られていなかった。

 代わりに壁から多数突き出した機関銃や機関砲が雨あられと弾丸を降らせる。これでも中型スチーマン程度の装甲ならば、穴だらけにできる代物だったが。


「速い……!?」


 機銃手たちに狙いを定める時間は与えられなかった。無造作にばら撒かれる弾丸をあざ笑うかのようにスチーマンは躱し、翻ったかと思えば列車の天井部分から派手な炎が立ち上がった。


「第1砲車被弾! 第2装甲機関車にて火災発生!」


「消火班出動、対応急げ!」


「セイント隊は何をしている!? 迎撃は――ぬぅぉッ!?」


 悲鳴のように響き渡るベル。それでも次々襲い来る振動は止まず、一段派手な爆風に指揮車のガラスが砕け散り、列車長は床へ倒れ込んだ。


「列車長!?」


「ぐ、ぅ……わ、私は大丈夫だ。状況を報告せよ!」


 座席に手を付きながら立ち上がる。その時に見えた景色は、あちこちから立ち上がる黒煙と炎、そして聞こえてくる悲鳴に包まれていた。

 つい数分前まで悠然と聳えていた金属の城が、今まさに陥落しようとしている。否、まだ諦めるには早いはずと列車長は拳を握った。


「監視!」


「2号積載車にて圧力爆発が発生した模様。至近距離から装甲開口部を狙われているようです」


「では、セイント隊は」


「呼びかけていますが、全機応答ありません」


 出撃の瞬間を狙われたのだろう。爆発によって蒸気を満載したスチーマンが一斉に吹き飛んだとすれば、防弾ガラスが砕け散るのも無理はない。

 それでもまだ、列車が死んだわけではない。列車に備えられた武装はまだ生きている。そんな風に列車長が考えを巡らせた矢先、指揮所に1人の乗組員が飛び込んできた。

 額から血を流し、焼けてボロボロになった防火服を身に纏う彼は、消火に向かった応急班の者だろう。まるで痛みを感じていないかのように踵を揃え背筋を伸ばすと、警戒車より報告! と叫んだ。


「第1、第2装甲機関車蓄圧タンク破損! 脱線により車両行動不能! 第1警戒車および第2、第3砲車沈黙、火災拡大中!」


「……列車長、これは」


「たった1機のスチーマンに、このシュヴァリエ・ド・フェールが……」


 最早絶望的だった。

 シュヴァリエ・ド・フェールは車両の半分を事実上喪失し、残り半分も損害は免れない。なんとすれば、スチーマン隊を全機喪失した上、片側の砲台が完全に破壊されたとあっては列車という特性上、砲の死角はどう足掻いても埋められず、一方的に攻撃を受けて燃え上がるまでにそう時間はかからないだろう。

 覆しようのない一方的な敗北。列車長の脳裏に、ならば刺し違えてでも、という言葉が去来し。


『まるでだな。コラシー国家防衛隊が聞いて呆れる』


 ゴォンと鈍い金属音を立て、そいつは目の前に現れた。

 指揮車の櫓を前に立つ、赤い目をした中型スチーマン。見た目に似た機種の無いそれは細身で、腕に単発式らしい大口径の擲弾銃を持ち、背中には長槍を背負った奇妙な恰好をしていた。


「何者なのだ、貴様は」


『ああ、チンケな国家体制の腹ン中で、くすぶり続けた名前の無い亡霊さ。だが、ようやく俺は俺であることを捨てられる。その花道にはちょうどいい』


「何を言っている……?」


『理解してくれとは思わんさ』


 それでも口からはとめどなく零れる喜悦に、列車長はゾッとする。

 たった1機で装甲列車を破壊しつくす実力を持ち、その上で冷たい笑いを響かせる男を、狂気と呼ばずしてなんと呼ぼう。それも己の中で完結しており、誰の共感や意見も求めてはいない。

 スチーマンは静かに中折れ式の擲弾銃に弾を込め、暗い銃口を指揮車の窓へ向けた。


『1度しか言わん。今すぐ全車両に退避命令を出せ。その鉄の塊と心中してぇんじゃなけりゃな』


「ッ――総員退避だ! 急げ!」


 十数秒の後、シュヴァリエ・ド・フェールからは火柱が立ち上がった。

 搭載されていた砲弾、火薬類への引火。加えて機関車の抱えていた蓄圧タンクの爆発により、吹き上がった黒煙は炎を呑み込みながら高く高く昇っていく。

 第6信号所に降り注いだ瓦礫と、つい先刻まで装甲列車だったものの残骸は、数日間鉄道を休ませることになるだろう。

 そんな景色を遠巻きに、細身の中型スチーマンは砂の上へと立っていた。


『ふん……俺の光と人生数年分と考えりゃこれでも安い方だが、後は負けといてやるか。くくっ』


 金属の足音は砂の中へと消えていく。

 誰に追われることもなく、疲れたようなブラスト音を響かせながら。



 ■



 ミキサーの中に入れられた感覚というのは、多分こういうものだと思う。

 金切声のようなブレーキ音に、半分寝ぼけていた視界は勢いよくひっくり返り、気が付けば目の前には座席下のヒーターがこんにちはしていた。


「えーと、何々これ? どーなってるアタシ」


 メルクリオに支えらえて体を立て直してみる。どこかでぶつけたのか首が痛い以外、身体に異常はなさそう。

 こう見えてアタシ様は頑丈なのだ。コキコキと体を鳴らしながら窓の外を見れば、列車は何もない砂漠の中に止まっていた。


「普通じゃないブレーキだったわねェ」


「いてて……何か問題でもあったのでしょうか?」


 同じく寝こけていたらしいサミュエルは、何故か赤くなった頬を擦りながら眼鏡の位置を整える。もしかしたら、自分が飛んで行って頭突きでも喰らわせたかもしれないが、誰も分からないので放っておこう。

 それよりも、今は状況の把握だ。こういう時、情報を知らないのは何より良くない。


「話聞いてくる」


「ふむ、吾輩も同伴しましょう」


「に、ニコラも行く」


 隣のボックスシートから顔を覗かせるスチーマン乗り2人組。生身だとやけにおどおどしたニコラはともかく、見た目から大人なベンジャミンがついてきてくれるのは、自分という存在にとってありがたい。

 他人から見た自分がちんちくりんに映ることは自負している。人に言われると腹も立つが、こればかりはどうしようもないのだから。

 そんな2人を引き連れて、アタシはデッキから列車を降り、先頭で車掌と何事か喋っている機関士の所へ歩み寄った。


「ちょーい、何かあったの?」


 アタシが声をかければ、入れ違いに車掌が去っていく。どうやら話は既についているらしい。

 ぽこんとお腹の張り出したもじゃもじゃ髭の機関士は、皺だらけの帽子をやれやれと叩きながら、面倒くさそうに太い肘をついた。


「この先の信号所でビッグトラブルがあったらしくてよ。詳しいことは分かんねぇが、とにかくヤバいから暫く近付くなってさ」


「では暫くここで待機を?」


「いんや、悪いが線路の安全が確保できたらこの列車は第5信号所に引き返すぜ。会社の規則って奴さ」


 籠った声の機関士に、ベンジャミンはふぅむと顎を撫でる。

 ここで止まっていたとて、機関車の圧力はじりじり減っていく。それに水も食料も食堂車で提供する分以外に余剰を積んでいるはずもなく、いつ動けるか分からないとなれば戻るのが定石ではあろう。

 だが、アタシたちとしては別の話であり、程なく後ろからニコラに服の裾を引かれた。


「タム、それだと……」


「だね。悪いけどここで下ろしてもらっていいかな?」


 ここまで来て後戻りというのはどんくさい。何より、いつ出発するか分からない列車を待てるほど、自分たちは悠長に構えている訳には行かないのだ。

 しかし、アタシが軽い雰囲気でそういうと、機関士はたちまち眉を波打たせた。


「はぁ? 降りるったってどうやってだよ。あんたらデミロコモだろ? ここにゃランプウェイも何もないんだぜ?」


「その辺はこっちでやるから気にしないで。返金とかも求めないしさ」


 おねがーい、と腰を曲げてウインクを投げる。それだけでも機関士は戸惑った様子だったが、やはり会社の規則があるのだろう。ぶ厚い手をブンブンと横に振った。


「いや困るよ勝手なことされ――ちゃ……」


 振られる手に分厚い物が触れる。にこりと笑うベンジャミン。

 コラシークレジットと刻まれたよく目にするそれの束は、それなりに高給取りとされる機関士でも安い額ではなく、彼はヒョッと息を吸いこんだ。


「おっけー?」


「お、おうおうおう! 車両確認の為に30分は止まるからな! その間に降りてくれるならかまわねーぜ! なぁ?」


 ブンブンと首を縦に振る若そうな機関助手。上下関係もあってか、否とは言えないのだろう。

 この程度の出費、今のアタシ様には何の問題もない。燃料の売り上げはそれくらいに莫大なのだ。

 他のメンバー全員を拾って専用貨車へ向かったアタシは、すぐさま仕事道具の目覚ましに取り掛かる。

 アパルサライナーを起こすのに、30分なんてかからない。すぐ動けるように準備をしていたのだから。


「ンで、ここからスタートってことでいいのよネ?」


「先の社長殿は太っ腹でしたからなぁ」


 ハッハッハと笑うベンジャミン。お金を渡したのは彼でも、それを後ろからそっと渡したのはアタシなのだ。

 しかし、太いと呼ばれるのは心外である。


「なにおう!? アタシはすれんだーだろ!?」


「タムは小さいから」


「小さい言うなぁ! まだ伸びるかもしれないもん! ないすばでーなるかもしれないもん!」


「ご、ごめん?」


 複雑な乙女心の理不尽に、ニコラはちょっと縮こまる。少し申し訳ない気もしたが、引っ込みがつかないのでぷんすかと頬を膨らませておいた。


「機関室より車長、準備できましたぜ」


「おーし。サミー、出しちゃって」


「あの、貨車から無理矢理降りる形ですが本当にいいんですか?」


 操縦席から不安の声が上がる。

 何せアタシたちは、自分で下ろすとは言ったものの下ろす方法を何か持っているとは言っていないのだ。

 ではどうするか。貨車の高さ分は車体をそのまま落とす。勢いだけで。


「第5信号所に戻ってスタートよりはマシでしょ。行け行けごーごー! ぐえっ」


 ガツンと激しい衝撃に体が跳び上がる。

 やぶれかぶれと両輪を前進一杯に持っていったサミュエルのおかげで、アパルサライナーは底面を貨車に擦りながらも、線路を上に降り立った。それを見ていた車掌が少々顔を青ざめさせていた気もするが、走り出してしまえばこっちのものだ。

 汽笛を1発鳴らして謝罪とし、アタシたちは線路沿いを走り出した。機関室から蒸気漏れがどうのこうのと泣き言が聞こえた気もするが、そっちはアタシが口を出したところで意味もないので放っておくとして。

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