どこをどう走ったのか、俺はあまり覚えていない。
如何せん地下施設だ。どこもかしこも似たような景色ばかりで、これと言った目印すらない。
ただ後ろから、スロープを下れ通路を進め曲がれ曲がれ降りろと、言われるがままに走って訪れた、古ぼけた格納庫らしき部屋の一角。
オールドディガーはまるで疲れ果てたかのように、そこで蒸気を吹いて停止していた。
その姿を外から見上げて溜息を吐く。
「逃げるにしてもなんで地下なんだ。ここじゃ状況変わんねぇだろ」
「2人を囮に遠くへ行った方がよかった?」
「そっちの方が可能性はあっただろうな」
同じく外へ出たサテンは、毒づく俺を振り返りもしないで、大股に機体の後ろへ回っていく。
そこから見えるのは、増設された圧力タンクが切り離されて、何となくバランスが悪くなった背中だけ。背負子にコンテナを背負わせれば、どうせ見えない場所ではあるのだが。
「まぁ、やれっつわれてもやらなかっただろうけど」
「ポリシー?」
「ああ。正直今でも、ぶっ壊されるまで殴り合った方が良かったんじゃねぇかとすら思ってる」
「やられる前提ならね」
小さなランプが愛機の背中を照らす。
サテンが何を知りたいのか。まるで見当もつかない俺は、ただただ白く丸く照らされるそれを目で追う事しかできなかった。
「勝てると思うか?」
「ディガーの出力、半分も出てないでしょ。ハッキリ言って、無謀かな」
「同感だぜ。いや、万全だろうと無謀に変わりはねぇだろうがよ」
敵機の出力は桁が違う。
これまで多くの中型スチーマンとは殴り合いもしてきたが、あんなに機敏であんなにパワーのある機体を見たことはない。
それほどまでに、外燃式というのは性能が違うのだろう。コストを度外視にしなければ選択肢にすら入らないであろう代物だが、ようするにホンスビーの執念はそんなレベルなのだろう。
無謀に変わりがあるのか、と俺は訝し気な視線をサテンに向ける。あの2人に全部丸投げした挙句、これで何も得られなければ合わせる顔もないのだが。
「勝ち筋があるとしたら、1つだけ」
「ってぇと?」
ピタリと白い丸がある一点を指して止まる。
それをジッと見つめたサテンはようやくこちらを向き直り。
「手伝って」
と、短く言った。
今更俺に否やはない。言われるがまま、普段は背負子を繋いでいるハンガーユニットを、外部レバーで操作して下におろす。
その間、彼女はとつとつと何かを語り始めた。
「君は知ってる? オールドディガー、ヘロン式甲3型C-02スチーマンが、本来どういう風に運用されていたか」
「ジジイから聞きかじった程度だがな。燃料戦争の終盤で実戦投入されて活躍した、最後の大型傑作機だとか何とか」
だからこそ、かなりの時間が流れた今に至ってなお、一定の部品供給があって機体を維持できているのだろう。
とはいえ、新品がほとんど出回らない辺り、スクラッパーが集めて帰って来る廃材の中に紛れている部品を再利用しているだけな気もするが。
「当時のスチーマンは――ううん、あらゆる蒸気機械はまだ蓄圧ということを前提にしていなかった。燃料が失われていく中で、圧力を保持する研究はされていたけれど、まだ人々の間には余裕があったんだ。戦争に勝ち続ければ、次の燃料が手に入るって」
はてなと首を捻る。サテンの話を全部理解できたことなんてこれまでもなかったように思うが、それにしたってまるで脈絡が掴めない。
「だとして、そんな昔話に何の意味がある?」
「上げて」
「ほい」
サテンに手を引かれてハンガーユニットに足を乗せれば、今度は持ち上げろと言われる。
人間だけを乗せてこれを操作したことなど、今までには数える程しかなかったように思う。
そのまま固定位置まで行くのかと思いきや、彼女は唐突に止めてと俺を手で制した。
「よかった、間違ってない」
一体何のことなのか。まるで分かっていない俺は、サテンの手元を睨みつけるように覗き込む。
そこにあったのは丸く大きな、蓋だか覆いらしき部品。しかも取手とヒンジがついている辺り、解放できる構造らしい。
「メンテナンスハッチか? こんな場所触った事ねぇけど」
「だろうね。使う必要がない場所だもの。開けて」
また言われるがまま、俺はやけに厳重なロック機構の施された取手に手をかける。
むやみやたらに重たい蓋を引っ張ってみれば、何やら圧力を押し留めているかのごとき分厚い鋼鈑が見え、その奥には妙に拾い空間が広がっているのが見えた。
「……こりゃあ機関部か?」
「鋭いね。正解だよ」
「こいつも元が外燃式だと聞いた事ぁあるが、こんな場所にボイラーやらがあったのか」
実物なんて廃材以外ではほとんど目にしたことはないが、朽ちていないだけで形はほぼ同じ。
でなければ、俺が答えを出すことなんてできなかっただろう。否、それはともかくとして。
「で、今更こんなモンどうするつもりだよ」
「この子が持つ本来の心臓を動かすんだ」
「動かすってお前、外燃機関ってのは確か……ボイラーに燃料入れて火ぃ起こして、どっかしらに水通して沸かす、だっけか? どっちも手元にゃねぇぞ」
くるくると指を回しながら、どこかで聞きかじったような知識を頭の奥底から引っ張り出す。正直それだけでもこめかみがキリキリと痛んできた。
湯を沸かす力で機械を動かすのは、まぁ間欠泉から蒸気を貰って動くのと同じように思えなくはない。だが、あまりにも規模が違いすぎるせいか、どうにも想像が上手くできないのだ。
しかし、サテンはそこを詳しく説明するつもりはないらしく、分かっている前提で話を進めた。
「だから、汽水タンクの中に完全蓄圧コアを直接投入する。そうすれば、蓄えられた蒸気だけでスチーマンくらい簡単に動かせるはず」
「キヒッ、燃料無制限のスチーマンってか? 夢みてぇな話だが、なァんでわざわざ機関なんて面倒な場所を触るんだ。蒸気を出せるなら蓄圧タンクの中に放り込むだけでいいんじゃねぇの?」
「増設された蓄圧タンクとバイパス管じゃ、間違いなくコアの熱圧力放出に耐えられない。いや、ホンスビーを倒すには、耐えられないくらいの圧力が必要なんだ」
「それが、もしかしたら壊れるかもっていう部分か?」
とりあえず話は追えている。もしかしたら俺は、意外と頭が悪くないのではと思えるくらいには。
「ずっと使われてこなかった部分だろうからね。正直、バルブが解放できるかすら不安だよ。それに本来なら、コックピットからコアを制御する機構も搭載するべきなんだけど、改造用の資材も機材も技術者も居ないんじゃ到底無理。だから、弱点になる蓄圧タンク系を全部切り離した上で、コアの出力に5日間のタイマーを設定した上で機体スペックの限界圧力を投入する――っていうのが、私の考えなんだけど」
ポリポリと頬を掻く。
何故だろう。サテンがとても楽しそうに見えるのは。
「ほーん……まぁあれだ。とりあえずやってみようぜ。どうすりゃいい?」
なんてとりあえずで言ってみれば、どうしてかサテンは目を丸くして、何なら半身を軽く引かせるではないか。まるで信じられない物を見たかのように。
「随分アッサリ言うんだね。蒸気漏れが起これば自爆することになるかもしれないのに」
「あ、そうなの?」
「そうなのって……え?」
まるで噛み合わない会話だったと思う。
お互いに見つめ合ったまま、数秒の沈黙が流れる。そんなことをしている余裕なんて何処にもないだろう、と意識が戻ってくるまでそれくらいかかったのだ。
「いや、何か色々気にしてもらったみてぇで悪ぃんだがよ。俺多分、話の半分も分かってねぇんだわ。とりあえず、アイツを殴り倒せるならやってみるかってくらいでよ」
唇をすぼめて両手を軽く広げる。
そんな俺を見て数回瞬きを繰り返した彼女は、また少し間を置いてからプッと小さく吹き出した。
「フフッ、アハハハハハッ! 君らしくていいね、それ! 分かった、やろう!」
何故だろう。いつもの調子の笑い声に、どうして俺は呆れもせずにホッとしていた。
ともあれ、動き出してしまえばやることは単純。
サテンは機関部の中へ体を潜り込ませ、ランプを片手にごちゃごちゃやって、俺はその指示に従って動くだけ。
彼女の鞄をコックピットから引きずり出したり、アレ取ってこれ持ってと言われること暫らく。オイル汚れを頬につけたサテンは、玉のような汗を輝かせながら親指を立てた。
今度は揃ってコックピットへ戻り、いつも通りの定位置へ尻を収めた。
「蓄圧系統バルブ閉じ、増設部切り離し」
電磁弁が静かに閉まり、続けて俺がレバーを倒したことでガツンと派手な音を立てて補助タンクが外れ落ちる。
「残圧、機体内部系統のみ。次はどうすんだ?」
「最終確認。コア制御の出力の絞り値は最低だけど、これでも正直圧力的にはギリギリ定格超えてると思う。ホントにいいんだね?」
普段は何事にも大胆に動く癖に、こんな時ばかり少ししおらしい声を出しやがる。
それが腹立たしく思えないのだから、俺も大概なのかもしれないと自嘲的な笑みが零れた。
「ハッ、今更ケツまくるかよ。やってくれ」
「わかった。汽水タンクバルブ開放」
全く聞き覚えの無いスイッチに、なんじゃそりゃと手元を探す。少なくとも俺の周りにあるものは全て把握しているつもりだが、なんて思っていたら、どうにも後部座席側にしか存在しないようだ。
曰く、サテンの座っているそこは本来、機関士兼ガンナーシートなのだとか。効いた所で、昔の連中がどうやって使っていたのかはイマイチ想像がつかないが。
程なく別の場所から電磁弁の動作音が聞こえてくる。ただ、先ほどとは違いガリガリと耳障りな音を立てていた。
それですら、現状ではほぼ奇跡と言う他ない。
「よし……動いてくれた」
「流石リヴィだぜ。必要ねぇ場所までいい仕事しやがるぜ」
むやみやたらに改造やらパーツ更新を進めてくる変人娘だが、今回は頭の下がるばかりだ。
あるいはそれが、あの工房のポリシーなのだろう。堅物な爺さんもいい弟子を育てたものだと思う。
音を待つこと暫し。コココキンキンと蓄圧タンクに充気するような音は聞こえるが、中々針は動かない。
「なんつーか、呆気ねぇな。大丈夫なのか?」
「……多分、だけどね」
俺達の視線は同じ計器類に向けられていたことだろう。
動作圧力低下警報のランプはまだぼんやりと光ったまま。圧力で動作するダイナモも止まっている為、蓄電池電流計も消費側に小さく振れている。
「これで動かなかったら、この地下施設がオールドディガーの墓になっちまうな。キッヒッヒ」
「規模からすれば、まるで王墓だね。私達は従者ってことになるのかな」
「できれば、そうはなってほしくねぇんだが……おん?」
オールドディガーはまるで永い眠りについたかの如く動かない。そんな中、尻に感じた微かな振動は機体の動作とは別物だった。
「――どっちだ」
ズシンと響く金属質な足音は、少しずつ少しずつ近づいてくる。
見つかりにくい場所に隠れたつもりではあった。しかし、どうしてだろう。俺の直感は既に見つかっていることを確信していた。
傷の入った装甲は、ここまで善戦してくれた証だろうか。最初に見た時よりずっと多くの傷をつけた白い機体は、しかし大きなダメージを負ってはいないらしい。
青く輝く細いカメラユニットが、しゃがみこんだままのこちらを上から見下ろしていた。
『かくれんぼは終わりです。ミス・キオン、ミスター・ブローデン』
「チッ、テメェが来たってこたぁ――」