目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第84話 山岳国

 貨物列車を乗り継ぎ乗り継ぎ、揺られ揺られて幾日か。

 ちょうどサテンの持っていた路銀が底をつくかどうか。明日の飯はそろそろ食えないな、なんて途方に暮れつつあった頃。

 その列車は歯車を線路に噛ませながら、きつい傾斜をよたよた登り、険しい山の中に聳える都市へと滑り込んだ。

 薄っぺらな雨よけが張られた駅。そこにはかすれた文字で刻まれている。


「ここがフルトニス……まるで別世界だぜ」


「私にとっての普通なんだけどね。また少し寂れたかな」


 故郷の姿にサテンは眉を曲げて笑った。

 貨車からオールドディガーを立ち上がらせ、高い視点から貨物駅の中をぐるりと見回してみる。

 決して貨物駅に活気がない訳ではない。行き交う人々も見えるし、スチーマンや蒸気ターレットが荷物を運ぶ様子も伺える。

 だが、どうしてだろうか。コラシーよりも全てが疲れているような、薄ら暗い雰囲気が漂っているように感じられた。


 ――俺が考えることじゃねぇわ。


 明日の飯を食う為だけに働く都市外労働者が、国の行く末がどうのこうのと。

 共に過ごす時間が長くなる内、知らず知らずサテンに当てられているのだろう。そう思いながら、機体を1歩進ませたところで。


『大型スチーマンへ告ぐ。こちらはフルトニス入国管理局である』


「あぁん?」


『入国証明を確認させてもらう。直ちに機を停止し、コックピットから出ろ』


 見ればいつの間にか目の前に、散弾銃と盾で武装した2機の中型スチーマンが立っていた。

 動物の描かれたエンブレムはフルトニスの国旗だろうか。中々高圧的な雰囲気だが、そもそも俺は他所の国へ入る手続きなんてしたことがない為、面倒だとは思いつつもとりあえず言われた通りに外へ出ようとして。

 ベルトを外そうとした所で、後ろからサテンが俺を乗り越えていった。シー、と唇に人差し指を添えながら。


「よいしょ、っと、お勤めご苦労様」


 止める間もなくコックピットハッチを開けて外に出た彼女は、やぁ、なんて軽々しく手を挙げて見せる。

 役所勤めの連中というのは、往々にしてプライドが高い。フルトニスがどうかは知らないが、基本的に都市外で働く連中なんていうのは下に見られる訳で、そんなのがへらへらした態度を取れば余計に目をつけられそうなものだが。


『なんだ貴様馴れ馴れし――えっ?』


 睨みつけるように近づいてきた1機が、どういう訳かその場で硬直する。

 女が乗っていると思わなかったのか。いやまさか、今時スチーマン乗りに男も女も関係ないと思うが。

 そんなどうでもいいことを考えていた矢先。


『き、キオン家のサテンお嬢様!?』


「あっ、意外にちゃんと覚えてるんだ」


 そのスチーマンは明らかに狼狽えた様子で後ずさる。なんなら、後方に控えていた方も驚いた様子で、構えていた武器を慌てて下ろしていた。

 否、そんなことよりもだ。


 ――今お嬢様っつった?


 嫌な予感が背中を這い回る中、開け放たれたままのハッチからサテンを眺めてみても、奴は振り返りすらしない。

 一方、入国管理局側は咳払いを1つ零し、どうにか平静を取り繕った。


『んん、これは失礼致しました。しかし、何故貴女様のようなお方が貨物列車などで……』


「まぁ色々あってね。それより、国人くにびとにも入国許可証って必要だっけ?」


『い、いえ、ですが暫しお待ちください。警備04より管理室、要人の帰国あり。各所に伝達されたし』


 振り回されてるなァ、と他人事のように思う。身に染み付きすぎて、それが当たり前になっている自分が怖い。

 ようやくこちらを振り返ったサテンは、後ろ手に小さく2つ指を立てて見せる。

 尤も俺は、コックピットの中で頬杖をつくぐらいしかできないのだが。


「今更だけど、お前マジモンのお嬢様だったのな」


「うん? 大したことないよ。ちょっとだけお金持ちな家の子どもってだけだし」


「……ほーん?」


 金持ちというだけなら、別に意外でもなんでもない。

 いつも通りのどこか悪戯っぽい微笑み。だが、どうにもそれが胡散臭く思えて。


『お待たせ致しました。第2ゲートへとお進みください。迎えのロコモが待機しております』


 手続きというにはあまりにも一瞬だったらしい。最初の高圧的な態度が影を潜めた入管機は、わざわざ頭を下げてみせる。


「うん、ありがと。あ、同乗者が1人居るけど大丈夫?」


『他国でお雇いになられたパイロットの方でしたら、別に入国審査が必要となりますが』


 それはそうだろう。別にやましい事がある訳でもないため、俺だけ入国管理局に出向けばいい話。

 そう思って腰を浮かせたところ、モヒカンの中心を指先で押さえられた。


「ならこの人が、って言ったら?」


 サテンは笑っていた。しかし、一気に張りつめた空気にはあまりにも似合わない。


『警備04より管理室、追加情報。入国スチーマンに重要客人の同乗有り。サテン・キオン様名義による特殊入国手続きを請う』


 役人とはいえ雇われだからか。入管機の動きは早かった。俺は役人という連中が好きではないが、それでも少しばかり、いやかなり不憫に思える。

 何より。


「……どう考えてもただの金持ちじゃねぇだろお前」


 俺の中の疑問は確信に変わっていた。

 上流階級が優遇されるのはコラシーも同じ。平等や公平なんて文字だけにしか存在しないものであることくらい、最下層を生きてきた俺は身に染みてわかっている。

 だが、上層だからといって法律は法律。こと異国人の入出国手続きをすっ飛ばさせるようなルール無視は許されない、はず。

 だが、訝しげな俺の目を見ても、彼女はわざとらしく首を傾げてみせるのみ。


「うーん? そんなことないよ。国の中でちょっとだけ有名な家柄ってだけだしさ」


「俺ァ馬鹿だからよくわかんねぇけど、それ名士とか言う奴じゃねぇのォ?」


「アハハッ! 面白いこと言うね!」


「冗談言ったつもりねぇんだよなァ」


 ケタケタと笑うサテン。どうやらここで勘ぐっても答えは貰えないらしい。ため息を出す気力も失せた。


『特殊入国の手続き、完了致しました。必要書類は後程、管理局の入国係へお願いいたします』


「うん、ありがと」


 開くゲートを前にして、また彼女は俺の上を越えて座席へ戻っていく。

 今更何を隠す必要が、と思いはした。

 しかしよくよく考えてみれば、サテンについて知っていることの方が、やはり少ない要な気がしてならない。


 ■



「アッハハハハハ!! 似合ってない! すっごいピチピチだ!」


 人の姿を見て大爆笑するのは、よくないことだと俺様思うの。

 しかしながら、腹を抱える当本人は失礼などと露とも思っていないらしい。ピチパツなフォーマル姿の俺を、ひーひーと息を切らしながら自らの膝をバンバン叩いていた。


「息苦しいったらありゃしねぇんだが」


「申し訳ありません。すぐに用意できるもので、最も大きいサイズがこれでして」


 それなりに年季の入った使用人らしい人物が、そう言って恭しく頭を下げてくる。

 なんだろうかこの状況は。

 入国管理局を抜けて早々、俺とサテンはこの老人が運転するクソお高そうなロコモに乗って、あれよあれよと町の中心部らしい場所へ連れてこられた。

 俺にとっては初めての異国。コラシーとは違って多層都市ではないらしく、地形の裂け目みたいな場所に作られた街並みと合わせ、窓からは空までしっかり拝むことができ、なんとも新鮮な景色だと思っていた。

 呑気に外を眺めていられたのも束の間。随分と立派な作りの建物の前にロコモが停まったかと思えば、サテンにとっては勝手知ったる場所らしい。背中を押されるまま織物で飾られた部屋の中へと押し込まれたのである。

 至る現在。その犯人は俺の姿を見て目に涙を溜めているのだが。


「ふふふ……ご、ごめんね? でも着れてよかったよ。流石にお父様を前にいつもの格好じゃ不味いからさ」


「ご挨拶ねぇ? 着せ替え人形にまでなる意味なんかあんのかァ?」


 アイデンティティたるモヒカンは許してもらえたが、逆にタキシードとかいう服装からは浮いて見える。

 いや、この際見た目はどうだっていい。とにかくサイズが合っていなくて動きづらいことこの上ないのだ。これならまだ、整備不良のスチーマンの方が滑らかに動くだろう。


「次からはちゃんと準備するよ。それに、こういう服も着慣れてもらわないとこれから困るし」


「……そーかよ」


 楽し気に背中を押してくるサテンから、俺は静かに視線を反らす。

 ここまで来て怖気づくつもりはない。ただ彼女に導かれるがまま、俺は不似合いな恰好を纏った体を揺らしてとある部屋の前へ立った。

 老いた使用人が静かに後ろへと下がる。この先に着いてくるつもりはないらしい。

 一方のサテンは躊躇うことなくそのドアを開け放った。


「お父様、サテン戻りました」


 遠慮とかないのかこいつは。いや、自分とて礼儀だのなんだのを人に言えるような立場ではないが、流石にこういう慣れないヒリつきかたをする空間では多少は気も遣う。

 しかし、部屋の主をお父様と呼んだサテンには関係がないのだろう。ズカズカと敷かれた織物の上を進むと、簡素ながら美しい装飾のなされた机に座る男の前に立った。

 コトンと男の手の中でペンが鳴る。


「……ノックもせずに扉を開けるのは誰かと思えば、帰っていたというのは本当だったのだな」


 怒るでもなく呆れるでもなく、ただただ冷静にこちらへ向けられる視線。

 ジジイとは違う。だが、どこか似たような圧力を持つ男。それは経験が成すものか。あるいは姿からは想像もつかない爪を隠し持っているのか。

 どちらにせよ、変な笑いが零れそうになるのを堪える俺を尻目に、サテンは前で踵を揃えることもせず、男が向かっている机の上にひらりと腰を下ろした。

 無作法、ここに極まれり。


「こういう方が私だって分かりやすいでしょ?」


 深い深いため息が漏れる。その気持ちは分かるぞ親父さん。こいつ自由過ぎるもん。


「やれやれ、何も言わずに飛び出したかと思えば、手紙の1つも寄越さずに凱旋とは……それで、そちらは誰かな」


 細い目が俺を捉える。この格好に噴き出さない辺り、親子でも随分違う価値観をお持ちの様だ。


「コラシーで私を助けてくれた人。ヒュージ・ブローデン君だよ。秘密を知られちゃったから、置いてくる訳にも行かなくてさ」


「そうか。娘が世話になったようだな、異国の人よ。私はコルドゥ・キオンという」


「ど、どうも……?」


 疑うこともせず、コルドゥと名乗った男は静かに椅子から立ち上がって頭を下げた。

 俺は俺の外見に誇りを持ってはいるが、それがこういうお堅い雰囲気の連中に受け入れられないことも承知しているつもりだ。だが、コルドゥは気にかける様子もない。

 変わった金持ちが居たものだと、内心訝しく思う。


「でも、成果はあったよ」


 俺とコルドゥの間に会話が続かないとわかるや、彼女は鞄の中から例のコアを取り出して机に置いた。

 一瞬、男の表情が硬くなったような気がする。


「……見せられて分かるようなものでもないな。お前の夢物語は現実なのか?」


「これの全てを見た訳じゃない。けど、可能性は高いよ。少なくとも、燃料戦争期の建物を今に至るまで生かし続けていたから」


 サテンは自信ありげに口元を歪める。

 オールドディガーから取り出された後、コアは全く蒸気を吐いていない。俺のような何も分かっていない奴からすれば、いよいよ中身が尽きたのではと思う程に。

 手渡されたそれを、コルドゥは眼鏡をかけて睨んでいたが、やがて静かに肩を落とした。


「疑っても仕方あるまい。必要なのは成果だ。直ちに究理院へ送り、運用法を確立せよ。指揮はお前が取れ」


「うん。じゃあ行こうかヒュージ君」


「あ? お、おう?」


 彼女はコアを軽く攫うや、ぴょんと机から飛び降りる。

 あまりに素っ気なさに、俺の方が困惑させられた。せっかく久しぶりに再会した肉親だろうに、もう少し話せばいいものをと。


 ――新しい玩具を貰ったガキみてぇだなァ。


 なんて失礼なことを考えながら、俺も彼女の背を追うように踵を返し。


「待て」


 背中にかけられた声に、サテン共々ゆっくりと振り返った。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?