2021年8月。
痴漢から助けてくれた恩人が、実は自分のストーカーだと知った小鳥は、高梨拓真の事を警戒し、毛嫌いした。それでも拓真は気持ち挫(くじ)ける事なく、小鳥が勤務する路面店に通い続けた。
「あ、高梨さんこんにちは。今日、小鳥さん本社勤務なんですよ」
「マジか」
「マジです」
「じゃあ、これみんなで食べて」
大の甘党でスイーツをこよなく愛する拓真は、自身の趣味と実益を兼ね、人気パティスリーの行列に並んだ。
「小鳥には内緒だぞ」
貢ぎ物は店舗スタッフ全員に行き渡るよう公休日を配慮し、日持ちのしない
「ええ!?これなかなか買えない話題のカヌレですよね!」
「俺が食べたかったから、ついでに買ってきた」
「またまたぁ、これ・・賄賂ですね」
「そんなんじゃねぇし」
「分かりました!小鳥さんの勤務表、コピーして来ますね!」
「悪ぃな」
「その代わり、偶然だなぁって感じでお店に来て下さいね!」
路面店の後輩販売員は拓真に懐柔(かいじゅう)され、小鳥の勤務表をコピーして手渡した。そして同僚たちは、拓真が来店した際、小鳥と拓真が店内で2人きりになるよう、バックヤードに退いた。
「いらっしゃいませ。高梨さん・・・・またいらしたんですか?」
「来ちゃいけないのかよ」
「ここはレディースとキッズの商品しか取り扱っていません」
「じゃあ・・・・・これくれ」
拓真は店内を見回すと、新作入荷と表示されたポールハンガーから水色のギンガムチェックのワンピースを持ち、レジスターの前に立った。
「高梨さんがお召しになられるんですか?」
「馬鹿か!」
「彼女さんにプレゼントですか?」
「馬鹿か!おまえにだよ!」
「私に、ですか?どうしてですか?」
「おまえ、毎月、毎月、新しい服、買わなきゃなんねぇんだろ?」
「そうですが」
「1人暮らしで大変だろ、助け舟だよ、受け取れ」
「あ、ありがとうございます。というか!なんで1人暮らしだと、ご存知なんですか!」
「天の声、みたいな?」
「なに、言ってるんですか!」
(みんな、裏切ったわね!)
後輩や同僚たちは知らぬ存ぜぬを通したが、情報流出元は明らかで、小鳥は眉間にシワを寄せた。
そんな拓真だったが、小鳥につれない態度を取られてもなお路面店に通い詰め、月に数枚の洋服を購入し、小鳥に手渡した。小鳥も、日々、通勤電車で隣同士。吊り革を掴んで一言、二言と言葉を交わせば情も湧いて来る。自然と2人の距離は縮まった。
「よう!迎えに来たぞ!」
「あっ!またいらっしゃったんですか?!」
「なんだよ、帰り道が同じ方向じゃねぇか!ケチケチすんなよ!」
「ケチケチなんてしていません!」
「ほら、雨も降って来たぞ」
「ああああ、置き傘忘れた!」
するとコンビニエンスストアで買い求めて来たであろう、新品の透明ビニール傘が差し出される。至れり尽くせりの待遇だった。
「あっ、ありがとうございます」
「その”距離感”いらねぇから、敬語、丁寧語、禁止な」
「そんな事、言われても」
「敬語、丁寧語禁止、守らなかったらキス1回な」
「分かりました!」
「キス1回」
「カウントしないで下さい!」
「キス2回」
「・・・・わ、分かったわよ!」
「言えんじゃん」
「無理に言わせた癖に!」
そして、2021年12月。
すっかり葉の落ちたアメリカ楓(かえで)に、青白いLEDライトが煌(きら)めきレンガの舗道を彩った。小鳥が勤務する路面店のショーウィンドには星を形どったスノーフレークカーテンライトが灯る。
(・・・寒い、急に冷え込んで来たな)
遅番勤務の小鳥が、悴(かじか)んだ指先で真鍮(しんちゅう)の門に施錠をすると、店舗脇のクリスマスツリーの傍らに拓真の姿があった。随分と長く待っていたのだろう。鼻先は赤く、肩には細雪が積もっていた。拓真の手は雪を払う事なくコートのポケットに入れたままで、身体は小刻みに震えていた。
「拓真さん!なにしているんですか!」
「キス1回ね」
「冗談言っている場合ですか!お店に入ってくれば良かったのに!」
「遅番、おまえ1人だろ?仕事場に客でもねぇ男が居たら、本社から叱られっぞ」
「そ、それはそうだけど」
小鳥の顔を見て安堵したのか、拓真の身体は本格的に震え出し、革靴が忙しなく上下して舗道を踏み鳴らした。
「さみぃ」
「当たり前でしょう!連絡くれれば良かったのに!」
「どうやって?メールもLIME IDも知らねぇじゃねえか」
「・・・・あ」
「なぁ、駅前でコーヒー飲んでかないか?腹も減ったし」
「あ、そうだね!待たせたお詫びに奢るね!」
「マジか、さんきゅ」
小鳥と拓真はひとつの傘で、足早に駅前のカフェへと向かった。歩行者信号が点滅から赤に変わった。拓真は小鳥の顔を覗き込み、歯をガタガタさせて呟いた。
「なぁ、小鳥」
「なに」
「マジ、俺と付き合ってくんない?」
「今、一緒にカフェに行くじゃないですか」
「そんな意味じゃなくて」
「分かってます」
「付き合ってよ」
「嫌です」
「なんで」
「ストーカーと付き合うなんて真っ平ごめんです!」
「もうストーカーじゃねぇし」
「そうですけれども!」
この頃になると、小鳥も拓真の申し出は満更でもなかった。ただ、交際に踏み切るとなると、何故か怖気付いてしまう。
(・・・・なんでなんだろう?)
それの理由は小鳥自身も良く分からなかった。
「じゃあ、LIME ID交換しようぜ」
コーヒーを左手に、チリホットドッグを右手に齧(かぶ)り付きながら拓真は携帯電話をテーブルの上に置いた。
「あ、うん」
「これくらいなら良いだろ!?」
「分かった」
「はぁ、長かった」
「お疲れ様」
「なら、付き合えよ」
「それとこれとは別です」
紆余曲折、小鳥と拓真はLIME IDを交換し、その距離は一歩近付いた。