頬に残った痛みと熱。
漂う硝煙の香りと青白い煙。
俺は大きく息を吐いた。
「……こんな時だけ外すんじゃねぇよ」
いつもならば動かない相手になど目を瞑っていても当てられるであろう奴が、と皮肉を込める。
しかし、もう1発あるはずの拳銃は、そのままゆっくり床へ向かって下りて行った。
「ズルいんだ、君は」
肩を震わせた涙声が鼓膜を揺らす。
「なんでそんなこと、今になって言うのさ。せっかく決めた覚悟、緩ませるようなこと」
「泣くんじゃねぇ!」
距離にして3歩。俺はサテンに歩み寄り、床へ向けられた拳銃を彼女の手首ごと握って、自分の胸に押し当てた。
「これなら次は外さねぇだろ。お前が本気なら、張った勝負は最後まで貫け」
「ヒュージ君……」
「俺はな、お前の枷になんざなりたかねぇんだ」
細い肩が震えていた。こんな弱々しい姿を見たのは、多分初めてだっただろう。
ただのチンピラ1匹殺すのに、震える必要なんてありはしない。だが、それでも手に力が入らないならと、俺の指が静かに撃鉄を起こした。
「私は、君が」
「背負えねぇってんならいいぜ。代わりに俺が――ぐッ!?」
カァンと響いた金属音。決して握りこんだ銃からではない。
気付いた時、俺は自然とサテンを押し倒していた。のしかからないようにできたのはただの偶然に過ぎず、しかし何が起こったかは肩に滲む熱が教えてくれる。
「気楽にぶっ放しやがって、どこの馬鹿だクソッ!」
近くで弾ける火花に、サテンごと身体を転がせて物陰に入る。
「おい! 怪我ねぇか!?」
「私、私は……」
細い身体が震えていた。さっきよりも強く、それも銃を握りしめたまま白い顔をして。
どれほど強がっていたのか。どれほど怖かったのか。ここにいるのが優男なら慰めてもやれただろうが、俺にはできそうもない。
「しっかりしろ! お前の計画は一旦ご破算だ!」
「でも、私は君を!」
「でももクソもねぇ! そいつをしっかり握ってろ。突破すんぞ」
まだ怯えたような瞳の彼女を尻目に、俺は手近な位置にあった鉄机をひっくり返し、それを壁として押し出しながらドアへ向かい駆けた。
飛んでくるのは拳銃弾なのだろう。薄っぺらな鉄板でもいくらかは防いでくれた。
「んだっしゃぃオラぁ!」
狙いがヘボなのか勢いよく迫る俺の迫力に圧されたのか、俺は運よく弾を貰わないまま、壁に隠れた何者かに机を投げつける。
慌てて顔をひっこめたらこっちのものだ。2人見えた奴の片方を蹴っ飛ばして銃を落とさせ、振り返り際にもう1人居た奴の胸元を掴んで
「おい、コアは持ってるな!?」
「う、うん」
「なら楽しみは後にとっとけ。ディガーに戻るぞ」
危機に際してようやく意識が向いたのだろう。余計な茶々を入れやがってと走り出す俺の後を、サテンはまだ少し力無さげながらきっちりついてきた。
部屋を出る際、ちらと伸びている馬鹿を覗き見る。
――防衛隊じゃねぇな。同業か。
装備のお粗末さを見る限り、俺の予想が間違っているという事はないだろう。何より、きっちり訓練された連中だったなら、奇襲された時点で俺の頭にしっかり風穴が開いていたはず。
どうにも最近はストーカー好きが多くて敵わないが、前と違って今回は明確な敵というのが分からない。尤も、分からなかったところでやるべきことは変わらないのだが。
階段を駆け上がり、元居たセキュリティルームのドアに張り付いた瞬間、こちらの姿が見えたのだろう。室内から銃撃が飛んできた。
「ヒュージ君、オールドディガーに!」
「あ゛ぁ゛ん!? てめぇら、人の愛機に触ってんじゃね――うおぁ!?」
愛機の影に取り付いた敵の姿に、跳び出してぶっ放そうとした矢先、足元を銃撃が舐めて通った。これには流石の俺も慌ててドアの影へと体をひっこめるしかない。
「何人入り込んでんだよクソが! せめてドア開ける前にノックしやがれ!」
1人1人は大したことのない同業者、ないしアウトローの類であっても、手数の差は埋めがたい。
連携らしい連携がなかったとて、リロードの隙さえ埋められればそう簡単に距離は詰められないだろう。
下手をすれば愛機を爆破でもされかねない。そうなったらほぼ詰みだが。
「あぁそっか。不法侵入なら出て行ってもらえばいいんだ」
「あん?」
突然そんなことを口走ったサテンに、俺が間抜け面を晒していれば、彼女は何も答えないまますぐ傍の消火栓に歩み寄って、拳銃の尻で赤いガラスを叩き割った。
ジリジリと鳴り響く非常ベル。一体何をしたのかと問いかけるより先に、つい先刻聞いた声が天井から鳴り響く。
『セキュリティ警報の手動入力を検知しました。侵入者反応多数、フェーズ3を再開します』
ドアの向こう。音を立てて開く壁の穴と、そこから転がり出てくる見覚えのある球体。
ゾッと背中が粟立つ。俺がいくら馬鹿であろうと、流石にこれを理解できない程間抜けではない。
だが、初見の連中にそれが分かるかと言われれば。
「ぎゃあ、なんだこいつら!?」
撃ち鳴らされるハーモニカガンの雨に、セキュリティルームの中からたちまち悲鳴が上がる。
何せオールドディガーのキックにさえ多少耐える頑丈な奴だ。生身の人間が太刀打ちできるはずもなく、連中は奇襲の為にスチーマンを置いてきたことを後悔しているだろう。
「お前、えげつねぇことするな……」
「今しかない、行くよ!」
「俺達だって連中の的だぜぇ!?」
悲鳴を上げながら走る。強いて言えば、馬鹿共が銃撃をしてくれるおかげで、ボール連中はそっちを優先的に攻撃しており、流れ弾以外が飛んで来ないのはありがたいが。
それでも、生身で当てられればひとたまりもない。後はオールドディガーが穴だらけにされていないことをお祈りしつつ、振り向かないよう必死で走って走って、外装に散る火花に顔を覆いながら、どうにかコックピットに転がり込んだ。
「ひぃ……馬鹿雨に降られた気分だぜ。圧力投入! 起動開始ィ!」
「セキュリティの再度強制停止を最優先。動いたらこっちが狙われるよ」
「分かってる! どうせ生身連中の豆鉄砲なんざディガーにゃきかねぇんだ!」
人型に変形したボール野郎を立ち上がり際に蹴っ飛ばせば、回りながら滑っていったそいつに人間が1人巻き込まれる。
これでセキュリティの目標はこちらに絞られただろう。だが、既に止め方が分かっている以上、多少の被弾さえ気にしなければ問題にはならない。
既にガラスが割られた箱の、赤く大きなレバーを鋼の手が引き下ろす。同時に人型殺戮ボール共はまた、音声案内と共にカシャカシャと球体に戻っていった。
それと息を合わせたかの如く、生き残っていた襲撃者連中も転がるように部屋から逃げていく。
「よし、このまま脱出を――え?」
ド派手な銃声と飛び出した火炎に、サテンの言葉が途切れる。
衝撃波に弾ける生身の背中。オールドディガーの手に握られていたリボルビングバスからは、青白い煙が立ち上っていた。
「まだダメだ。ここに居た全員をぶっ殺す」