激しいブロー音を立ててそいつは俺たちの前に立つ。
曲面を多用した流麗な外装で内部構造を極力露出させない外見は、まるで騎兵が身に着けるプレートアーマーのよう。
その癖、エンブレムや手の込んだ塗装はされていない辺り、パイロットの顔面が透けて見える気さえした。
「へぇ……お役人がスチーマン乗りかよ? しかも特注か?」
『何、昔のツテですよ。最近の機体は扱いやすくなっていると驚いている次第です』
ふん、と小さく鼻を鳴らす。面白みのない受け答えだ。
否、奴の眼中には最初から、俺なんて入っていなかったのだろう。
『にしても流石ですね。あの老人から色々と聞き出されるとは』
「老人……? 誰のことだ?」
「未だにわかんないことだらけなんだけどね」
肩越しにサテンを振り返っても、彼女は冷たい視線を敵機に向けるのみ。
『結構。この場所、そして貴女方の行動、それだけで私にとっては十分です。少々予定外の羽虫も居ますが、交渉においてはせんなきこと』
蒸気機械らしからぬ滑らかな動きで、騎士のような機体はこちらへ短銃を向ける。
ヒリつく空気は、チンピラ共のそれと明らかに質が違うように思えた。
――こいつ、どんだけ殺ってきたんだ?
奇襲で終わらせなかったのは、まだサテンに利用価値があると見ているからだろうか。
でなければ、あの一瞬で3機をまとめて撃墜することに、躊躇いなどなかったはず。
「知らなかったよ。銃を向けながら話すことを、君は交渉って呼ぶんだね」
『貴女の選べる道は元より2つしかありませんので。私の元へ下るか、あるいはここで全てを失うか』
奴はきっと真顔なのだろう。だからこそ、引き金にかかった繊細そうな指を見た時、自然と唇の端が吊り上がった。
「キヒッ! 大したポエマーじゃねぇか」
「うーん、私には響かないかなぁ。もうちょっと捻って欲しいね」
サテンと静かに拳を合わせる。
勘違いされては困るのだ。俺たちには選ぶ道なんて存在せず、今見えている終わりに辿り着けるかどうかだけなのだから。
『ふむ、決裂と。まぁその方が私としても単純でよろしい』
白い機体が一層蒸気を噴き上げる。
とんでもない出力なのだろう。燃費コストもまるで無視した使い方に、俺は両のナックルプロテクターを打ち合わせた。
「舐めんなよ背広野郎。タイマンなら、望むところだぜェ!」
大股に踏み出す1歩。アイゼンでエレベーターの床板を削り、そいつを足掛かりにパワーを込める。
1発、2発と外装に弾丸が弾けた。だが、チャチな銃撃をいくらか貰ったところで、外装を付け足した愛機に響くはずもない。
身軽な奴である以上、格闘戦のもつれあいは嫌うはず。パンチは躱されるか受け流されるか。どちらにせよ、先でどう動くかを想像して逆手を準備し。
ナックルプロテクターが音を、同時に火花を立てる。
俺の口は自然と開いていた。
「ま、真正面から止めやがった、だとォ!?」
避けられることを前提としながら、機体重量をアイゼンまで使って乗せたストレート。
今までどんなスチーマンが相手でも、どこかしらを吹き飛ばしてきた自慢の一撃は、どうしてかフレームの軋みだけを残して止まっていた。
『ヘロン式甲三型スチーマン。燃料戦争期に多用されたパワー自慢の傑作機ではありますが』
足元から白く白く、派手な蒸気が立ち上がる。
青く輝く敵機のカメラが、拳の向こうでゆらりと尾を引いたように思えた。
刹那、圧力計の針がレッドゾーンまで跳ね上がる。
「な……ディガーが力負けを……!?」
アイゼンが不快な引っ掻き音を響かせ、機体各所の安全弁から蒸気が吹き上がる。
「ヒュージ君、離れて!」
「わかってらぁ!」
そう言われてすぐに離れられれば苦労はない。
振り払おうと拳を引けど、奴に掴まれた腕はビクともしない。
もがくこちらの様子を、ホンスビーはただただつまらなそうに眺めていた。
『時間の流れとは残酷ですね。往年の新鋭技術であろうとも、今となっては単なる時代遅れに過ぎない。たとえツギハギに改造を加えたとて』
引き抜こうとしていた腕は、まるで根っこが抜けたかのように解放される。当然、機体は大きく後ろへよろめき。
次の瞬間、俺は一瞬目の前が真っ暗になった気がした。
腹の底に残る吐き気と揺れる視界。見えなくても体が覚えている感覚。
「や、ろう……いいパンチしてやがるぜ」
モニター全体に広がる暗がりが床であることを、どうしてか俺はすぐに理解できた。
「最新の中型スチーマンって、あんなにパワーがあるものなの……?」
「へへ、さぁな……だが」
サテンの声にホッとする。どうやら頭を揺すられて馬鹿になったりはしていないらしい。
機体をゆっくりと引き起こしつつ、切れた唇の端を拳で拭う。
「少なくとも、今までのヤツらとは桁違いに歯ごたえがある喧嘩相手だぜぇ!」
拳を構えなおす。
ディガーもサテンも、ここまで一緒にやってきた相棒たちならわかるはず。
俺は殴られっぱなしというのが何より性に合わないのだ。
『速度でも力でも劣り、それでなお向かってきますか』
肩を竦めたように見えた騎士モドキだが、振り抜いたパンチは綺麗に空を切る。
だが、1発でなど終わらせはしない。距離を取られないよう食らいつきつつ、大きさによる圧をかけながら小刻みに拳と蹴りを繰り返す。
『しかし、哀れですね』
「余裕かましてんじゃ――ぐっ」
咄嗟に左腕を構えられたのは、単なる偶然だったかもしれない。
一瞬見えたのは振り上げられた足。同時にガチンとはじける音がして派手に外装がひしゃげて外れ、機体はまた大きくよろめいた。
ただのハイキック。いや、スチーマンにしてはあまりにも滑らかな蹴りではあるが。
その1発に俺は小さく肩で息を吐いた。
「……ふざけやがれ。勝てねぇ喧嘩しかしねぇなら、男になんの意味があるってんだヨ!」
『これは私の戦争ですよ。貴方の言う子どもじみた喧嘩とは違う』
「ぁ゛あ゛ん!?」
ボコす。
喧嘩屋と呼ばれた血がそのまま、自分の中を駆け巡った気がした。
非常に単純な言葉だけが、加熱した頭と制御の効かない感情を支配しようとして。
「落ち着いてヒュージ君。がむしゃらに向かってもダメだ」
首筋に触れた細い指に、あと一歩の所で理性に引き戻される。
自分にそんな感覚があったことの方が驚きだが。
「ふーっ、ふーっ……なん、か、あんのかよ」
「君も大人になったね。あの煙、わかる?」
こんな状況でクスッと小さな笑いを見せるサテンは、一体腹の中に何を飼っているのだろう。
おかげで変に頭が冷えはした。何なら彼女の視線を追った先に目を細め。
「煙ぃ? あ、あぁ確かにアイツのケツから何か……待て、煙だと?」
白煙に混じって薄っすら立ち上がる黒い靄。
それだけでも十分な違和感ではあった。だが、よくみれば妙に背中が大きく張り出した構造をしていることに気付く。
中型スチーマンらしからぬ構造。そして延々と押し流される蒸気の量。
思い当たる物があった。実物を見るのは初めてだったが。
「まさか、外燃式とかいう奴、なのか……?」