疑問は山積みだが、時間は小鳥を待ってはくれない。翌朝、小鳥は化粧水と乳液、化粧下地で肌を整えると、コンシーラーでシミや目の下のクマを隠し、ファンデーションを叩(はた)いた。
(顎のラインから首筋は自然にぼかして、うん!いい感じじゃない?)
眉はふんわり、奥二重の瞼は茶系の濃淡で彩り、焦茶のアイラインをさり気無く引いた。頬骨はオレンジ系のチークでカバーする。
「・・・・うっ、つけまつ毛は、面倒だからこれで良いか!なしなし!十分可愛い!」
ビューラーでカールしたまつ毛は、繊維の多いマスカラで盛りに盛った。ベリーショートヘアの髪はヘアワックスで軽く散らし、ピンクゴールドの揺れるピアスを着けた。
「う〜ん、今日は一押しのマリンルックでいきますか!」
白いセーラー襟のブラウスにトリコロールのスカーフを結える。パンツかスカートか、どちらを選ぼうか5分ほど悩んだが、デニムで裾に白いラインが3本入ったハーフパンツを選んだ。これで、いかにもなアパレル店舗の販売員の出来上がりだ。
「行って来ます!」
小鳥はパティップの腕時計を着け、玄関の扉を閉めた。1本早めの電車に乗ろうと、運動不足解消に小走りで駅に向かう。小さな交差点の角に、こぢんまりとした花屋があった。
「おはようございます!」
「はい、おはよう。今日も元気だね」
「行って来ます!」
「はい、行ってらっしゃい」
シャッターを開ける花屋の女主人の髪は黒く、足腰もしっかりとしていた。重そうなバケツを手際よく店先に並べている。時間を飛び超えている証拠だ。
(あ、あの看板、まだ有るんだ)
電車に揺られながら見る景色も、卒業アルバムを捲(めく)る様に懐かしいものばかりだった。
(やっぱり、浦島太郎の気分だわ)
そして、2022年の小鳥はアパレルメーカーに採用されたばかりで、事務職と販売員の二足の草鞋(わらじ)を履いていた。
(と、ここまでは・・・・・覚えているような、覚えていない様な。あやしいんだよね、これが)
入れ物(からだ)はベリーショートヘアのほっそりとした2022年の小鳥だが、中身は2024年の小鳥だ。
(ええ〜と、誰だっけ?)
2024年から2023年にタイムリープしていた時よりも記憶がかなり曖昧で、同僚や上司、出入り業者との遣り取りを、円滑に行う事が難しかった。
(しかも、しかもだよ!2024年と2022年じゃ、役職がすでに違うんだよな〜これが!!!)
相手の名前の呼び間違えも大変失礼な事柄だが、上司の役職を間違えるなど最低最悪の所業だ。課長と課長補佐を間違える程度なら、「かっ、かっちょーーーう、ホッ」と誤魔化す事も出来るが、部長と課長では笑って誤魔化す事は不可能だ。
「しっ、失礼しました!」
「あっ、須賀さん!廊下は走らない!」
「はい!申し訳ありません!」
「走らない!」
平謝りの後、脱兎の如く逃げるしかなかった。
「須賀さん、また走ってるの?」
「ちょっと、ハァハァ、いっ、急ぎの用事で」
「最近、落ち着きないわよ、気を付けてね」
「は・・・・・・、はい・・・江川・・・さん?」
胸元のネームタグを一瞥し、返事をする。特に女性社員の場合、結婚して苗字が変わっているケースがある。稀に離婚も含む。
(・・・・っつ、疲れた)
その点、販売員勤務は気が楽だった。配属された路面店の店舗スタッフは5名、シフトで公休が入れば、小鳥を入れて4名で接客にあたる。
「でもさぁ。小鳥さんって、なんだか雰囲気、変わりましたよね?」
「・・・・そ、そう?」
「なんだか落ち着いたって言うかぁ」
(中身は28歳だからね!もうすぐ30歳だからね!)
「勤めて4年にもなれば・・・・」
「あれ?小鳥さんって採用されてまだ2年目ですよね?」
「あっ、あれー?あれー?そうだっけ?」
小鳥の視線はキョロキョロと落ち着かず、左右に動いた。
「そうですよ、しっかりして下さいよ!」
「今日は暑いねー、暑い、暑い!暑いから間違えたのかなっ!?」
「エアコン、温度下げましょうか?」
「あ、はい。お願いします」
「またまた、敬語なんて変ですよ!」
前回のタイムリープの時も酷かったが、今回も、ポロポロと
「お疲れー!小鳥、相変わらず走り回ってるんだって?」
「・・・・・・・・・・・・えーーーと」
「えーーーと、じゃないわよ!客注のワンピース持って来たわよ!はい!色違いと交換ね!」
「あ、はい」
「またまた、なんで敬語な訳!?」
ネームタグを盗み見ると、 村瀬 結 とあった。
(むっつ、村瀬 結!)
突然の重要人物の登場で小鳥は身構えた。そして、小鳥の部屋ですれ違った時の村瀬 結 の印象は薄かったが、なかなか個性的な顔立ちをしている。化粧も濃く、つけまつ毛はシャープペンシルの芯を数本置いても耐えられそうな仕上がりだった。
「あ、ああ〜ゆ、結ちゃん?」
「なに、あんた私の事、馬鹿にしてるの?」
これはもう逃げ道がなかった。
「ごめん!私、あなたの事、なんて呼んでましたか!?」
「はぁ!?」
小鳥は、「自宅で椅子から転げ落ちて頭を強打した」と、咄嗟に苦し紛れの嘘を吐いた。村瀬 結 は「なに言ってるんだか」と呆れ顔で、記憶喪失の可哀想な友人の肩を叩(たた)いた。
「お気の毒さま、椅子から転げ落ちたら痛かった?」
「う、うん。凄く痛かった」
「じゃあ、これ何本に見える?」
村瀬 結 は手のひらを開いて見せた。
「5本!」
「当たり前じゃ!」
「痛っつ!」
小鳥は、思い切り叩(はた)かれたが、そこで、村瀬 結 と小鳥が店舗販売員の同期で、2年来の付き合いがある事。名前を「結」「小鳥」と呼び捨てにしている間柄で、かなり親密だと言う情報を得た。
(やっぱり”向こうの世界”とは・・・・・違うんだ)
2024年の小鳥は、村瀬 結 の存在を知らなかった。キャンプ場でバーベキューを共に楽しんだらしいが、その時も接点はなかった。そうなると、高梨拓真が2023年や2024年の拓真と全くの別人格である事も頷け、2022年の
「あ、あの、結」
「なに、このワンピース色違いで、持って行って良いんでしょ?」
「どこに持って行くの?」
「うちの店に決まっているでしょ!」
「うちの店って、ファッションモール店?」
「大当たりよ、記憶喪失の割に、それは覚えているのね」
「お、思い出したかなーって」
「適当ね、で、なに?なにか言いたそうだけど」
どこから聞けば良いのだろうか?小鳥は迷ったが流石に、「高梨拓真さんに恋人はいますか?」など、直球どストライクで聞ける筈がなかった。
(私が、高梨拓真の名前を知らない可能性もあるよね)
小鳥は唾を飲み込んだ。
「あのさ。このまえ、私の部屋にいた男の人たちって誰?」
「はぁ!?」
「先輩、なに訳わかん事、言ってるんですか?」
(訳が分からないから聞いてるんですよ!教えて!お願い!)
村瀬 結 と、後輩は互いに顔を見合わせた。
「小鳥、彼らが損害保険会社の社員だって事は分かるよね?」
「う、うん」
多分そうだろう、小鳥は適当に相槌を打った。
「その中に1人、柄の悪い
「う、うん」
「椅子から落ちたのは正しいかもしれないわね」
「う、うん?」
カランカラン カランカラン
その時、ドアベルが来客を告げた。
「ほら、来た」
「え?」
上背のある、少し猫背の濃灰のスーツに焦茶のネクタイ。ハンガーポールの間をすり抜けて近寄る姿に、小鳥は息が止まった。
「・・・・拓真」
そこには不機嫌そうな面持ちの高梨拓真が居た。