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第42話 今の拓真

 の面差しは、当然の事だが、と瓜二つだった。然し乍らその表情は厳しく、身に纏(まと)う雰囲気は厳(いか)つい。気圧(けお)された小鳥は、思わず背後(うしろ)に引いてしまった。


「じゃあね、ワンピースは頂いて行くわよ」

「あっ!待って!結!」

「まぁ、頑張ってね」

「頑張るって、なにを頑張るの!」


 村瀬 結 は手を振りながら店を出て行った。後輩は客注のワンピースを手際よく畳み、「それじゃ、小鳥さん、ごゆっくり。私、これ梱包して来ますね」と、バックヤードの扉を閉めた。


「あ・・・・・」


 店舗の中には小鳥とが2人きりで、天井に設置されたスピーカーからは90年代のJ-POPが流れている。そんな賑やかしいリズムを刻む店の一角だけが、気不味く重苦しい沈黙に包まれていた。


(ご、ごゆっくり!?お見合いの席じゃないんだから!ごゆっくり!?って、なに!?)


 ハンガーポールのブラウスやスカートを押しやったは、カウンターに肘を突くと腰を屈め、小鳥を凝視した。


「な、なんですか」

「なんですかじゃねぇよ、なんで返事しない訳?」

「返事、ですか?」

「LIMEだよ、既読にもならねぇし、そんなに俺が嫌な訳?」

「い、嫌?」

「そう、既読無視ってやつ?」

(ら、LIMEかーーーーーー!)


 2023年に購入したaPhoneに、2022年のLIMEデータを引き継いだ事には間違いない。けれどそれは、”メビウスの輪”の向こう側の世界の話だ。


「ちょっ、ちょっと待っていて下さい!」

「なんだよ」


 小鳥はカウンターの中でしゃがみ込み、ポケットから携帯電話を取り出してLIMEを確認した。然し乍ら、2024年のとの遣り取りを最後に、高梨拓真との通信履歴はなかった。小鳥の行動を不思議に思ったはカウンターの中を覗き込んだ。


「なに、なにコソコソやってんだよ」

「やっ!見ないで下さい!」

「なんだよ、変な顔してっぞ」


 ここで2023年のaPhone15を見られる訳にはいかなかった。言い訳など通じる筈がない。然し乍ら、のLIME IDを入手しなければ、今後ずっと、未来永劫、既読無視する事は確定だ。


「・・・た、拓真」

「なに、名前で呼んでくれちゃう訳?」

「は、はい?」

「小鳥、積極的じゃん。ならOKって事?」

「なにがOKなんですか?」


 の眉間にシワが寄った。


「おまえ、俺の事、馬鹿にしてんの?」

「そっ、そんな事は、全然、全く、一ミリも馬鹿になど!」

「なら、LIMEの返事、寄越せよ」

「そっ、それがですね!携帯、水没させちゃって」

「その手に持ってるのはなんだよ」

「あっ!」


 あっという間に携帯電話は取り上げられてしまった。小鳥は「もう終わった」と目を瞑(つむ)った。


「そんな顔したら、キスすっぞ」

「・・・・・・えっえっ!?」

「冗談だよ、バーーーーーカ」

「馬鹿って!」

「本当だ、色違うな、水色?白?わかんねぇ」

「・・・・・えっ?」


 は、極度に視力が弱いらしく、胸ポケットから黒縁眼鏡を取り出そうとした。小鳥はその動きを制し、カウンターから身を乗り出した。


「ペールブルーって言うんです!」

「ペール?」

「み、水色です!」

「なら、最初からそう言やいいだろ」

「そっそうですけど!」


 小鳥は腕を精一杯伸ばして、の手から携帯電話を奪い返そうとした。その時だ。ふと香る、柑橘系のシダーウッドの匂いに動きが止まった。


「・・・・・この匂い」

「あぁ。この前、おまえが好きだって言ってたから変えたんだよ」

「私が?」

「おまえ、おちょくってんのか?」

「そういう・・・訳・・・・じゃ」


 携帯電話を手に高々と腕を振り上げるに、の面影が重なり、思わず目頭が熱くなった。


「なんだよ、泣くほど嫌なのかよ、ほれ、返すよ」

「泣いて、ません」

「化粧取れたらモモンガになるぞ」

「なんですか、モモンガって」

「小動物系女子なんだろ?自分で言っといて忘れたのかよ」

「わっ、忘れていません!」

「本当かぁ?」


 そこで、バックヤードの扉が開いて後輩が出て来た。その表情はほくそ笑み、なにやら言いたげだ。


「高梨さん。小鳥さんったら、おうちで椅子から転げ落ちて頭を強打したんだそうですよ、強打ですよ?」

「・・・・・マジか」

「だから、色んな事を忘れてるんですって」

「椅子から転げ落ちて、携帯水没とか・・・・おまえ、どんだけだよ」


 そこで小鳥は、aiPhone機種の特徴的なカメラ部分を隠し、無事、とLIME IDを交換する事に成功した。


(・・・でも)


 LIME IDを入手したものの、現状が良く分からない。とはそこそこ親密な間柄だという事は雰囲気から伝わって来る。だからと言って、ステディな仲ではなさそうだ。


(と、いうよりも、私が拓真を避けている様な?)


 疑問形が、浮かんでは消えた。


「なんだよ、その顔は」

「い、いえ〜、なんでもありません」

「チッ、いつもに増して”距離感”出しやがって、いい加減諦めろや」


(チッ!?今、チッて舌打ちしたよね!?)


 そして、は、逞(たくま)しい腕を伸ばすと、大きな手のひらで小鳥の髪を散らすように撫でて笑った。


(あ、拓真だ)


 その笑顔はと何ら変わらず、純真無垢な少年の様で、小鳥は心臓を鷲掴(わしずか)みにされた。


(か、かっこいい)


 小鳥は3度目の一目惚れを経験した。


「じゃあな、また来るわ」

「あ、はい」

「そうだ。おまえ、車、買い換えたんだろ?これ、検討しといて」

「あ、はい?」


 小鳥は、クリアファイルに入った自動車保険のパンフレットと申込用紙を手渡された。そして、は、嵐のようにやって来て、嵐のように去っていった。


「なに、自動車保険の営業だったの?」


 それを聞いた後輩は顔を真っ赤にして、小鳥の背中を叩(はた)いた。2022年にタイムリープしてからこの方、小鳥は叩かれてばかりだ。


「小鳥さん!なに言ってるんですか!?」

「自動車保険の話じゃないの?」

「この前のお花見の時、カラオケ行ったじゃないですか!」

「あ、あぁ。カラオケ(私も行ったんだ)、カラオケね」

「高梨さん、酔ってましたけど、小鳥さんに向かってかなり熱いラブソング歌ってましたよ!」

「ええ!?」

「覚えてないんですか?」

「酔ってたからなぁ、覚えてないなぁ(棒読み)」


 後輩は商品棚のカットソーを畳み直しながら気の毒そうな顔をした。なにかと思って見ていると、呆れた顔で小鳥に向き直り、大きな溜め息を吐いた。


「どうしたの?」

「どうしたもこうしたも、いい加減、お返事されたらどうですか?」

「誰に?なにを返事するの?」

「ええ!小鳥さん、本当に椅子から落ちたんですか!?」

「た、多分・・・・?」


 小鳥がカウンターの電卓を弄(いじ)っていると、後輩がとんでもない事を言い出した。


「高梨さん、小鳥さんに片想いしてるんですよ?」

「そ、そうなの!?」

「もう、何回も告白してるんですよ?」

「そ、そうなの?」

「高学歴、高身長、収入は平社員だから期待は出来ないけど」


 後輩は指を1本、2本、3本と折りながら恨めしそうな顔をして見せた。


「あんなイケメンそうそう居ませんよ!どこが嫌なんですか!?」


(・・・・・い、嫌な訳じゃないけど)


「私がお付き合いしたいくらいです!」

「そ、それは困るかな〜?」

「なら、お返事したらどうですか!?」


 後輩は小鳥に詰め寄った。


「小鳥さん!高梨さんの、あの横柄なところが嫌なんですか!?」

「そ、そうだね」

「やっぱり、グイグイ攻めて来るのが嫌なんですか!?」

「そ、そうだね」

「じゃあ、無理そうですね・・・・高梨さん、気の毒すぎる」

「そ、そうだね」


 小鳥は後輩に有耶無耶(うやむや)な返事をしながら考えた。このまま、と付き合う事になれば、いつか2人は婚約し、あの横断歩道に行く事になるのだろうか?


(・・・・2024年、それまでは、まだ2年もあるけれどね)


 ”メビウスの輪”の拓真もまた、交通事故に遭うのだろうか。


(・・・・いや!それ以前に!あれは拓真じゃない!)


 とは真逆の。”メビウスの輪”の世界の須賀小鳥は、あの様な傍若無人な拓真を好きになれるのだろうか?

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