目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第80話 空き巣

 後退していくオールドディガーの姿に、フッと肩の力が抜ける。

 貸し1つ。あの男に作って置けると考えれば悪くない話だろう。

 残された甲冑騎士が如き見知らぬスチーマンを前に、吾輩はエグランティーヌの目でライフルの照星を覗き込んだ。


「アルノルト・ヂゼル・ホンスビー。確か、コラシー防衛隊においてエースと呼ばれた男、であるな」


『ご存知でしたか』


「何、今しがた思い出したに過ぎんよ」


 大した巡り合わせであろう。本来ならば斯様な強者と武器を交えられる等、貴きを自負する身としてはこの上なき光栄。

 今でなければ、どれほど喜べたか。否、このような相手でもなければ、あの2人が苦戦するとも思えないが。

 彼は静かにこちらへ機体を向き直らせると、エグランティーヌの外見を一瞥して大して興味もなさそうな呟きを漏らした。


『しかし分かりませんね。貴方はモレル家の末席。家訓に対立し、合理を賛美する方と聞き及んでおりましたが』


「確かに吾輩は、合理を尊ぶよう振舞ってきたつもりだ。我がモレルの家名が没落した背景には、情や義理を重んじた父や祖父の教えがあると信じて、である」


 コラシーの建造より携わっておきながら、弱きに寄り添い続けることを選んだが故、モレルは今や貴きに名を連ねていない。

 この事実が若かった自分には許せなかった。血脈より受け継がれた指導を刻まれておきながら、それに反発して家名をあるべき光の下へ戻すのだと躍起になって。

 思えば昔の自分は、他に縋るものがなかったのだろう。失った誇りの原因を見出せず、父祖らの行いが過ちだと決めつけるほかに。


『今もなおそうであると?』


「まさか。単にくだらぬ事と覚えたのみ」


 自嘲的な笑みはホンスビーに向けた物ではなかった。

 足掻けども足掻けども、吾輩はただの用心棒。仕事人としての名声は高まれど、貴きに価値を見出されることなどない。

 それでも後には引けぬまま、ただ淡々と金の為に賊を狩るばかりで縁を結ばぬまま繰り返す銃火の日々に、いつしか疲れていたのだろう。


「吾輩は親不孝者だ。父や祖父が守り抜こうとしたものに、今更手を伸ばそうとしておる」


 でなければアルジャーザリーの戦いで、どうして非合理を承知でニコラ・ワルターを救うことを選んだのか。

 どうして今日、自らの損を知りながら彼奴の前に立ち塞がろうか。


「真に貴きとは、都市の外では数え切れぬ砂粒よりも価値のない家名などではない」


 スナップスイッチを叩く。圧力計の針がレッドゾーンのギリギリまで跳ね上がり、エグランティーヌは溢れた蒸気を大きく吐いた。


『感情に流される人の末路は、歴史が示すとおりでしょう。誰かが変えない限り、愚者の群れは常に同じ道を辿るのみ』


「フッハッハッ! まるで己が愚者でないかのような物言いであるな!」


 おかしくてならなかった。

 ああそうだ。アルノルト・ヂゼル・ホンスビー。吾輩は自らの影を見るかのような気持ちにすらなろう。

 だとすれば、だからこそ吾輩は退かない。既に道を分かたれたつまらぬ己の過去を前にして、ただの男なれば。


「貴殿や吾輩のように冷めた目で世界を見る者は、所詮時代の大波に浮かぶ木っ端。どれほど己が身分を着飾り、文明の導き手や革命の旗頭かのように振舞ったとて同じことよ」


『証明して見せよと仰るか』


「言葉など不要であろう。吾輩はただ、義によってここに立つ」


『ベンジャミン』


 静かな、しかし力の籠った声が背中に響く。


「……そうか。我らは、でありましたな」


『はい。ニコラ達、皆です』


 元雇い主は随分と吾輩を買ってくれているらしい。それが嬉しくもあり、こそばゆくもある。

 であればこそ、吾輩もまた応えたいと思うのだ。お互いに不器用極まりない生き方しかできない者として。


『皆……待て』


 騎士のような敵機が不穏な空気を醸し出す。

 それはすなわち、吾輩にとっての勝利と呼んで他ならない。


『驚きましたよ。まさか、ここまでやってくれたようとは……!』


 込み上げてくる声を堪えることなく、吾輩は派手に笑ってやった。

 それはそれは気持ちよく。ここまで笑ったのはいつぶりだろう。


「ハハハハハハハハハ! 影の手を気取っておきながら、エース殿も存外足元が留守であるなァ!」


『……ふふ』


 揺らめくような怒りが視界に滲む。


『貴様ら……!』


 だがそれが何だと言うのだろう。

 奴がどんな感情を抱いたとて、時間が巻き戻ることはないのだから。



 ■



 監視員たちには感謝しなければならないだろう。

 音も熱もセンサーも使い物にならない濃密な砂塵の中、雨あられに目耳鼻をざらざら浴びて、それでもゴーグルを拭いながらアタシたちを導いてくれたのだから。


「突撃ぃ!!」


 砂の壁を突き破る。ようやく開けて見えたガラスの向こう。

 黒いデミロコモは目と鼻の先にあった。


「む、無茶しすぎですよ社長! 砂嵐を抜けられただけでも奇跡なのにぃ」


「うっさい! 上手くいったんだから文句言うな! 砂は後で洗い流せばいいし!」


 砂塵を纏う暴風に、どうにか踏ん張った車体を震えながら操り続けたサミーだが、抜けたところで弱音を吐く辺り実に彼らしいと思う。

 だが、私は車長であり社長なのだ。成すべきが終わるまでは可愛い部下の背中を蹴っ飛ばさなければならない。


「進路そのまま! 各砲座、アリゲーター級っぽいデミロコモの側面に集中! 外すなよー!」


「んふふ、目を瞑っても当たる距離ねぇ。ちゃーんとぶち抜いて、あ、げ、る」


 伝声管越しに不敵な笑いを浮かべるメル。彼あるいは彼女にしてみれば、ここまで目前の先に迫ったターゲットなど、目を瞑っていても当てられるだろう。

 対する敵車両は、ベンジャミンとニコラが向かった施設の方に狙いをつけたままだったらしく、正反対の方向から現れたアタシ達に全く対応できないでいた。


「ぶっぱなせぇ!」


 激しい振動と轟音が車体を包む。

 アパルサライナーはあくまで商用デミロコモ。主砲と言っても単装砲1門のみで、純然たる軍用モデルと比べれば貧弱極まりない。

 それでも、至近距離から撃ち込まれた砲弾は、アリゲーター級とよく似た車両側面に破孔を穿った。


「敵車両、右舷装甲に損傷確認!」


「サミー、ギリギリまで寄せろ! 左側面シャッター解放! 爆雷戦用意!」


「ひえええ、もう無茶苦茶だぁ!?」


 距離を取ろうと舵を切る敵車両に、泣き言を叫びながらサミーはアパルサライナーを擦らせんばかりの勢いで突っ込ませる。

 ジリジリ近づく敵の姿に、アタシは早く、早くと舌を打つ。

 アリゲーター級の足は速い。一旦速度を乗せられたら、車体を合わせられる機会は巡ってこないだろう。

 離れられたらこちらの負けだ。それでも急かさないよう確実にと拳を握りしめ。


「反撃きます!」


「ッ! 躱すな! 逃げたら負けだ! うわぁッ!?」


 ガァンと激しい音がして、損害を知らせるベルが激しく鳴り響く。

 身体を支えるのに握りしめた伝声管は、間を置かず騒がしくなった。


「左舷第2シャッター破損、動作不能! キャビンブロック3に火災発生!」


「機関室、補器圧力管損傷! 圧力漏れ発生!」


「消火活動急げ! 補器主管閉鎖、バイパス管バルブ解放! あんな副砲くらい、アタシ様のアパルサなら耐えられるってとこを見せてやる!」


 アリゲーター級の主砲は車体の天面に備えられた旋回式で、俯角はほとんど取れない作りだ。この距離では背の高いアパルサライナーにも狙いは定められない。

 それをカバーする形で配置された副砲は、主にスチーマンを相手にするための小口径の速射砲。そんなもの、数発貰ったところで。


「敵側面、速度、距離合わせよし!」


 チロリと唇を舐めた。

 この1回しかチャンスはない。それがしっかり巡ってきた。


「爆雷、穴ン中へ突っ込んでやれぇ!」


「投射、投射ァ!」


 ガンガンと音を立て、支えに乗ったドラム缶が側面シャッターの中から跳び上がる。

 本来は近づいてくる奴を追い払うための武器であり、狙いなんてつけられはしない。実際、4発放たれた内の1発は敵車両の上を転がって反対側に落ち、2発は側面装甲にぶつかって弾かれた。

 ただ、最後の1つだけは、こちらの主砲によって破れた装甲の隙間に引っかかり、それも敵の車両が反撃を撃った振動で内側へ転がり込むのが見えた。


「車長! 左舷損傷拡大! これ以上は!」


 伝声管越しに響く機関長の悲鳴にも似た声を前に、アタシは静かに口の端を歪める。


「それでも、この勝負アタシらの勝ちだ! 進路右! 機関排気ブースト、前進一杯! 主砲、サーメート用意!」


「排気ブースト、前進フルギア!」


 普段なら絶対に使わない、蒸気圧を循環から排気に切り替えた全開運転。

 あー勿体ない勿体ないと首を振りながら、白く立ち上がる蒸気の向こうで、離れていく敵車両を振り返る。


「総員衝撃に備え!」


『熱いの1発、お見舞いするわよォん!』


 斜め後方へ向けられた主砲から黒煙が立ち上がる。

 たった1発の砲弾。それでも、メルの狙いは恐ろしいほど正確で、あの破れた装甲の隙間へと吸い込まれていく。

 内側が赤く光って見えたのは、ほんの一瞬だったと思う。

 その後は高く高く上った黒雲と、空へ舞い上がる金属の破片ばかりが、アタシたちの視界全てだったのだから。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?