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第50話 白い手帳

 連なる対向車線の白いヘッドライト。仄かに灯る花見の行燈(あんどん)。雨音は次第に強さを増し、フロントガラスのワイパーが、ゴムの擦れる歪な音を残して左右に激しく振れている。拓真のアパートからの帰り道、小鳥の恋心も右に左にと揺れていた。


(・・・・拓真)


 細雪の深夜、の胸に抱かれた心地良い温もりと、熱い手のひらの感触は、今も小鳥の身体に残っている。それはタイムリープを経験した小鳥にとって、ほんの数週間前の出来事だ。


(これって、どうなの?)


 それが今は、沈丁花(じんちょうげ)の花の香りが路地に漂う、春の盛り。やがて初夏の日差しが降り注ぐ季節だ。小鳥は、時間も季節も飛び越えて、と口付けを交わしてしまった。


(これって、浮気になるの?それとも私は、男の人にだらしない女になの?)


 瓜二つの顔、けれど中身(こころ)は全くの別人。そんなの突然の口付けを、受け入れた小鳥は自己嫌悪に陥った。


ピッ!


 軽自動車が施錠され、ハザードランプが1回点灯した。浮かび上がる、気落ちした小鳥の横顔。ポストを覗くと、宅配便の配達不在票が入っていた。2022年の小鳥が注文した物に違いなかった。


(明日休みだし、配達の時間指定はなしっと)


 不在票のQRコードを読み込み、荷物の再配達を依頼した。


(・・・・・なんて顔をしているのよ)


 エレベーターの鏡には、酷く思い詰めた表情の小鳥が映っていた。の口付けに応えた小鳥は、無我夢中だった。愛したい、愛されたいと心からそう思った。


(私、拓真なら誰でも良いの?)


 小鳥は、エレベーターの扉が開くと同時に小走りで部屋へと向かった。慌てる手元、鍵穴をすぐに探し出す事が出来なかった。


ガチャン


 玄関の扉を閉め靴を揃える事もなく、寝室に転がり込んだ小鳥は、ベッドボードに小説と一緒に並べてあった白い手帳を手に取った。


(拓真、拓真!)


 白い手帳の縁は擦り切れ、所々、折り曲がっている。


(拓真!)


 ベッドに腰掛けた小鳥は、毎晩の様にこの白い手帳のページを開き、との記憶を読み返していた。


(拓真、ごめんなさい!)


 小鳥は、その白い手帳を胸に抱えて涙を流した。タイムリープを繰り返したのは、横断歩道で車に撥(は)ねられた拓真を助けるためだ。決して、瓜二つの面差しで、”メビウスの輪”の世界で生きる拓真と恋愛をする為ではない。


(・・・・間違っちゃ駄目!私はこんな事をする為にタイムリープをした訳じゃないんだから!)


 シャワーでインド料理の匂いを洗い流した小鳥は、パティップの時計を握るとスライドピースに指を添え、ベッドに横になった。


(もういちど、もういちどタイムリープで2024年に戻る!)


 屋根に叩きつける雨音に耳をすませ、窓を揺らす風を肌で感じた。遠くに聞こえる救急車のサイレン。どこかの家の飼い犬が、遠吠えでそれを追いかけた。小鳥の意識が白く霞(かすみ)始めた事を覚えた指先が、スライドピースをゆっくりとずらした。


リンゴーン リンゴーン リンゴーン

チーン チーン チーン チーン

チン チン チン チン


 明け方を待つ、3時4分4秒、小鳥は眠りに落ちた。







ピンポーン ピンポーン


 小鳥は、聞き覚えのある音で目が覚めた。


(・・・・インターフォン)


 来客だ!と慌てて身なりを整えてモニターを覗いて見てみると、宅配便業者が段ボールを持って小鳥の対応を待っていた。


「はい!今開けます!」

「お待たせしました、再配達で・・・えーっと、須賀小鳥さんでお間違えないでしょうか?」

「あっ、はい!」

「では、ここに印鑑をお願いします」

「あっ!はい!」


 印鑑は2024年と同じ場所、シューズボックスのトレーの上に置いてあった。受け取った段ボールは大きさの割に軽かった。


「・・・・ユニコロ?私はなにを頼んだのか?」


 2022年の自分のプライバシーの侵害だとは思ったが、段ボールを開封する事にした。それにしても不思議だと思った。


(服なら、自分の店で買うよね?)


 そこでハッと重要な事に気が付いた小鳥は絶望した。


「タイムリープしてないじゃない!!」


 眠りに落ちる瞬間、パティップのミニッツリピーターの鐘の音を聴けば、100%タイムリープ出来るのではないかと、小鳥は安易に考えていた。


「・・・・やっぱり駄目か、そんなに簡単には出来ないよね」


 小鳥は落ち込みながら、段ボールのガムテープをベリベリと剥がした。中に入っていたのは、到底、小鳥が選ばない、濃いグレーや濃紺、黒の衣類だった。


「なんだ、これ?」


 広げて見るとそれは、これからの季節に丁度いい、リネン生地の半袖シャツやカットソー、靴下だった。


「サイズは、LL、メンズ物だ。何故に、メンズ物?」


 そこで、が、温泉旅館でLLサイズの浴衣を選んでいた事を思い出した。


「・・・まさか、これって」


 2022年の小鳥は、いつも新作のワンピースやブラウスを買ってプレゼントしてくれる拓真に、御礼の品を準備していたと思われた。


「これって・・・これって」


 拓真曰く、2022年の小鳥は、日頃から、「触らないで!」「そんな服、いらない!」「お店には来ないで!」と思い遣りが無い言葉で接していたらしい。にも関わらず、わざわざ通信販売で、しかも拓真の好みそうな色柄のシャツを吟味するなど驚きの行動だ。


「これって、ツンデレって、事でしょうか?」


 ”メビウスの輪”の世界の2022年の小鳥は、粗雑で横柄、強引な拓真を冷たくあしらいながらも、それなりに好意を抱いていたのかもしれない。


「もしかして、小鳥ちゃんは拓真くんの事が好きだったのかな?ん?」


 小鳥は今、彼女の入れ物(からだ)を借りている様なものだ。今後、2人の小鳥が入れ替わった時、小鳥と拓真の仲が決裂していたとなると、彼女にとっては実に不本意な出来事だろう。


(このままだと、2022年の小鳥の人生を変えてしまう、変えてしまうの?)


ピンポーン ピンポーン


 その時、2人目の来客を告げるインターフォンが鳴った。

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