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第43話 路面店

 午後の日差しが傾き始め、スーツ姿のビジネスマンが帰路を急ぐ。アメリカ楓(かエデ)の街路樹が列を成す、レンガ畳の小径沿いに、小鳥が勤務するアパレルショップの路面店があった。


「小鳥さん、もう外のライト点けますかぁ?」

「そうだね。もう薄暗いし点けちゃおうか」

「はぁ〜い」


 ショーウィンドーに電球色のあたたかな灯りが点る。客足のまばらな時間帯を見計らい、人型のトルソーマネキンに新作のワンピースを着せる。ビニール袋から取り出したワンピースは、真新しい布地の匂いがした。


「小鳥さん!このワンピース、可愛いですね!私、このワンピース買おうかなぁ」

「そうだね。生地も綿ブロードでしっかりしてるし厚手だから、ワンピース1枚で着ても透けないのが良いよね」

「初夏らしくて素敵ですよね!」

「うん、良いと思う」

「小鳥さん、色違いでお揃いしちゃいません?」

「あ、その案に一票入れちゃう!」


 襟ぐりが大きく開いたパフスリーブのワンピースは、西部劇に出演している女優の衣装と同じくウエストがキュッと絞られている。


(あーーー、これ、確か焦茶を選んだんだよね)


 前身頃には細いサテンリボンがスカートの切り替え部分から胸元まで編み上げになっていて、リボン結びをする事で上半身のシルエットを調節する事が出来た。


(うん、クローゼットにあった。間違いない)


 スカートは満開のチューリップの様にふんわりと膨らみ、裾には細かなピンタックが施されていた。小鳥のお気に入りの一着だ。


「でも、小鳥さんは黒が好きなんですよね?」

「そうだね」

「私、このチョコレートみたいな茶色ってあんまり似合わないんですよね」


(・・・・・・あっ、この遣り取り覚えてる!)


「同じ色でお揃いも変ですよね」

「私!私、焦茶が良いな!髪の色も茶系だし!」

「本当ですか!ありがとうございます!」


 小鳥の記憶は、何気ない会話の中で、当時の出来事を繋ぎ合わせ始めていた。


「あ、私、外のアイビー(観葉植物)にお水あげちゃうね!」

「ありがとうございます!じゃあ、私、売上伝票まとめちゃいますね!」

「お願い」


 水遣りのジョウロに水を注ぎ入れた所で、人の気配を感じた。


「いらっしゃいませ」

「ん」

「ん?」


 顔を上げるとそこにはが不機嫌そうな顔で立っていた。


「高梨さん、どうなさったんですか?」


 小鳥がの顔を凝視していると、意外な事に耳の先まで赤らめて、プイと横を向いた。


(え、なに、もしかして恥ずかしがり屋さん?純情なタイプ?)


 は横を向いたまま、ボソっと呟いた。


「す、須賀」

「・・・・・え?」

「いや!こっ、小鳥!」

「なんですか?」


 この拓真は、他人の目がある所では小鳥に対し虚勢を張るが、小鳥と2人だけの時はそうでもない様子だった。


「こ、この前」

「この前、なにかありましたっけ?」

「この前」

「あぁ!自動車保険ですね!良いですよ!保険の等級も下がらないみたいですから、今の保険会社から掛け替えしますよ!書類、持って来ますから、待っていて下さい!」


 小鳥が書類を取りに行こうとすると拓真は、「そうじゃない」と、蚊の鳴く様な声で小鳥の二の腕を掴んだ。半袖のブラウス、小鳥の肌に汗ばんだ手のひらが熱かった。


「この前みたいに、たっつ!」

「た?」

「たっくまって、呼んでくれないか?」

「たっ・・・・・・・・・・・くま?」

「そうだよ!」

「熊?くまぷーみたいな感じですか?」

「違っ!違う!なんで熊なんだよ!って呼べよ!」

「なんですか、いきなり命令しないで下さい!」

「それに、なんなんだよ、この”距離感”!」


 小鳥は閃(ひら)めいた。取り敢えず、確認だ。


「”距離感”!私と拓真さんって、距離的にもっと近かったんですね!?」

「そっ、それは」

「仲良しだったんですね!?」

「そ・・・そうでもない」

「そう、でもない?」

「そう、でもない」


 二の腕は掴まれたままだ。


「そうでもないなら、これ、離して下さい」

「わっ、悪ぃ!!!」


 拓真は慌てて小鳥の二の腕から手を離すと、下を向き、黙ってしまった。小鳥がその顔を覗き込むと、拓真は慌てて天を仰いだ。


「はいはい、漫才はそこまでにして下さい!小鳥さん、レジ締めませんか?」

「そうだね!もうお客様も来ないみたいだし」


 小鳥は出入り口のプレートをcloseに変えた。すると、拓真は店の中にズカズカと足を踏み入れた。


「ちょっつ、ちょっと!なにするんですか!?」

「俺は客だ!」

「はい?うちの店には、レディースとキッズしかありませんが?」

「そんな事は知ってる!」


 拓真はポールハンガーからペールブルーの花柄ワンピースを選び、サイズタグを確認してキャッシャーへと向かった。


(あ、そのワンピース・・・・)


 それは、小鳥が普段着として好んで着ていたワンピースと、同じデザイン、同じ花模様だった。


「幾らだ?」

「7,480円になります」


 濃灰のスーツから取り出した革の財布は、が持っていた財布と全く同じデザイン、同じ色だった。”メビウスの輪”の世界は、所々で向こう側と繋がっているようだ。


「な、なんだよ」

「そのワンピース、彼女さんにプレゼントするんですか?」

「・・・・・!」


 小鳥は、ワンピースを丁寧に畳み、ブランドロゴが印刷されたショップバックに入れた。そしてそれを、自動車保険の申込書と一緒に手渡しながら「彼女にプレゼントするのか」と訊ねた。拓真の眉間にはシワが寄った。


「そんな訳・・・ねぇだろ」

「男性の方がレディースのワンピースをお買い上げになる時は、大概、そうですから」

「おまえ、なに言ってんだ」

「お買い上げ、ありがとうございました」

「ちっ!」


(また、また舌打ちした!)


 拓真は踵を返すと一歩通行の車道を斜め横断し、その姿は雑踏の向こうに消えた。すると、ショーウインドーの窓ガラスを拭きながら後輩が溜め息を吐いた。


「小鳥さん、高梨さんと喧嘩しちゃったんですか?」

「なんで?」

「だってあれ、小鳥さんの為に買ってるんですよ?」

「ええっ?」

「一人暮らしでだろうからって、毎月、ワンピースとかブラウスとか買って下さるんですよ?」

「そうなんだ」

「いつもプレゼントされてるじゃないですか」

「そうなんだ」

「椅子から転げ落ちて、それも忘れちゃったんですか?」


 販売員は常に新作の商品を身に着けなければならない。社員割引は適応されるが、毎月、数点の商品を購入するとなると、結構な額になる。


「そうなんだ、悪い事、言っちゃったな」

「もう、ここまで尽くされてるんですから、付き合っちゃえば良いのに」

「そうだね」

「でしょう〜?」

「でも、もうちょっと高梨さんの事が知りたいというか・・・・」

「ええっ!?もう1年ですよ!?どこまで知り合うつもりなんですか!?」

「そ、そうなんだ、1年も、そうか1年・・・」

「高梨さん、可哀想すぎますよ?」

「そ、そうだね。ちょっと可哀想だね・・・」


 ”メビウスの輪”の世界のも、小鳥に深い愛情を注いでいた。ところが、肝心の小鳥がそれに難色を示している。


(・・・何でなんだろう)


 それはこの数日後、明らかになった。

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