リンゴーン リンゴーン リンゴーン リンゴーン リンゴーン
5時
チーン チーン チーン チーン チーン チーン チーン チーン
8分
チン チン チン チン チン チン チン
7秒
「ん・・っは!」
一瞬、呼吸が止まった。小鳥はベッドの上で目を覚ました。見上げた天井には、色彩豊かな”鳥のモチーフ”のモビールが揺れていた。モビールは、1人暮らしのお祝いにアパレルメーカーの同僚がプレゼントしてくれたものだ。
(と、いう事は1人暮らしを始めた2022年、かな?)
小鳥が期待した2020年、2021年にタイムリープする事は叶わなかった。
(タイムリープは1年ずつしか時間を飛び超えられない?)
小鳥の手はしっかりと携帯電話を握っていた。それはこの時代には発売されていないaPhone15、さすがにこれは言い逃れが出来ない。周囲には絶対、見せてはならない。
(ええと、今日は何月何日なんだろう)
携帯電話の暗証番号を打ち込んだ。1、0、2、4、拓真の誕生日だが、パスワードがエラーになってしまった。2回繰り返したが解除出来ない。
(やばい、やばい!)
携帯電話にロックが掛かる事を考え、指を止めた。
(え!?どういう事!?ちょっと、ちょっと待って!?)
小鳥は息を深く吸ってゆっくりと吐いた。これを2回繰り返した。
(パスワードがエラー、なんでエラー、どうして!?)
もう1度、大きく息を吸って深く吐いた。動悸が激しくなり、焦りを感じた。脇汗が滲んだ。はっと閃(ひらめ)く。
(あっ!そうだ!2022年なら、私は拓真と出会ってなかったんだ!)
2022年、小鳥と拓真は未だ出会っていない。という事は、携帯電話のパスワードは、0、2、1、4、で小鳥自身の誕生日だ。
(0214、あっ!開いた!)
小鳥の読みは大当たりで、無事、携帯電話のパスワードは解除出来た。タイムリープも4回目となれば慣れたもので、慌てふためく事もなく、冷静に今日の日付を確認した。
(今日は、2022年4月15日、金曜日、金曜日か)
確認したカメラロールには、2024年6月15日にタキシードを試着をした
(・・・・拓真)
そして今日が2022年の4月15日だとすれば、小鳥が1人暮らしをし始めてまだ1ヶ月弱だ。窓に掛かる薄緑のギンガムチェックのカーテンには折り目が付いていた。やがて、早朝の薄暗闇に目が慣れて来ると、床やソファの上に、なにかがゴロゴロと転がっている事に気が付いた。それは巨大な芋虫の様で「ひっ!」と小鳥の口から驚きの声が漏れた。
(な、なに、なに!?)
その時、懐かしい匂いがした。檜木(ひのき)のウッディベースの香り、トップノートはベルガモット、柑橘系からグリーンを感じさせるシダーウッドの香り。小鳥が鼻先でそれを嗅いでいると、人の気配がした。
(んん!?)
トイレの中から水が流れる音が聞こえ、便座が降ろされた。
ガチャ
トイレのドアが開き、上背のある黒い人影がノロリと出て来た。小鳥はふたたび、「ひっつ!」と驚きの声を漏らした。
「あ、悪ぃ、トイレ借りたわ」
無愛想な口調だった。
「あ、は、はい」
ただ、その少し掠(かす)れた声の抑揚には、聞き覚えがあった。男性は荒々しくリビングに押し入ると、勢いよくジャケットを羽織った。ネクタイが首から垂れ下がっている。前屈みになり床を見下ろしているのでその面差しは見えなかった。
(なに、なに、なに!?誰!?どういう事!?)
小鳥は、自分の部屋で横柄な態度を取るその男性に慄(おのの)いた。そしてその男性は、床に転がる何匹もの芋虫たちを手で容赦なく叩き始め、次々と皮を剥がしていった。
「・・・ううん」
「ううん、じゃねぇよ!」
小鳥が、その皮がタオルケットや毛布であると理解出来たのは、1分後、いや、数十秒後だった。
「おい!起きろよ!」
「・・・・」
「おまえら、起きろ!」
「なんだよ・・・ぉ」
部屋のあちこちで、芋虫たちがモゾモゾと起き上がり始めた。
「なんだよ、じゃねぇよ!会社行くぞ!」
「俺、休むぅ、行きたくないぃ」
「また爺ィ(じじぃ)にどやされるぞ!」
「・・・・それは、嫌」
「おい!
小鳥は、我が耳を疑った。
(さ、佐々木!?佐々木隆二!?佐々木隆二なの!?)
ジャっ!
隣の児童公園は桜が満開で、眩しい朝日が窓から差し込んだ。部屋の中は悲惨な状態で、複数人の男女が「眩しい!」「わぁ!」と叫んで顔を覆った。
「ちょ、おまえ!いきなりカーテン開けんなよ!眩しいだろ!」
「ご、ごめんなさい」
「おい!おまえら、いい加減、起きろよ!マジ会社遅刻すっぞ!」
小鳥の目はその怒鳴り散らす男性に釘付けになった。
「なんだよ、なんか文句でもあるのか?」
「い、いいえ!」
「なら、そんなジロジロ見んな!」
「は、はい!」
次に男性はソファで寝惚ける女性たちに声を掛けた。
「
「そんな大きな声出さないでよ・・・・頭に響くわ」
「ガブガブ焼酎飲むからだよ!」
(村瀬!?)
「なんであんた、そんなに強いのよ・・・」
「俺はおまえらみたいに、ぶっ飛ばさねぇんだよ!」
「分かった、分かったから黙って」
「ほら!おまえら行くぞ!」
どうやら目の前にいる面々は、昨夜、深酒をして小鳥のアパートに転がり込んだようだ。そして。
「村瀬、村瀬 結 さん?」
「なによ、小鳥。さんづけとか気持ち悪っ!」
「ご、ごめん」
そして、目の前に座り込んでいる女性はファッションモール店勤務の村瀬 結 で、その隣には、路面店の見知った同僚の姿があった。その誰も彼もが酒を飲みすぎた様で頭を抱えている。
(と、いう事は、この男の人たちは、損害保険会社の社員?)
そして、芋虫の様にタオルケットに包まっている同僚を、足蹴(あしげ)にして怒鳴っている無精髭の男性は・・・・。
「・・・・・」
「なんだよ、そんなに見んなよ。タクシー代は割り勘でいいんだろ?」
ローテーブルの上には複数枚のタクシーの領収書が散らばっていた。
「は、はい。割り勘で大丈夫、です」
「ほら!おまえら!会社行くぞ!」
男性たちは散らばったネクタイを拾い上げ、シワの付いたスーツジャケットを羽織り革靴を履き始めた。村瀬 結 を始めとする女性たちも、「ごめんね、また明日ね」と崩れた化粧を直す事もなく、ショルダーバッグを肩に掛けた。
「じゃあな、また今度な」
無精髭の男性は手を振った。
「は、はい、また」
粗雑な雰囲気の男性は、部屋中に散らばったタオルケットや毛布を足で一箇所にかき集め、前髪を掻(か)き挙げながら玄関のドアを閉めた。その襟足には、黒子(ほくろ)がふたつ並んでいた。
(た、拓真!?あれが拓真!?拓真が!?俺、俺!?俺呼び!?)
2022年、26歳の高梨拓真は自身を”俺”と呼び、口調も荒く、同僚を足蹴にしていた。
(お
タイムリープがあるのならば、硬貨の表と裏の様に、酷似した全く別の世界が存在しても不思議ではない。
(もしかしたら)
2023年の27歳の拓真は、この部屋に初めて訪れた時、『小鳥ちゃん、この部屋、見覚えがあるよ』と部屋を見回し『懐かしいんだ』とまで言っていた。
(そうだ、トイレの場所も知っていた)
小鳥は携帯電話を取り出して、Googlerでそれらしいキーワードを検索してみた。
(永遠に続く、堂々巡り、無限に回転する、きりがない、
メビウスの輪は”無限”を表す記号で、”限りがない”、そして”変化し続ける”を意味すると書かれていた。そしてもうひとつ。
「
2024年、28歳の拓真は交通事故で死ぬ。その悲劇を回避する為、小鳥は過去へと時を超え”タイムリープ”を繰り返した。そして、新たに巡りあった拓真と共に、7月7日を乗り越えると誓ったのだが、今回は様子が違った。
「神様!あんな”俺様”な拓真なんて、どういう事ですか!あれじゃ全然、別人ですよ!こんなの聞いてないんですけれど!?」
小鳥は蹴散らされたタオルケットや毛布を畳み、ローテーブルに散乱したスポーツ飲料のペットボトルを片付けながら、花霞(はながすみ)の空を仰いだ。