目の前にスチーマンの頭部が転がる。四つのカメラを持つ縦長で、ガンメタルの塗色を施されたそれは、強い衝撃に潰されたのであろう。
エグランティーヌ。長くない共闘の中で見慣れた機体の頭部に、俺は静かに拳を握りこむ。
奴が持ってきたのはこれだけだったが、噂のエース様がどちらかを見逃したということもないだろう。
「ベンジャミンさん、ニコラ……!」
『正直、そちらを過小評価していたのは否めません。まさか、砲撃支援まで切られるとは』
やったのかと聞きたかった。否、どんな言葉を交わすより真っ先にぶん殴ってやりたかった。
だが、相棒はまだ目覚めない。あるいはその可能性すら失われているのかもしれないが、それでも俺は怒りを奥歯で噛み殺しながら、ゆっくりと息を吐いた。
「予想外ってのも当然だぜ。俺たちゃ誰にも何も、助けてくれなんて言っちゃいねぇんだからよ」
「びっくりしてるのは私達も同じってね」
ふんとサテンも小さく鼻を鳴らす。
仮に敵のデミロコモが撃破されたのだとすれば、後ろに来ているのはアパルサライナーだろう。そもそもあの2人だけで、封鎖された駅を突破してこんな場所に訪れるというのは、片道切符が過ぎる。
『とはいえ、その予想外な足掻きもここまでです。コアを渡してもらいましょうか』
「キヒッ! 欲しけりゃビビってないで取りに来いよ。こっちの腹ン中までなァ!」
これが外でのタイマンなら、奴の眉間に唾でも吐いてやっていただろう。
見えてもいない相手に舌を出しながら、立てた親指をした向けに落としてやる。その姿が面白かったのか、後ろでサテンがクスクスと笑っていた。
ああ、こんなに滑稽なこともないだろう。動けないスチーマンの中で、俺達はまだ強がりを叫んでいるのだから。
『全く理解に苦しむ。尤も、覚悟を決められたのならば私の理解など不要でしょうが』
激しい衝撃に視界が揺れた。
シートベルトが肩に食い込み、背中に伝わった衝撃が吐き気となって腹の底を揺さぶってくる。
「ぐっ……野郎」
「けほっけほっ」
気持ちよく蹴っ飛ばしてくれたらしい。むせるサテンにくぐもった声が出かかったが、何をするより早く機体がジワリと持ち上げられた。
オールドディガーをリフトするだけのパワー。まさに中型スチーマンとしては規格外のそれに、どうしてか自然と口笛が転がる。
『ここまでご苦労でした。お二方』
構えられる拳。専用のナックルプロテクターまで展開している辺り、1発でコックピットを潰すつもりだろう。
これだけの出力だ。直撃を貰えば頑丈なディガーとて耐えられはしない。
操縦レバーを強く握りこむ。死んでもこいつを離さず、最後まで敵から目をそらさないことが、せめてもの抵抗だと口の端で笑って。
――寝起きが悪いぜ、相棒。
ガツンと音が鳴った。
痛みはない。それどころか、機体には大きな衝撃すらなかった。
『ほう?』
モニターに映る大きな手。
オールドディガーのマニピュレーターが、確かに奴のナックルプロテクターを受け止めていた。
『タンクをやられてまだ動きますか。ん――?』
心底不思議そうな声に、さっきまでとは違う笑いが喉の奥から上がってくる。
動いたのだ、ディガーが。止めたのだ、敵の拳を。
そのきっかけが何だったのかなんて、俺には分からない。いや分からなくていい。
この世は結果が全てだ。
『な、なんだ、この蒸気は』
聞いたことのない程低く、力強いブラスト音。
逃げ場を失った圧力が安全弁から噴き出してなお、圧力計の針は勢いよくレッドゾーンまで跳ね上がる。
「主幹圧力上昇。安全弁、ブロー管正常動作」
穏やかに聞こえるサテンの声に混ざった、キンキンと鳴る特徴的な金属音。
それでも、配管がシリンダがピストンが、どれ1つとして破裂することなく力を伝えていた。
「へへ、今の蹴りで思い出したぜ。歯抜けにも手ェ回してたんなら、テメェにゃずーっと殴られっぱなしだったってことになるよなァ?」
『無駄な悪あがきを。パワーで劣るそちらにできることなど……?』
敵機のナックルプロテクターを包むほど大きなマニピュレータが、ゆっくりと拳を閉じていく。
蒸気の圧力を力に変えたそれは、ミシミシと金属の軋む音を奏でていた。
オールドディガーの指ではない。敵の白いプロテクターがだ。
『何故だ? 何故振りほどけん!?』
「出力定格位置。加減弁全開」
「キヒッ、キヒヒヒヒッ! これだ、これでようやく五分だ」
俺の相棒は古い。それでも新しい奴に性能で負けないよう、色々手を尽くしてきた。
だというのに、こいつはただ本当の力を出せていなかっただけだと言うのだ。寡黙なのは嫌いじゃないが、少し裏切られたような気分になる。
ああそうだ。こんなに楽しいことはない。
「礼を言っとくぜ。わざわざ掴ませてくれてありがとよクソ役人」
『馬鹿な……このデストリエがパワー負けを?』
「ハッ、最新鋭機っつったって所詮は中型だな。条件が同じなら、重さが正義なんだよォ!」
振り上げた左の拳を、錆止め色のナックルプロテクターが音を立てて覆いかぶさる。
レバーを力一杯前へ。その動きを全くそのままトレースするかのように、オールドディガーは綺麗なストレートを敵機の顔面へ叩き込んだ。
『ぐほ……ッ』
のけぞった敵機は外装がひしゃげ、センサー系の装置がバチリと火花を散らす。
それでも逃がしはしない。敵の拳を握りつぶす勢いで掴んだまま、上から下から拳を連続で叩きこむ。
「ヒャハハハハハ! オラオラオラ、ガキの遊びだってんなら止めてみやがれやァ!」
ガンガンと派手な衝突音が響き、その度に向こうの外装が凹み、こちらのナックルプロテクターも塗装が剥げて少しずつ歪む。
だが、貫くのはこっちが先だと大きく振りかぶった時だった。
まるで支えを失ったかのように、敵を掴んでいた手からガクンと力が抜ける。
否、実際に支えは失われたのだ。関節と言う支えが。
『喧嘩屋風情が、吠えてくれるものです……!』
「おいおーい、躊躇いなく腕を切り離しやがるか。金持ちはやることが違うねェ」
軽いステップで距離を取った敵機は、左腕が肩から失われていた。当然だ、そいつは俺の手元にあるのだから。
その潔さは嫌いじゃない。役人にしておくには惜しいくらいには。
「ヒュージ君、油断したらダメだよ。アイツ、機体性能だけじゃない」
「誰に言ってんだ。喧嘩で油断なんざするはずねぇだろ。敬意をこめてボッコボコにしねぇとなァ!」
無駄な心配だと吐き捨てて、スナップスイッチを叩いてペダルを強く踏み込んだ。
クローラー展開。それも普段より明らかに素早く、機体が置いて行かれそうになるほどの勢いで床を走り出す。
「っとととととォ!?」
パンチのつもりがタックルになりかけたが、寸での所で向こうに躱される。
いや、躱してもらえてよかったかもしれない。ぶつかっていたら間違いなく一塊になっていただろう。
『く……先より遥かに速い。これがコアの力ですか!』
火花を散らしながらドリフト気味にホンスビーへと向きなおる。
心臓がバクバク鳴っていた。少し涎も垂れていたかもしれない。
「キ、キヒッキヒヒッ……なんだよ、なんだよこりゃあ。相棒テメェ、こんな力秘めてやがったのか。危うくチビっちまうとこだったぜェ?」
込み上げてくる興奮に笑うのも一瞬。正面から飛んできた蹴りを、いつも通り片腕を持ち上げて受け止めた。
そう、受け止められたのだ。
『不釣り合いな力は、いきなり扱い切れるものでもないでしょう』
「ハッ――土壇場でもやってみせんのが、都市外労働者の仕事だろうがぁぁぁぁあぁん!?」
『ならばその実力、魅せてみなさいアウトロー!』
拳と拳、足と足、肘、肩。
時に受け流し時に躱しながら、機体のあちこちが至近距離でぶつかり合う。
条件は五分。だが、それは何もかもが拮抗しているという訳ではない。
パワーなら重さがある分こちらが有利でも、スピードでは基礎性能の差からかホンスビーの方が速かった。
それはほんの僅かな差であっても、熟練したパイロット同士のインファイトでは決定的な違いを生む。
ほんの一瞬。瞬きするより短い時間分でも遅れた反応が、機体の腹部にガチンと派手な音を立てた。
「ッぉ……うぇ」
サテンのえずくような声にも、気を回してやる余裕はない。
口の中に走った血の味を、自分の腕に向かって吐きかける。
「へへ、いいパンチしやがる。如何にも訓練してきたっつぅ動きだが」
「ぇぷ……定格出力でも機動性じゃ勝てない、みたいだね」
「だとしても、パワーじゃこっちのが上だ! どこまで続けられるか見てやらぁ!」
『強がりですね。当たらない攻撃に何の意味があるというのか』
1発入れて調子が入ったのだろう。受け流しのキレが良くなったように見える。
調子に乗らせるのはよろしくない。眉間に皺を寄せながら、敵の攻撃を見極めて致命傷にならないよう的確に受けつつ反射で攻撃を。
「……そうだ。そのまま続けて」
「あ゛!? そうすりゃどうなる!?」
先の見えない打ち合いの中、俺は振り返りもしないで叫んだ。
完全な消耗戦。先に集中が切れた方が負けだろう。
だが、サテンには違う未来が見えたらしい。
「私たちの持つ最大の強みは、多分それなんだ」
「何だか知らねぇが任せるぜ! どうせ他にできる方法なんざねぇんだ!」
機体を捻って肘打ちの衝撃を逃がす。続くアッパー気味な動きも機体を反らせれば、外装をかすめて通るのみ。
返す勢いで低く握った拳を返せば、相手はひらりと半歩の距離を置く。ならばと追い打ちに前蹴りを突き出しつつ後ろへ下がれば、ステップを踏むように距離を詰めてくる。
『今更逃げ腰ですか?』
「んな訳ねぇだろ! サテン!」
「どうだ!」
突き出した腕から爆音を立てて飛び出したチェーンウインチ。
不意を突けたかどうかは分からない。ただ、ホンスビーはひたすらに冷静だったのだろう。
せまるフック状の先端を、ナックルプロテクターで軽く弾くだけで狙いを反らして見せた。
『ふん、小賢しい飛び道具を……』
「クソが、本気でいい腕してやがる」
「流石に当たると思ったんだけどな」
反応速度も動きの柔軟性も、ただ訓練されただけのパイロットではない。
熟練。それも相当の場数を踏んできたのが分かる。
――この全部避けられる感じ。ジジイを思い出すぜ。
チェーンは巻き取らずに切断。全く勿体ないやり方だが、ここで出し惜しむ程俺は馬鹿になれないのだ。
ただ、パージスイッチを叩く一瞬さえ、奴には隙と取れたのだろう。
『腹立たしいものですね。屑拾い程度が、この私を評するなど!』
「ぐえッ!?」
振り抜いた横フックを姿勢を沈めて躱したかと思えば、肩を前にした格好のタックルが綺麗にディガーの腰へ突き刺さった。
反応が遅れたせいで、愛機のパワーをもってしても勢いを殺し切れなかったらしい。ペダルを踏めども踏ん張り切れず、そのまま仰向けに倒れ込んだ。
馬乗りの姿勢となった敵機の腕で、ガチンと長い金属棒が展開されたのが見える。そいつは派手にオーバーフローした蒸気を噴き出して、尖った先端をこちらへ向けていた。
「やば、避けて! スチームパイルが来る!」
スチーマンが備える一撃必殺。その威力は誰より知っている。
『これで仕舞いです!』
「んな訳に、行くかよォ!」
正直、何をどんな風に操作したのか。感覚のままにレバーとペダルを動かしたおかげで、もう一度再現はできないだろう。
オールドディガーはそんなパイロットの無茶に応えてか、腰を突きあげるようにパワーを入れつつ、全身を捻って床に火花を散らした。
まるで巨大な鉄球でも降ってきたかのような音が部屋に響き渡る。
一気に解放された圧力の力。それは単純な鋼の筒を押して飛び出すだけの代物だが、機体ごと床に穴を穿つほどの威力を誇ったらしい。
強いて言えば、パイルが轟音を鳴らしたのはほぼ床に対してであり、オールドディガーは肩を覆う外装が綺麗に弾けとんだだけ。
『いい反応です。しかし次はありません!』
音を立てて収納されるパイル。普通の蓄圧式ならばこの1発でかなりの圧力を消費し、2発目は大きく威力を落とす上に圧力限界を迎えかねない無茶な使い方になる。
一方で、自ら蒸気を生み出せる外燃式にはそういう限界がない。圧力のチャージも一瞬のようで、奴の言う通りにことが運ぶかに思えた。
『何……?』
しかしどうしてか。俺の想像していたおかわりは飛んで来ない。それどころか、敵機は今までにない大きな隙を見せた。
グッとペダルを踏み込む。
「隙ありィ!」
『が――ッ!?』
奴に何が起こったのかなど、俺には分からない。
ただ、動かなかったという事実だけあれば十分だ。綺麗に突き刺さったアッパーカットに、敵機は大きくよろめきながら膝をついた。
違和感に気付いたのはその時だ。黒煙はそのまま残っていても、最初機体を覆い隠す程に噴き出していたオーバーフローの白い蒸気が、霧が晴れる前兆であるかのように薄らいでいる。
ふふふ、と背中に冷たい笑みが聞こえた。