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第47話 チキンカレー

 薄暗がりの路地の突き当たりに、隠れ家に似た佇(たたず)まいのインド料理の店があった。色鮮やかなステンドグラスの窓から漏れる美しい光が、アスファルトの舗道に影を作っていた。薄衣のカーテンを捲(めく)ると、ヒンドゥー教の神、ガネーシャの置物が、小鳥と拓真を迎え入れた。


「雰囲気あるじゃん」

「うん」


 ヒンドゥスターニー(インド音楽)のラウンジミュージックが流れる店内は、コリアンダーやクミン、カルダモンのスパイスの香りと、ケバブやナンを焼く香ばしい匂いが漂っていた。


「なかなか本格的だな」

「そうだね!そうだね!」

「なに1人で盛り上がってんだよ!」

「なに食べようかな!なに注文しようかな!」

「気が早ぇよ」


 サービススタッフは2人をステディな間柄だと認識したらしく、小鳥と拓真は個室に通された。


「えっ、なんで2人きり!?」

「だって俺ら、恋人同士だし」

「誰がよ!!」


 語気を荒げ反論したが、小鳥の頬は赤らんでいた。


「嬉しそうじゃん、なに、俺の魅力に気付いちゃった感じ!?」

「そんな事ないし!」

「顔、赤ぇぞ」


 拓真は、テーブルに肘を突いて、にやつきながら小鳥を凝視した。小鳥は、2022年にタイムリープして初めて真正面から拓真の面差しを見た。目の前の椅子に座る拓真の肌にはハリがあり、笑い皺も浅く、まだ26歳の青年なのだと再認識した。


「いらっしゃいマセ」


 マホガニーの重厚なテーブルに、ライムが浮かんだミネラルウォーターのグラスと紙ナフキン、カトラリーがセッティングされた。


「ご注文はお決まりデスか?」


 どちらかと言えば優柔不断なたちとは違い、は即決即断だった。小鳥はグイグイと引き込まれてゆく。


「まずは、ラッシーだろ?」

「ビールじゃないんだ」

「インド料理はラッシー一択だろ!」

「まぁ、そうだけど」


 サービススタッフに向き直った拓真は、メニューを指差し説明を受けている。


(同じ拓真でも、全然、性格が違うんだなぁ)


 小鳥がその横顔に釘付けになっていると、拓真が目の前で一拍した。


パン!


「うわっ!びっくりした!」

「なに、そんなに俺がカッコいいか!?」

「そんな見飽きた顔!」

「酷ぇな、で・・・これ食べる?」


 そこには三角錐の揚げ物の写真が載っていた。


「なに、これ」

「”サモサ”、野菜とか肉を詰めて揚げたんだと!ま、揚げ餃子だな」

「適当だね!うん、美味しそう、食べる!」

「1人分って何個?」

「2個ネ」

「あ、じゃあこれ。1人分下さい」

「OK、1人分ね」

「はい」


 サービススタッフが伝票に料理名を書き込んでいく。


「おまえも決めていいぞ」

「じゃあ”タンドリーチキン”」

「ありがちだな」

「だって、拓真、鶏肉好きじゃん」

「・・・・え?」


(しまった・・・・・・!)


「俺、おまえにそんな話したっけ?」


(どうして、こう毎回、毎回、こう失敗するかな!)


「う、うん、したよ?」


 一瞬、怪訝な顔をした拓真だったが切り替えも早く、カレーの種類をオーダーし始めた。小鳥は安堵した。


「俺、”バターチキン”と、”ココナッツチキン”と」

「うえ・・・・・」

「なんだよ」

「甘ったるいカレーばっかりじゃない、どれだけ鶏肉が好きなのよ」


 拓真はメニューを差し出して見せた。


「そうだな。甘いのばっかりもなぁ、ここは大人の余裕で辛いカレーにも挑戦すっか!」

「大人って、まだ26歳じゃない」

「26歳は、十分大人だろ!!」


(でも、は28歳だったんだよ、7月7日の3ヶ月後には29歳、もう、死んじゃったけどね)


パン!


「またボーっとして!おまえ変だぞ!」


 そこで小鳥は我に帰った。また、まただ。また比べてしまう。どの年代で、どんな拓真と出会っても、青色点滅信号で横断歩道に飛び出した、と比べてしまう。


(・・・・・拓真)


「なんだよ、なんか言いたい事でもあるのか?」

「や、だって!自分ばっかり決めて!ずるい!」

「あ、悪ぃ・・・ほれ、メニュー」

「はい、どうも!ありがとう!」


 小鳥はマスタードシードとフェンネルが香り立つ、キハダマグロの”ケララフィッシュ”と、ホクホクしたひよこ豆がたっぷり入った”チャナマサラ”をオーダーした。


「あ、俺、もうひとつ頼むわ」

「なに」

「鳥が好きそうな青菜のカレー、鳥ったら葉っぱだろう?」

「私は鳥ではありません!」

「あ、”サグカレー”とナン2枚、おまえナン?サフランライス?」

「じゃあ!ナンとサフランライスで!」

「うわ、ごっつ食うね」


 ターリー皿がテーブルに運ばれ、焼き上がったばかりのナンから湯気が立ち昇る。拓真はそれを千切りながら小鳥の顔を見た。


「やっぱり、おまえと会った事がある」

「・・・・・また、それ?気のせいだって」


 それでも、拓真は前のめりで言葉を続けた。


「初めて電車でおまえの事を見た時、懐かしかったんだよ」

「それ、あれじゃない?スピリチュアル的な既視感(デジャヴ)みたいな?」

「そんな夢みたいなもんじゃねぇ」


 も同じ事を言っていた。「懐かしい感じがした」、「声を掛けなくちゃと思った」、「小鳥の部屋を見た事がある」とも言っていた。


「俺と小鳥、どっかで会ってる」

「はいはい、会ってる、会ってる。それ、ナンパの基本よね」

「チッ、すぐそうやって茶化す」

「だって思い当たらないんだもん」


 そこへ、サービススタッフがスパイシーな香りを纏(まと)って現れた。


「はい、お待たせシマシタ、”ケララ”と”サグカレー”ネ、”ラッシー”も置くネ」

「ありがとう」

「どう致しましたネ」


 も小鳥の事を「懐かしい」と言う。


(・・・・もしかしたら、また別の拓真が存在するのかもしれない)


「そういやさ、おまえ、なに高等学校出身?」

「高等学校?」

「そ、俺は北西高等学校」


 小鳥は、拓真が卒業した高等学校の名前を、初めて聞いた振りをした。


「え、意外と頭良いんだね!」

「意外は余計だよ、おまえは?」

「小立野女子高等学校、普通科」

「女子校かよ!じゃあ、同級生でもないなぁ、でも絶対、会ってる!」

「執念深いわね」


 小鳥は雫が垂れるグラスを手に、ヨーグルトに似た味の”ラッシー”を啜(すす)り始めた。


「じゃあ、大学は?」


(同じ拓真ならば、北国経済大学だ)


「俺は、北國経済大学、おまえは?」


(やっぱり、やっぱり同じだ)


「私は、北國学園」

「隣じゃん!」


 拓真は目を輝かせた。


「俺、北國経済大学!おまえ、北國学園!隣同士じゃん!」

「あーーー、本当だ(棒読み)」

「学園祭、合同だったろ!?あ〜、理解したわ。そこで会ってるのかもしんねぇな!」

「そうだね(棒読み)」

「なに、感動、薄いじゃん」


 小鳥は大きな溜め息を吐いた。


「いや、あの大規模な学園祭で会ったってかなりの確率よ?」

「たこ焼きと焼き芋!」

「たこ焼きと焼き芋?」

「屋台のテントが隣同士だったのかもしんねぇし!」

「頭は良いけど、脳内はお花畑なのね」


 小鳥は、ターリー皿の”ココナッツチキン”を最後の一口まで掬(すく)おうとしている拓真の顔を覗き込んだ。


「じゃあ、サークルはどこに入っていたの?」


 答えは分かっていた。


「読書サークルだけど?」


 やはり、と同じだ。


「そうなんだ」

「人数合わせで入ってたから殆ど参加してなかったな」

「おまえは?」

「ん、サークルには入ってなかった」


 小鳥はこれ以上共通点を見出されない様に、運命に逆らう様に、咄嗟に嘘を吐いた。


「ふーん。そうだな、おまえ会社のコンパにも顔出さねぇしな」

「賑やかな場所が苦手なの」

「ふーん」


 ”メビウスの輪”に存在すると、は鏡合わせだ。性格や気質は真逆でも、その人生は同じ出来事をなぞり、辿っている。


(やっぱり交通事故は避けられないの?)


「なに?俺の顔になんか付いてる?」

「ん?口の周りがすごい事になってるよ?」

「マジか!カッコ悪ぃ」


 拓真は、慌てて口元を紙ナフキンで拭き取っていた。小鳥は、これから起きるかもしれない辛い出来事に思いを馳せ、悲しげに微笑んだ。


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