スチーマン操縦士用の服に袖を通す折、無線越しに聞こえる戦闘の音に、彼は小さくため息をついていた。
「やはり屑拾い程度では、数合わせにしかならんということか」
ホンスビーにも分かっていたことではある。訓練を受けた防衛隊の軍人とチンピラ崩れの都市外労働者では、どれだけ性能の良い機体を渡したとて埋められない能力の溝があることくらい。
それにしても今の結果はお粗末だろう。途中に敵の増援があった程度で、数倍の物量差を軽々ひっくり返されるなど。
襟元を整えていれば、更衣室のドアからノックが転がりこむ。
「入りなさい」
「失礼いたします」
静かに開いたドアの向こうでは、立派な口ひげの男性が踵を揃えていた。
「機体の準備、整いしました」
「車長自ら、わざわざありがとうございます」
特権階級に近しいホンスビーからしても、デミロコモの指揮官が現れるのは意外だった。
とはいえ、それを何故と問いかけるほど無粋でもない。
車長に導かれるまま更衣室を出ると、ホンスビーは格納庫ではなくデミロコモの操縦室へ足を向けた。
狭いガラス窓の向こうから、ほんの僅かばかりに戦闘の音が聞こえてくる。同時に、ピリピリとした特有の空気も。
「どうなさいますかな。未だ先発隊は現在のようですが」
「予定通りと参りましょう。ブラックガビアルは前進しつつ第一次砲撃を。屑拾いは巻き込んでも構いません」
「承知いたしました。総員砲撃戦闘用意、微速前進」
「微速前進」
響くベルの音。車長の声に迷いは無く、操縦士も澱みなく復唱を返す。
貴族所有の私兵部隊とはいえ、その内実はコラシー防衛隊と変わりない。実際、引き抜かれた者も多いだろう。
だからこそ、馴染み深い空気にホンスビーは少し安堵していた。
「車長、先ほど増援で現れたスチーマンにも警戒をして下さい」
「と、申されますと?」
「他にも援軍があるかもしれません」
「補給の問題、ですかな」
「増槽装備のスチーマン、というのなら納得はできますが、可能性の芽は潰しておかねば」
タンク容量の大きなヘロン式ならともかく、中型や小型のスチーマンによる援護となると、ベースとなるデミロコモの存在が疑われる。
如何に民間車両であっても、自己防衛用の装備は搭載しているものだ。奇襲を受ければブラックガビアルにとっても脅威になりかねない。
「分かりました。ではそのように――」
「報告。北西部より新たな砂嵐を視認。範囲広大、最接近まで10分程と予測されます」
観測員の声に車長の返事は途切れる。
それは彼らにとって、あまり良い報告では無かった。
「あの規模では、砲撃にも影響が出ましょう。尤も、敵側の増援や奇襲も難しくなりましょうがな」
中型小型のスチーマンで砂嵐を突破するのは危険極まりない上、耐候性の高いデミロコモでも視界は最悪となる。当然、狙った場所を目指すことは困難だ。
それを知ってか、車長は少し気楽な雰囲気で髭を揺らしていたが、ホンスビーは表情を緩めようとはしなかった。
「第二次攻撃を繰上げ、視界不良と判断した時点で中止して下さい」
「ハッ。しかし、天候で車両に危険が及ぶ可能性がある場合、我々は独自の判断で後退致します故、その点はご了承を」
「分かっています。では、また後ほど」
「目標射程内。主砲、攻撃始め!」
足元から腹に響くような砲声を感じながら、1人操縦士服姿のホンスビーは操縦室を後に、格納庫へ続く通路を歩いた。
――これで世界は確実に変わろう。違いがあるとすれば、その中心となるのが私か貴女か、ただそれだけ。
スチーマンの久しい感覚。
愛機という程親しんだ機体ではなく、操作機器に触れることに興奮を覚えるような質では無いが。
『第3ラック周辺、作業員退避! スチーマンが出るぞ』
「ふ……昂るのは、この身が時代を変えようということに及んでか」
微かに震える手から、彼は静かに力を抜く。
暗い視界がじわりと開かれる。その先には舞飛ぶ砂があるばかりではあるが。
『管制よりデストリエ。全圧力管及び固定解放確認。ご武運を!』
「行きます」
その機体は後に雲のような尾を引きながら、深くデミロコモより踏み出した。
■
エレベーターは動いた。爆雷攻撃の余波で、ガイドレールだかローラーだかが歪んでいるおかげで、あちこち軋むは火花が飛ぶわで不安しか無かったが、ともかく俺たちは地上階まで戻ってこられた。
サテン曰く、無理矢理警報回路を黙らせたのだとか。俺はよく分からないが、多分リヴィ辺りなら話が通じるだろう。
――まぁ、出口が見えたはいいんだがなぁ。
外の明かりが覗く開かれたドアの前で、金属の頭に花が咲く。芸術的とも言える開花だった。
『これにて3機。まだ来るかね』
エグランティーヌはトドメ撃ちにと、ひっくり返ったそいつの腹にも続けて弾痕を走らせる。
サブウェポンとしている短銃にはソフトポイント弾でも込めているのか、撃たれたコックピット周りは丸めたアルミホイルかのようになっていた。
「ハッ、所詮はカシャッサの手下やってるようなカス共だぜ。群れてもこんなもんだ」
白い機体と背中を向けあいながら、敵から奪ったハーモニカガンのマガジンを入れ替える。
「油断すると痛い目見るよ」
「わかってらぁ。っつっても、フン!」
側面を狙って接近してきたヤツの腹に、アイゼン付きの回し蹴りを叩き込めば、敵は堪らず倒れ込む。
後は簡単だ。上体を起こそうとした胸部に足を乗せ、大型の重さをかけて踏み潰す。小型スチーマン程度の強度で耐えられるものでは無い。
「これでこっちも4機だ。間抜けもそろそろ打ち止めじゃ――あん?」
そんなことを言った矢先、ヒィと甲高い音がどこかで聞こえた気がした。
なんとなく上を見る。そこには分厚い天井があるばかり。降ってくるものなんて何も無いはずだったが。
『ッ! 伏せたまえ!』
エグランティーヌに突き飛ばされるまま、俺は床に倒れ込む。
次の瞬間、爆発音と共に暴風が機体の上を舐めた。
それも1度ではない。コンクリートの壁が崩れ、巻き上がる土砂が開いたドアの向こうに見え、硬直した敵機が爆発の中で鉄くずに変わった所で、ようやく俺は状況を理解した。
「ば、バッカ野郎が!? 味方が居んのに砲撃する奴が何処にいんだよ!?」
「……ホンスビーだ。あの男だったらやる」
くらくらする衝撃波の中、サテンはギリと奥歯を鳴らす。
まともではないだろう。使い捨ての駒だとしても、それを自らの手で焼き払おうなど。
『聞き覚えの無い名だが、そやつがこの件の中心かね!?』
「どっちかってぇと、中心はサテンの方だろうがな!」
「うーん、私アイドルとかには興味ないんだけど」
「爆風で頭ン中お花畑になったんかお前」
『また来るぞ!』
どこまでも呑気な奴だという思考さえ、またも聞こえ来る甲高い風切り音の中に消えていく。
砲撃の中というのは何者であろうと、祈ることくらいしかできないのだから。