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第5章

第41話 日常

 疑問は山積みだが、時間は小鳥を待ってはくれない。翌朝、小鳥は化粧水と乳液、化粧下地で肌を整えると、コンシーラーでシミや目の下のクマを隠し、ファンデーションを叩(はた)いた。


(顎のラインから首筋は自然にぼかして、うん!いい感じじゃない?)


 眉はふんわり、奥二重の瞼は茶系の濃淡で彩り、焦茶のアイラインをさり気無く引いた。頬骨はオレンジ系のチークでカバーする。


「・・・・うっ、つけまつ毛は、面倒だからこれで良いか!なしなし!十分可愛い!」


 ビューラーでカールしたまつ毛は、繊維の多いマスカラで盛りに盛った。ベリーショートヘアの髪はヘアワックスで軽く散らし、ピンクゴールドの揺れるピアスを着けた。


「う〜ん、今日は一押しのマリンルックでいきますか!」


 白いセーラー襟のブラウスにトリコロールのスカーフを結える。パンツかスカートか、どちらを選ぼうか5分ほど悩んだが、デニムで裾に白いラインが3本入ったハーフパンツを選んだ。これで、いかにもなアパレル店舗の販売員の出来上がりだ。


「行って来ます!」


 小鳥はパティップの腕時計を着け、玄関の扉を閉めた。1本早めの電車に乗ろうと、運動不足解消に小走りで駅に向かう。小さな交差点の角に、こぢんまりとした花屋があった。


「おはようございます!」

「はい、おはよう。今日も元気だね」

「行って来ます!」

「はい、行ってらっしゃい」


 シャッターを開ける花屋の女主人の髪は黒く、足腰もしっかりとしていた。重そうなバケツを手際よく店先に並べている。時間を飛び超えている証拠だ。


(あ、あの看板、まだ有るんだ)


 電車に揺られながら見る景色も、卒業アルバムを捲(めく)る様に懐かしいものばかりだった。


(やっぱり、浦島太郎の気分だわ)


 そして、2022年の小鳥はアパレルメーカーに採用されたばかりで、事務職と販売員の二足の草鞋(わらじ)を履いていた。


(と、ここまでは・・・・・覚えているような、覚えていない様な。あやしいんだよね、これが)


 入れ物(からだ)はベリーショートヘアのほっそりとした2022年の小鳥だが、中身は2024年の小鳥だ。


(ええ〜と、誰だっけ?)


 2024年から2023年にタイムリープしていた時よりも記憶がかなり曖昧で、同僚や上司、出入り業者との遣り取りを、円滑に行う事が難しかった。


(しかも、しかもだよ!2024年と2022年じゃ、役職がすでに違うんだよな〜これが!!!)


 相手の名前の呼び間違えも大変失礼な事柄だが、上司の役職を間違えるなど最低最悪の所業だ。課長と課長補佐を間違える程度なら、「かっ、かっちょーーーう、ホッ」と誤魔化す事も出来るが、部長と課長では笑って誤魔化す事は不可能だ。


「しっ、失礼しました!」

「あっ、須賀さん!廊下は走らない!」

「はい!申し訳ありません!」

「走らない!」


 平謝りの後、脱兎の如く逃げるしかなかった。


「須賀さん、また走ってるの?」

「ちょっと、ハァハァ、いっ、急ぎの用事で」

「最近、落ち着きないわよ、気を付けてね」

「は・・・・・・、はい・・・江川・・・さん?」


 胸元のネームタグを一瞥し、返事をする。特に女性社員の場合、結婚して苗字が変わっているケースがある。稀に離婚も含む。


(・・・・っつ、疲れた)


 その点、販売員勤務は気が楽だった。配属された路面店の店舗スタッフは5名、シフトで公休が入れば、小鳥を入れて4名で接客にあたる。


「でもさぁ。小鳥さんって、なんだか雰囲気、変わりましたよね?」

「・・・・そ、そう?」

「なんだか落ち着いたって言うかぁ」


(中身は28歳だからね!もうすぐ30歳だからね!)


「勤めて4年にもなれば・・・・」

「あれ?小鳥さんって採用されてまだ2年目ですよね?」

「あっ、あれー?あれー?そうだっけ?」


 小鳥の視線はキョロキョロと落ち着かず、左右に動いた。


「そうですよ、しっかりして下さいよ!」

「今日は暑いねー、暑い、暑い!暑いから間違えたのかなっ!?」

「エアコン、温度下げましょうか?」

「あ、はい。お願いします」

「またまた、敬語なんて変ですよ!」


 前回のタイムリープの時も酷かったが、今回も、ポロポロと2024が顔を覗かせ、小鳥は度々、冷や汗をかいた。


「お疲れー!小鳥、相変わらず走り回ってるんだって?」

「・・・・・・・・・・・・えーーーと」

「えーーーと、じゃないわよ!客注のワンピース持って来たわよ!はい!色違いと交換ね!」

「あ、はい」

「またまた、なんで敬語な訳!?」


 ネームタグを盗み見ると、 村瀬 結 とあった。


(むっつ、村瀬 結!)


 突然の重要人物の登場で小鳥は身構えた。そして、小鳥の部屋ですれ違った時の村瀬 結 の印象は薄かったが、なかなか個性的な顔立ちをしている。化粧も濃く、つけまつ毛はシャープペンシルの芯を数本置いても耐えられそうな仕上がりだった。


「あ、ああ〜ゆ、結ちゃん?」

「なに、あんた私の事、馬鹿にしてるの?」


 これはもう逃げ道がなかった。


「ごめん!私、あなたの事、なんて呼んでましたか!?」

「はぁ!?」


 小鳥は、「自宅で椅子から転げ落ちて頭を強打した」と、咄嗟に苦し紛れの嘘を吐いた。村瀬 結 は「なに言ってるんだか」と呆れ顔で、記憶喪失の可哀想な友人の肩を叩(たた)いた。


「お気の毒さま、椅子から転げ落ちたら痛かった?」

「う、うん。凄く痛かった」

「じゃあ、これ何本に見える?」


 村瀬 結 は手のひらを開いて見せた。


「5本!」

「当たり前じゃ!」

「痛っつ!」


 小鳥は、思い切り叩(はた)かれたが、そこで、村瀬 結 と小鳥が店舗販売員の同期で、2年来の付き合いがある事。名前を「結」「小鳥」と呼び捨てにしている間柄で、かなり親密だと言う情報を得た。


(やっぱり”向こうの世界”とは・・・・・違うんだ)


 2024年の小鳥は、村瀬 結 の存在を知らなかった。キャンプ場でバーベキューを共に楽しんだらしいが、その時も接点はなかった。そうなると、高梨拓真が2023年や2024年の拓真と全くの別人格である事も頷け、2022年のにステディな関係の女性が居ても何ら不思議ではない。


「あ、あの、結」

「なに、このワンピース色違いで、持って行って良いんでしょ?」

「どこに持って行くの?」

「うちの店に決まっているでしょ!」

「うちの店って、ファッションモール店?」

「大当たりよ、記憶喪失の割に、それは覚えているのね」

「お、思い出したかなーって」

「適当ね、で、なに?なにか言いたそうだけど」


 どこから聞けば良いのだろうか?小鳥は迷ったが流石に、「高梨拓真さんに恋人はいますか?」など、直球どストライクで聞ける筈がなかった。


(私が、高梨拓真の名前を知らない可能性もあるよね)


 小鳥は唾を飲み込んだ。


「あのさ。このまえ、私の部屋にいた男の人たちって誰?」

「はぁ!?」

「先輩、なに訳わかん事、言ってるんですか?」


(訳が分からないから聞いてるんですよ!教えて!お願い!)


 村瀬 結 と、後輩は互いに顔を見合わせた。


「小鳥、彼らが損害保険会社の社員だって事は分かるよね?」

「う、うん」


 多分そうだろう、小鳥は適当に相槌を打った。


「その中に1人、柄の悪いやつが居たのは覚えてるよね?」

「う、うん」

「椅子から落ちたのは正しいかもしれないわね」

「う、うん?」


カランカラン カランカラン


 その時、ドアベルが来客を告げた。


「ほら、来た」

「え?」


 上背のある、少し猫背の濃灰のスーツに焦茶のネクタイ。ハンガーポールの間をすり抜けて近寄る姿に、小鳥は息が止まった。


「・・・・拓真」


 そこには不機嫌そうな面持ちの高梨拓真が居た。

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