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第39話 拓真のアパート

 小鳥は隣の部屋の住人と、下の部屋の住人に、菓子折りを持って謝罪に向かった。隣人は然程(さほど)気にしていなかった様子だったが、205号室の住人にとってはかなり不快な一夜だったらしく、苦々しい顔で詫びの紙袋を受け取った。


「今度から、気を付けて下さいね!」

「申し訳ありませんでした」


 鼻先で玄関扉を閉められ、なぜ自分だけが注意されなければならないのかと、あの芋虫たちを思い出して腹が立った。


(お詫びのお菓子代も割り勘にして欲しいくらいだわ!)


 2022年の小鳥は、「タクシー代は割り勘で良いんだな」と睨みつけたとはそれなりに顔見知りの様だった。そして佐々木隆二、今回の重要人物の村瀬 結 とは既に名前で呼び合う間柄。


「誰に・・・なにから訊ねたらいいんだろう」


 シフト表を見ると、今日は公休日になっていた。それで彼らは、小鳥のアパートに雪崩(なだ)れ込んだのだろう。タクシーのレシートを見れば2,980円、深夜料金でこの運賃ならばどちらかの会社の近くで宴を開いたに違いない。


(4月のお酒の席といえばお花見か、新入社員の歓迎会?)


 昨夜、小鳥の入れ物(からだ)は、多少のアルコールを口にしたらしく、なんとなく気怠い。のろのろと掃除機を掛けながら振り返ると、姿見(すがたみ)の中には、軽い頭痛で眉間にシワを寄せた、ベリーショートヘアの小鳥が映っていた。


「えっ!ほっ!細っ!」


 その姿は全体的に細く、顎肉も付いていない。


「よし、よし、よし!これからはNO外食!NOコンビニ弁当!NOカップラーメン!」


 来(きた)る2025年の拓真との結婚式に備え、小鳥はダイエットを決意した。然し乍ら、キッチンの棚の中には、カップラーメンが全種類コンプリートされていた。


「どれだけ太る気だったの、怖いわ・・・・自分が怖い」


 小鳥はカップラーメンをローテーブルにひとつ、ふたつと並べながらふと思った。



「でも、2025年の拓真って誰?私、誰と結婚するの?」



 ・・・・・・疑問が過った。



 は2024年の7月7日に、小鳥の目の前で黒いワンボックスカーに(は)撥ねられ短い生涯を終えた。


(・・・拓真を助けたかったな)


 次に小鳥は、の四十九日の法要の朝に、2023年へとタイムリープしてと出会った。


 2023年の7月7日、は、キャンプ場で催されたバーベキューに携帯電話を持参していなかった。


『LIME、交換しませんか?』


 そこで彼は、クッキーの箱に携帯電話番号を書いて、小鳥に手渡した。


『これは?』

『電話下さい』


 少し無愛想な横顔は、小声でそう言った。


(あれは、夢だったの?)


 2023年12月の細雪の夜、は、小鳥の左の薬指にオリーブの指輪を嵌(は)めプロポーズをした。ところが彼は、指輪と共に、霧(きり)の様に消え、小鳥はふたたび、2024年の未来へと戻って来た。


「・・・・・あっ!」


 小鳥は慌ててチェストの引き出しを開け、から贈られた、婚約指輪のリングケースを探した。深紅の天鵞絨(ビロード)のリングケースは跡形(あとかた)も消えて無くなっていた。


「ない、ない!拓真の婚約指輪がない!」


 チェストから書類やバインダーを全て取り出しても、そのリングケースを見付ける事は出来なかった。


「・・・・ない」


 が消えた今、小鳥は一体、誰と2024年の7月7日の交通事故を回避し、2025年7月7日に結婚式を挙げれば良いというのか? 


(・・・・一体、誰と?)


 小鳥は暫しの間、呆然としたが、やがて顔を上げた。


「拓真のアパートに行ってみよう」


 小鳥はふたたびタイムリープし時を飛び超えたが、そこにはとは全く別の人格の、が現れた。しかもファッションモールの 村瀬 結 とは既に名前で呼び合う仲だと言う。小鳥は不可思議な現象に戸惑いが隠せなかった。


(それに・・・今朝の野蛮なあの人は、本当に拓真なの?)


 小鳥の手は、車の鍵を握ってエレベーターホールに向かった。車の鍵に革の小鳥のストラップは無い。下階に向かうボタンを押すと、期待と不安が箱に乗って上昇して来た。大きく息を吸う。小鳥が運転するペールブルーの軽自動車は、に思いを馳せながら、高梨拓真のアパートを目指した。


(私は、あんな乱暴な、と結婚するの!?)


 小鳥はアクセルを踏んだ。


が、拓真なの・・・・!?)


 当然の事だが、2023年9月にオープン予定のコンビニエンスストアは無く、田畠(でんばた)が広がっていた。一時停止でカーブミラーを覗くと、慌てた様子の自分の顔があった。


わんわん!わんわんわん!

わんわん!わんわんわん!


 ただ、わん太郎だけは、相変わらず激しく吠えていた。小鳥はアパートの手前で車を停めた。シートベルトのタングプレートに手を掛けると、指先が震えていた。小鳥はゆっくりと運転席のドアを開けた。


(今、ここ205号室には、誰が住んでいるの?)


 ほんの数日前の事だ。ほんの数日前、を探してこのアパートを訪れた時、205号室には誰も住んでいなかった。高梨のネームプレートは外され、受け口にはガムテープが貼られていた。


(誰が、誰が住んでいるの?)


 小鳥の黒いギンガムチェックのサンダルは、一歩、二歩と歩みを進めた。


(205号室は、どうなっているの?)


 コンクリートの階段に足を掛けた。遠目に見たエントランスに並んだポスト、受け口には訪問販売のチラシが投げ込まれていた。小鳥は息を飲んだ。


「たか、なし」


 205号室のポストには、高梨のネームプレートが掲げられ、受け口には通信販売のカタログと、訪問販売のチラシが投げ込まれていた。


「・・・拓真」


 このアパートに住んでいるのは、あの横柄な態度の高梨拓真に違いないだろう。姿形は、と瓜二つだが、言動や仕草が粗雑な高梨拓真がこの部屋に住んでいる。


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