夜の列車の窓ガラスは、小鳥の心の中を映していた。電車の吊り革に掴まり、拓真と並んで小刻みに揺られると、その顔を直視出来ない恥ずかしさが胸に込み上げた。駅に停車する度に身体が左へと持って行かれ、拓真の肩に寄り掛かってしまう。頬が熱い。
「どうした、落ち着かないな?」
「そうかな?」
逆に拓真は落ち着いたもので、平然とした顔で窓ガラスの向こうを見ている。踏み切りの遮断機が、赤く点滅しながら後方へと流れて消えた。小鳥の目は落ち着かず、窓ガラスから視線を落とし、紺色のパンプスを見つめた。
「あのカレー屋、美味かったな」
「インド料理ね」
「おんなじもんだろ」
「・・・・まぁ、そうとも言う」
「また行こうぜ」
「う、うん」
快速電車は幾つかの無人駅を通過した。あと二駅で、小鳥が下車する駅に到着する。小鳥は少し、寂しさを感じた。
(・・・・やっぱり、好きになるのかな)
然し乍ら、小鳥は、今、隣に立つ人物が、拓真に瓜二つだというだけで、恋しく思う事は不謹慎ではないかと考えた。
(でも、やっぱり)
窓ガラスに映った拓真を窺い見ていると、視線が絡まった。
「なに、またなんか言いたそうじゃね?」
「そうかな?」
「言いたい事があれば言えよ。そうやって黙っていられると、気になるんだよ」
「そうだね」
小鳥は大きな溜め息を吐いた。そんな小鳥を気遣ったのか、拓真は戯(おど)けた面立ちで小鳥の顔を覗き込んだ。
「やっぱり俺の魅力に気付いちゃった感じ?」
「・・・・まぁ、そうとも言う」
「マジか」
拓真は吊り革を離して前のめりになった。
「インド料理くらいは好き、かな」
「なんだよ、その微妙な例え!」
「まだ、よく分かんない」
「マジかよ、もう1年だぜ。いい加減、腹括れよ」
小鳥の揺れる思いを表すかの様に、掴まる手の無い吊り革が前後した。
「もう少し、もう少し待って」
「お!前向きじゃん。いつもなら嫌だ!って言うじゃん」
「そうだっけ?」
「そうだよ!やっぱおまえ、なんか変!」
声が大きかったのか、前の席に座っている中年男性が咳払いをした。縮こまった小鳥は、自分が降りる駅が目前に迫っている事に気が付いた。到着のアナウンスが流れ、数人の乗客が出入り口に集まり始めた。
「あ、私、降りるね。荷物ありがとう」
預けていたショップバッグを受け取ろうとすると、拓真はその手を押しやった。小鳥が不思議に思っていると、拓真も出入り口に向かって歩き出した。
「なに、どうしたの」
「俺も降りる」
「なんで?拓真の降りる駅、まだ先でしょ?」
「馬鹿か」
「なにが馬鹿よ!」
「こんな夜に、おまえひとり帰すなんて出来るかよ」
「なに、送ってくれるの?」
「ありがたく思え」
拓真は小鳥を振り返る事なく電車を降り、駅の階段に足を踏み出した。
「ちょっ、ちょっと待ってよ!」
「早く来いよ」
「まさか!私の
「このまえ、タクシーで行っただろ?大体は分かる」
「そ、そうか」
そう言い切った拓真だったが、左右に分かれた駅のコンコースで立ち止まり指差し確認をする様に首を振った。
「でも分かんねぇ、教えて?」
「どっちなのよ!」
「暗かった事は分かる、ほれ、行くぞ」
小鳥と拓真は小さな交差点を渡り、角の花屋を通り過ぎて三叉路(さんさろ)の道を右へと進んだ。革靴とパンプスの音が、閑静な住宅街に響いた。
「やっぱ暗ぇな、着いて来て良かったわ」
「いつも通ってるから大丈夫よ」
「いや、危ねぇ。毎日、送ってやる」
「そんな事言って、部屋に上がり込む気満々でしょ?」
「・・・」
一呼吸の間に、小鳥は呆れた。
「俺はそんな事はしねぇ」
「どうだか」
「このまえ、泊まった時もなんもしなかっただろ?」
「そ、そうか」
それはタイムリープする前の出来事で、今の小鳥の記憶では定かではなかった。
「あ、ここ左。公園が見えて来たら
「そうだ、桜が咲いてたな」
「そう、私の部屋から公園が見えるの」
「毎日、花見だな」
「羨ましいでしょ」
「やっぱ、おまえんちで花見だな」
「もう、葉桜です!残念でした!」
「じゃあ、来年な」
(・・・・来年)
来年、小鳥はこの”メビウスの輪”の世界にいるのだろうか?それとも、もう一度タイムリープして2023年に飛び、
「なに、また、その顔やめろよ。悩み事でもあんのか?」
「あぁ、ごめん!今日、発注ミスでバイヤーに注意されたから、ちょっと落ち込んでる」
「マジか、気ぃつけろよ?」
「・・・・うん」
「お、ここか。ティアハイムね」
「送ってくれてありがとう」
「何号室」
「なに、忍び込む気?305号室よ」
拓真はエントランスを覗き込んだ。
「エレベーター付きかよ、俺ん
「まだ若いじゃん」
「そのうちジジィになるしな」
「あんた、いつまであのアパートに住むつもりなの?」
一瞬の間、木蓮の白い花弁(はなびら)がはらりと芝生に落ちた。
「どのアパート?」
「え?」
「おまえ、俺ん
「ああ〜言い間違えた、ごめんごめん!」
小鳥は拓真の気を逸せる様に、パティップのスライドピースを指で動かした。時計の鐘が、その時刻を報せる。
リンゴーン リンゴーン リンゴーン リンゴーン リンゴーン リンゴーン リンゴーン リンゴーン リンゴーン リンゴーン リンゴーン
(11回)
チーン チーン チーン
(3回)
チン チン チン チン
(4回)
「うおっ、びっくりした。また、それかよ」
「また、それですよ」
「で、何時?」
「23時3分4秒」
「え!マジか!終電間に合わねぇなぁ」
「どんだけローカルなのよ」
「乗り継ぎの電車の終電が早いんだよ」
「ふーん」
「あーーーーーーーーーー」
拓真は、寺を参拝する様に両手を合わせて腰を低くした。
「小鳥ちゃん、泊めて?」
「あんた!まさかそれを狙ってたんじゃないでしょうね!」
「・・・・・」
「やっぱり!確信犯じゃない!」
流石にここで拓真をアパートに泊める訳にはいかない。
「分かったわよ!」
「え!良いの!?」
「ちょっとここで待ってて!」
小鳥は拓真の手からショップバッグを引きむしると、エレベーターのボタンを押した。玄関の扉を開ける。
(免許証は、バッグの中!)
「お待たせ!」
「なんだよ」
「拓真のアパートまで送って行くから!乗って!」
ピッ!
ハザードランプが点滅した。小鳥は助手席のドアを開けて手招きをする。拓真の顔は実に残念そうな面持ちをしていた。
「車かよ」
「車です」
小鳥のペールブルーの軽自動車は、夜桜に烟(けぶ)る坂道を下った。