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第38話 新しい出会い

リンゴーン リンゴーン リンゴーン リンゴーン リンゴーン

5時


チーン チーン チーン チーン チーン チーン チーン チーン

8分


チン チン チン チン チン チン チン

7秒


「ん・・っは!」



 一瞬、呼吸が止まった。小鳥はベッドの上で目を覚ました。見上げた天井には、色彩豊かな”鳥のモチーフ”のモビールが揺れていた。モビールは、1人暮らしのお祝いにアパレルメーカーの同僚がプレゼントしてくれたものだ。


(と、いう事は1人暮らしを始めた2022年、かな?)


 小鳥が期待した2020年、2021年にタイムリープする事は叶わなかった。


(タイムリープは1年ずつしか時間を飛び超えられない?)


 小鳥の手はしっかりと携帯電話を握っていた。それはこの時代には発売されていないaPhone15、さすがにこれは言い逃れが出来ない。周囲には絶対、見せてはならない。 


(ええと、今日は何月何日なんだろう)


 携帯電話の暗証番号を打ち込んだ。1、0、2、4、拓真の誕生日だが、パスワードがエラーになってしまった。2回繰り返したが解除出来ない。


(やばい、やばい!)


 携帯電話にロックが掛かる事を考え、指を止めた。


(え!?どういう事!?ちょっと、ちょっと待って!?)


 小鳥は息を深く吸ってゆっくりと吐いた。これを2回繰り返した。


(パスワードがエラー、なんでエラー、どうして!?)


 もう1度、大きく息を吸って深く吐いた。動悸が激しくなり、焦りを感じた。脇汗が滲んだ。はっと閃(ひらめ)く。


(あっ!そうだ!2022年なら、私は拓真と出会ってなかったんだ!)


 2022年、小鳥と拓真は未だ出会っていない。という事は、携帯電話のパスワードは、0、2、1、4、で小鳥自身の誕生日だ。


(0214、あっ!開いた!)


 小鳥の読みは大当たりで、無事、携帯電話のパスワードは解除出来た。タイムリープも4回目となれば慣れたもので、慌てふためく事もなく、冷静に今日の日付を確認した。


(今日は、2022年4月15日、金曜日、金曜日か)


 確認したカメラロールには、2024年6月15日にタキシードを試着をしたのはにかんだ笑顔が残されていた。それを最後に、拓真の画像は一切、撮影されていない。


(・・・・拓真)


 そして今日が2022年の4月15日だとすれば、小鳥が1人暮らしをし始めてまだ1ヶ月弱だ。窓に掛かる薄緑のギンガムチェックのカーテンには折り目が付いていた。やがて、早朝の薄暗闇に目が慣れて来ると、床やソファの上に、なにかがゴロゴロと転がっている事に気が付いた。それは巨大な芋虫の様で「ひっ!」と小鳥の口から驚きの声が漏れた。


(な、なに、なに!?)


 その時、懐かしい匂いがした。檜木(ひのき)のウッディベースの香り、トップノートはベルガモット、柑橘系からグリーンを感じさせるシダーウッドの香り。小鳥が鼻先でそれを嗅いでいると、人の気配がした。


(んん!?)


 トイレの中から水が流れる音が聞こえ、便座が降ろされた。


ガチャ


 トイレのドアが開き、上背のある黒い人影がノロリと出て来た。小鳥はふたたび、「ひっつ!」と驚きの声を漏らした。


「あ、悪ぃ、トイレ借りたわ」


 無愛想な口調だった。


「あ、は、はい」


 ただ、その少し掠(かす)れた声の抑揚には、聞き覚えがあった。男性は荒々しくリビングに押し入ると、勢いよくジャケットを羽織った。ネクタイが首から垂れ下がっている。前屈みになり床を見下ろしているのでその面差しは見えなかった。


(なに、なに、なに!?誰!?どういう事!?)


 小鳥は、自分の部屋で横柄な態度を取るその男性に慄(おのの)いた。そしてその男性は、床に転がる何匹もの芋虫たちを手で容赦なく叩き始め、次々と皮を剥がしていった。


「・・・ううん」

「ううん、じゃねぇよ!」


 小鳥が、その皮がタオルケットや毛布であると理解出来たのは、1分後、いや、数十秒後だった。


「おい!起きろよ!」

「・・・・」

「おまえら、起きろ!」

「なんだよ・・・ぉ」


 部屋のあちこちで、芋虫たちがモゾモゾと起き上がり始めた。


「なんだよ、じゃねぇよ!会社行くぞ!」

「俺、休むぅ、行きたくないぃ」

「また爺ィ(じじぃ)にどやされるぞ!」

「・・・・それは、嫌」

「おい!!おまえも起きろ!」


 小鳥は、我が耳を疑った。


(さ、佐々木!?佐々木隆二!?佐々木隆二なの!?)


 と呼ばれた男性は渋々といった様子で身を起こした。小鳥は震える指でカーテンの端を掴むと、勢いよくそれを開けた。


ジャっ!


 隣の児童公園は桜が満開で、眩しい朝日が窓から差し込んだ。部屋の中は悲惨な状態で、複数人の男女が「眩しい!」「わぁ!」と叫んで顔を覆った。


「ちょ、おまえ!いきなりカーテン開けんなよ!眩しいだろ!」

「ご、ごめんなさい」

「おい!おまえら、いい加減、起きろよ!マジ会社遅刻すっぞ!」


 小鳥の目はその怒鳴り散らす男性に釘付けになった。


「なんだよ、なんか文句でもあるのか?」

「い、いいえ!」

「なら、そんなジロジロ見んな!」

「は、はい!」


 次に男性はソファで寝惚ける女性たちに声を掛けた。


!こいつらはおまえ、責任持てよ!」

「そんな大きな声出さないでよ・・・・頭に響くわ」

「ガブガブ焼酎飲むからだよ!」


(村瀬!?)


「なんであんた、そんなに強いのよ・・・」

「俺はおまえらみたいに、ぶっ飛ばさねぇんだよ!」

「分かった、分かったから黙って」

「ほら!おまえら行くぞ!」


 どうやら目の前にいる面々は、昨夜、深酒をして小鳥のアパートに転がり込んだようだ。そして。


「村瀬、村瀬 結 さん?」

「なによ、小鳥。さんづけとか気持ち悪っ!」

「ご、ごめん」


 そして、目の前に座り込んでいる女性はファッションモール店勤務の村瀬 結 で、その隣には、路面店の見知った同僚の姿があった。その誰も彼もが酒を飲みすぎた様で頭を抱えている。


(と、いう事は、この男の人たちは、損害保険会社の社員?)


 そして、芋虫の様にタオルケットに包まっている同僚を、足蹴(あしげ)にして怒鳴っている無精髭の男性は・・・・。


「・・・・・」

「なんだよ、そんなに見んなよ。タクシー代は割り勘でいいんだろ?」


 ローテーブルの上には複数枚のタクシーの領収書が散らばっていた。


「は、はい。割り勘で大丈夫、です」

「ほら!おまえら!会社行くぞ!」


 男性たちは散らばったネクタイを拾い上げ、シワの付いたスーツジャケットを羽織り革靴を履き始めた。村瀬 結 を始めとする女性たちも、「ごめんね、また明日ね」と崩れた化粧を直す事もなく、ショルダーバッグを肩に掛けた。


「じゃあな、また今度な」


 無精髭の男性は手を振った。


「は、はい、また」


 粗雑な雰囲気の男性は、部屋中に散らばったタオルケットや毛布を足で一箇所にかき集め、前髪を掻(か)き挙げながら玄関のドアを閉めた。その襟足には、黒子(ほくろ)がふたつ並んでいた。


(た、拓真!?あれが拓真!?拓真が!?俺、俺!?俺呼び!?)


 2022年、26歳の高梨拓真は自身を”俺”と呼び、口調も荒く、同僚を足蹴にしていた。


(お祖母ばあちゃん、私は、私は違う世界に来たのかもしれません!!)


 タイムリープがあるのならば、硬貨の表と裏の様に、酷似した全く別の世界が存在しても不思議ではない。


(もしかしたら)


 2023年の27歳の拓真は、この部屋に初めて訪れた時、『小鳥ちゃん、この部屋、見覚えがあるよ』と部屋を見回し『懐かしいんだ』とまで言っていた。


(そうだ、トイレの場所も知っていた)


 小鳥は携帯電話を取り出して、Googlerでそれらしいキーワードを検索してみた。


(永遠に続く、堂々巡り、無限に回転する、きりがない、


 メビウスの輪は”無限”を表す記号で、”限りがない”、そして”変化し続ける”を意味すると書かれていた。そしてもうひとつ。



 2024年、28歳の拓真は交通事故で死ぬ。その悲劇を回避する為、小鳥は過去へと時を超え”タイムリープ”を繰り返した。そして、新たに巡りあった拓真と共に、7月7日を乗り越えると誓ったのだが、今回は様子が違った。


「神様!あんな”俺様”な拓真なんて、どういう事ですか!あれじゃ全然、別人ですよ!こんなの聞いてないんですけれど!?」


 小鳥は蹴散らされたタオルケットや毛布を畳み、ローテーブルに散乱したスポーツ飲料のペットボトルを片付けながら、花霞(はながすみ)の空を仰いだ。


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