「じゃあね、ワンピースは頂いて行くわよ」
「あっ!待って!結!」
「まぁ、頑張ってね」
「頑張るって、なにを頑張るの!」
村瀬 結 は手を振りながら店を出て行った。後輩は客注のワンピースを手際よく畳み、「それじゃ、小鳥さん、ごゆっくり。私、これ梱包して来ますね」と、バックヤードの扉を閉めた。
「あ・・・・・」
店舗の中には小鳥と
(ご、ごゆっくり!?お見合いの席じゃないんだから!ごゆっくり!?って、なに!?)
ハンガーポールのブラウスやスカートを押しやった
「な、なんですか」
「なんですかじゃねぇよ、なんで返事しない訳?」
「返事、ですか?」
「LIMEだよ、既読にもならねぇし、そんなに俺が嫌な訳?」
「い、嫌?」
「そう、既読無視ってやつ?」
(ら、LIMEかーーーーーー!)
2023年に購入したaPhoneに、2022年のLIMEデータを引き継いだ事には間違いない。けれどそれは、”メビウスの輪”の向こう側の世界の話だ。
「ちょっ、ちょっと待っていて下さい!」
「なんだよ」
小鳥はカウンターの中でしゃがみ込み、ポケットから携帯電話を取り出してLIMEを確認した。然し乍ら、2024年の
「なに、なにコソコソやってんだよ」
「やっ!見ないで下さい!」
「なんだよ、変な顔してっぞ」
ここで2023年のaPhone15を見られる訳にはいかなかった。言い訳など通じる筈がない。然し乍ら、
「・・・た、拓真」
「なに、名前で呼んでくれちゃう訳?」
「は、はい?」
「小鳥、積極的じゃん。ならOKって事?」
「なにがOKなんですか?」
「おまえ、俺の事、馬鹿にしてんの?」
「そっ、そんな事は、全然、全く、一ミリも馬鹿になど!」
「なら、LIMEの返事、寄越せよ」
「そっ、それがですね!携帯、水没させちゃって」
「その手に持ってるのはなんだよ」
「あっ!」
あっという間に携帯電話は取り上げられてしまった。小鳥は「もう終わった」と目を瞑(つむ)った。
「そんな顔したら、キスすっぞ」
「・・・・・・えっえっ!?」
「冗談だよ、バーーーーーカ」
「馬鹿って!」
「本当だ、色違うな、水色?白?わかんねぇ」
「・・・・・えっ?」
「ペールブルーって言うんです!」
「ペール?」
「み、水色です!」
「なら、最初からそう言やいいだろ」
「そっそうですけど!」
小鳥は腕を精一杯伸ばして、
「・・・・・この匂い」
「あぁ。この前、おまえが好きだって言ってたから変えたんだよ」
「私が?」
「おまえ、おちょくってんのか?」
「そういう・・・訳・・・・じゃ」
携帯電話を手に高々と腕を振り上げる
「なんだよ、泣くほど嫌なのかよ、ほれ、返すよ」
「泣いて、ません」
「化粧取れたらモモンガになるぞ」
「なんですか、モモンガって」
「小動物系女子なんだろ?自分で言っといて忘れたのかよ」
「わっ、忘れていません!」
「本当かぁ?」
そこで、バックヤードの扉が開いて後輩が出て来た。その表情はほくそ笑み、なにやら言いたげだ。
「高梨さん。小鳥さんったら、おうちで椅子から転げ落ちて頭を強打したんだそうですよ、強打ですよ?」
「・・・・・マジか」
「だから、色んな事を忘れてるんですって」
「椅子から転げ落ちて、携帯水没とか・・・・おまえ、どんだけだよ」
そこで小鳥は、aiPhone機種の特徴的なカメラ部分を隠し、無事、
(・・・でも)
LIME IDを入手したものの、現状が良く分からない。
(と、いうよりも、私が拓真を避けている様な?)
疑問形が、浮かんでは消えた。
「なんだよ、その顔は」
「い、いえ〜、なんでもありません」
「チッ、いつもに増して”距離感”出しやがって、いい加減諦めろや」
(チッ!?今、チッて舌打ちしたよね!?)
そして、
(あ、拓真だ)
その笑顔は
(か、かっこいい)
小鳥は3度目の一目惚れを経験した。
「じゃあな、また来るわ」
「あ、はい」
「そうだ。おまえ、車、買い換えたんだろ?これ、検討しといて」
「あ、はい?」
小鳥は、クリアファイルに入った自動車保険のパンフレットと申込用紙を手渡された。そして、
「なに、自動車保険の営業だったの?」
それを聞いた後輩は顔を真っ赤にして、小鳥の背中を叩(はた)いた。2022年にタイムリープしてからこの方、小鳥は叩かれてばかりだ。
「小鳥さん!なに言ってるんですか!?」
「自動車保険の話じゃないの?」
「この前のお花見の時、カラオケ行ったじゃないですか!」
「あ、あぁ。カラオケ(私も行ったんだ)、カラオケね」
「高梨さん、酔ってましたけど、小鳥さんに向かってかなり熱いラブソング歌ってましたよ!」
「ええ!?」
「覚えてないんですか?」
「酔ってたからなぁ、覚えてないなぁ(棒読み)」
後輩は商品棚のカットソーを畳み直しながら気の毒そうな顔をした。なにかと思って見ていると、呆れた顔で小鳥に向き直り、大きな溜め息を吐いた。
「どうしたの?」
「どうしたもこうしたも、いい加減、お返事されたらどうですか?」
「誰に?なにを返事するの?」
「ええ!小鳥さん、本当に椅子から落ちたんですか!?」
「た、多分・・・・?」
小鳥がカウンターの電卓を弄(いじ)っていると、後輩がとんでもない事を言い出した。
「高梨さん、小鳥さんに片想いしてるんですよ?」
「そ、そうなの!?」
「もう、何回も告白してるんですよ?」
「そ、そうなの?」
「高学歴、高身長、収入は平社員だから期待は出来ないけど」
後輩は指を1本、2本、3本と折りながら恨めしそうな顔をして見せた。
「あんなイケメンそうそう居ませんよ!どこが嫌なんですか!?」
(・・・・・い、嫌な訳じゃないけど)
「私がお付き合いしたいくらいです!」
「そ、それは困るかな〜?」
「なら、お返事したらどうですか!?」
後輩は小鳥に詰め寄った。
「小鳥さん!高梨さんの、あの横柄なところが嫌なんですか!?」
「そ、そうだね」
「やっぱり、グイグイ攻めて来るのが嫌なんですか!?」
「そ、そうだね」
「じゃあ、無理そうですね・・・・高梨さん、気の毒すぎる」
「そ、そうだね」
小鳥は後輩に有耶無耶(うやむや)な返事をしながら考えた。このまま、
(・・・・2024年、それまでは、まだ2年もあるけれどね)
”メビウスの輪”の拓真もまた、交通事故に遭うのだろうか。
(・・・・いや!それ以前に!あれは拓真じゃない!)