薄暗がりの路地の突き当たりに、隠れ家に似た佇(たたず)まいのインド料理の店があった。色鮮やかなステンドグラスの窓から漏れる美しい光が、アスファルトの舗道に影を作っていた。薄衣のカーテンを捲(めく)ると、ヒンドゥー教の神、ガネーシャの置物が、小鳥と拓真を迎え入れた。
「雰囲気あるじゃん」
「うん」
ヒンドゥスターニー(インド音楽)のラウンジミュージックが流れる店内は、コリアンダーやクミン、カルダモンのスパイスの香りと、ケバブやナンを焼く香ばしい匂いが漂っていた。
「なかなか本格的だな」
「そうだね!そうだね!」
「なに1人で盛り上がってんだよ!」
「なに食べようかな!なに注文しようかな!」
「気が早ぇよ」
サービススタッフは2人をステディな間柄だと認識したらしく、小鳥と拓真は個室に通された。
「えっ、なんで2人きり!?」
「だって俺ら、恋人同士だし」
「誰がよ!!」
語気を荒げ反論したが、小鳥の頬は赤らんでいた。
「嬉しそうじゃん、なに、俺の魅力に気付いちゃった感じ!?」
「そんな事ないし!」
「顔、赤ぇぞ」
拓真は、テーブルに肘を突いて、にやつきながら小鳥を凝視した。小鳥は、2022年にタイムリープして初めて真正面から拓真の面差しを見た。目の前の椅子に座る拓真の肌にはハリがあり、笑い皺も浅く、まだ26歳の青年なのだと再認識した。
「いらっしゃいマセ」
マホガニーの重厚なテーブルに、ライムが浮かんだミネラルウォーターのグラスと紙ナフキン、カトラリーがセッティングされた。
「ご注文はお決まりデスか?」
どちらかと言えば優柔不断な
「まずは、ラッシーだろ?」
「ビールじゃないんだ」
「インド料理はラッシー一択だろ!」
「まぁ、そうだけど」
サービススタッフに向き直った拓真は、メニューを指差し説明を受けている。
(同じ拓真でも、全然、性格が違うんだなぁ)
小鳥がその横顔に釘付けになっていると、拓真が目の前で一拍した。
パン!
「うわっ!びっくりした!」
「なに、そんなに俺がカッコいいか!?」
「そんな見飽きた顔!」
「酷ぇな、で・・・これ食べる?」
そこには三角錐の揚げ物の写真が載っていた。
「なに、これ」
「”サモサ”、野菜とか肉を詰めて揚げたんだと!ま、揚げ餃子だな」
「適当だね!うん、美味しそう、食べる!」
「1人分って何個?」
「2個ネ」
「あ、じゃあこれ。1人分下さい」
「OK、1人分ね」
「はい」
サービススタッフが伝票に料理名を書き込んでいく。
「おまえも決めていいぞ」
「じゃあ”タンドリーチキン”」
「ありがちだな」
「だって、拓真、鶏肉好きじゃん」
「・・・・え?」
(しまった・・・・・・!)
「俺、おまえにそんな話したっけ?」
(どうして、こう毎回、毎回、こう失敗するかな!)
「う、うん、したよ?」
一瞬、怪訝な顔をした拓真だったが切り替えも早く、カレーの種類をオーダーし始めた。小鳥は安堵した。
「俺、”バターチキン”と、”ココナッツチキン”と」
「うえ・・・・・」
「なんだよ」
「甘ったるいカレーばっかりじゃない、どれだけ鶏肉が好きなのよ」
拓真はメニューを差し出して見せた。
「そうだな。甘いのばっかりもなぁ、ここは大人の余裕で辛いカレーにも挑戦すっか!」
「大人って、まだ26歳じゃない」
「26歳は、十分大人だろ!!」
(でも、
パン!
「またボーっとして!おまえ変だぞ!」
そこで小鳥は我に帰った。また、まただ。また比べてしまう。どの年代で、どんな拓真と出会っても、青色点滅信号で横断歩道に飛び出した、
(・・・・・拓真)
「なんだよ、なんか言いたい事でもあるのか?」
「や、だって!自分ばっかり決めて!ずるい!」
「あ、悪ぃ・・・ほれ、メニュー」
「はい、どうも!ありがとう!」
小鳥はマスタードシードとフェンネルが香り立つ、キハダマグロの”ケララフィッシュ”と、ホクホクしたひよこ豆がたっぷり入った”チャナマサラ”をオーダーした。
「あ、俺、もうひとつ頼むわ」
「なに」
「鳥が好きそうな青菜のカレー、鳥ったら葉っぱだろう?」
「私は鳥ではありません!」
「あ、”サグカレー”とナン2枚、おまえナン?サフランライス?」
「じゃあ!ナンとサフランライスで!」
「うわ、ごっつ食うね」
ターリー皿がテーブルに運ばれ、焼き上がったばかりのナンから湯気が立ち昇る。拓真はそれを千切りながら小鳥の顔を見た。
「やっぱり、おまえと会った事がある」
「・・・・・また、それ?気のせいだって」
それでも、拓真は前のめりで言葉を続けた。
「初めて電車でおまえの事を見た時、懐かしかったんだよ」
「それ、あれじゃない?スピリチュアル的な既視感(デジャヴ)みたいな?」
「そんな夢みたいなもんじゃねぇ」
「俺と小鳥、どっかで会ってる」
「はいはい、会ってる、会ってる。それ、ナンパの基本よね」
「チッ、すぐそうやって茶化す」
「だって思い当たらないんだもん」
そこへ、サービススタッフがスパイシーな香りを纏(まと)って現れた。
「はい、お待たせシマシタ、”ケララ”と”サグカレー”ネ、”ラッシー”も置くネ」
「ありがとう」
「どう致しましたネ」
(・・・・もしかしたら、また別の拓真が存在するのかもしれない)
「そういやさ、おまえ、なに高等学校出身?」
「高等学校?」
「そ、俺は北西高等学校」
小鳥は、拓真が卒業した高等学校の名前を、初めて聞いた振りをした。
「え、意外と頭良いんだね!」
「意外は余計だよ、おまえは?」
「小立野女子高等学校、普通科」
「女子校かよ!じゃあ、同級生でもないなぁ、でも絶対、会ってる!」
「執念深いわね」
小鳥は雫が垂れるグラスを手に、ヨーグルトに似た味の”ラッシー”を啜(すす)り始めた。
「じゃあ、大学は?」
(同じ拓真ならば、北国経済大学だ)
「俺は、北國経済大学、おまえは?」
(やっぱり、やっぱり同じだ)
「私は、北國学園」
「隣じゃん!」
拓真は目を輝かせた。
「俺、北國経済大学!おまえ、北國学園!隣同士じゃん!」
「あーーー、本当だ(棒読み)」
「学園祭、合同だったろ!?あ〜、理解したわ。そこで会ってるのかもしんねぇな!」
「そうだね(棒読み)」
「なに、感動、薄いじゃん」
小鳥は大きな溜め息を吐いた。
「いや、あの大規模な学園祭で会ったってかなりの確率よ?」
「たこ焼きと焼き芋!」
「たこ焼きと焼き芋?」
「屋台のテントが隣同士だったのかもしんねぇし!」
「頭は良いけど、脳内はお花畑なのね」
小鳥は、ターリー皿の”ココナッツチキン”を最後の一口まで掬(すく)おうとしている拓真の顔を覗き込んだ。
「じゃあ、サークルはどこに入っていたの?」
答えは分かっていた。
「読書サークルだけど?」
やはり、
「そうなんだ」
「人数合わせで入ってたから殆ど参加してなかったな」
「おまえは?」
「ん、サークルには入ってなかった」
小鳥はこれ以上共通点を見出されない様に、運命に逆らう様に、咄嗟に嘘を吐いた。
「ふーん。そうだな、おまえ会社のコンパにも顔出さねぇしな」
「賑やかな場所が苦手なの」
「ふーん」
”メビウスの輪”に存在する
(やっぱり交通事故は避けられないの?)
「なに?俺の顔になんか付いてる?」
「ん?口の周りがすごい事になってるよ?」
「マジか!カッコ悪ぃ」
拓真は、慌てて口元を紙ナフキンで拭き取っていた。小鳥は、これから起きるかもしれない辛い出来事に思いを馳せ、悲しげに微笑んだ。