拓真は口角のシャンパンソースを舐めながら満足げな顔をした。本当に、
(いやいやいや、まだ恋人じゃ無いんだし!)
然し乍ら、これまでの流れを鑑(かんが)みれば、小鳥と拓真が恋人として結ばれる日はそう遠くは無いだろう。
「なに、小鳥、変な顔してんぞ?」
「え、また?」
「おまえ、霊感あるとか言う?」
「はぁ!?」
「俺の後ろに背後霊が憑(つ)いてるとか、それは勘弁な?」
「どうして?」
「なーんか、遠くを見ているってか。俺の背後(うしろ)を見てるだろ」
「そ、そんな事ないよ・・・ない、ない、ない!」
「そうかぁ?」
「うん」
「俺といる時は、俺の顔を見ろよ」
(僕といる時は、僕だけを見て)
小鳥は、
「ご、ごめん」
「まぁ、良いけど。いや、良くないね!感じ悪ぃ!」
拓真は臍(へそ)を曲げた様に眉間にシワを寄せた。そこで小鳥は場の雰囲気を変えようと、「ちょっと待ってて」と立ち上がり、ベッドルームのドアを開けた。
「なに、ベッドルーム?俺を誘っちゃってる感じ?」
「馬鹿な事、言わないでよ!」
「良い匂いすんな、レモン?」
「匂いを嗅がないでよ!もう!」
「減るもんじゃないだろ」
小鳥の背後(うしろ)に立った拓真は、ベッドルームの中を見回し、ニヤニヤと笑った。いつものいい加減な調子の拓真だ。重苦しい空気から解放された小鳥は安堵し、宅配便で届いた段ボール箱をリビングに運んだ。
「なに、それユニコロじゃん。なんか買ったのか?」
「それが・・・・大変、不本意なんだけど」
「なにが」
「うちのお父さんは背が低くて太ってるの」
「そうなのか、て!それがユニコロとなんの関係があるんだよ?」
小鳥は段ボール箱をゆっくりと開き、中の開襟シャツやカットソーを広げて見せた。
「どうやら、これは私が買ったものらしいの」
「あれか、夜中のテンションで思わず買い物カートに入れた感じ?」
「それにしては選んでるの」
「なにをだよ」
拓真に見せたプライスタグにはLLサイズの記載があり、前身頃のボタンの位置が逆だった。
「なに、これメンズものじゃねぇか」
「そう」
「しかもLLって、おまえにしちゃデカくね?」
「そう」
そして拓真は、シャツの生地が上質なリネンで、ユニコロの中でも高価なデザイナーズブランドのラインナップ商品である事に驚いた。
「おまえ、やっぱ見る目があるじゃん」
「褒めてくれてありがとう」
「で、これは誰が着るんだよ、まさか俺か?」
シャツを胸元に当てて見た拓真は生真面目な顔で小鳥を凝視した。そこで小鳥が縦に首を振り頷くと、目を見開いた。
「な、なにそのサプライズ!地震でも起きるんじゃねぇか?」
「緊急速報鳴ってない」
「そ、そうだな。てか、なんなん!?」
「分かんないけど、さっき届いた」
「分からん!?俺がおまえが分かんねぇんだけど!」
「とにかく、これは拓真の物だと思う。どうぞ」
「・・・・・あ、あぁ。そうか、そんなら貰っておくわ」
そこで拓真は、「ハサミ貸してくれ」と言い、それを受け取るとシャツをビニール袋から取り出し、丁寧な手付きでプライスタグを切り取り始めた。
(意外、引きちぎるかと思ってた)
「なぁ、これ、試着して良い?」
「えっ!?ここで脱ぐつもり!?」
「なに、見たいのか?」
「みっ、見たくなんかないわよ!」
「じゃあ、おまえベッドルーム行ってろよ」
「あ、あぁ、うん」
「覗くなよ!」
「覗かないわよ!」
リビングからジャケットを脱ぐ音、ベルトを外す音が聞こえた。
「べっ、ベルト!?」
「なんだよ、変な声出して」
「なんでベルトを外すのよ!」
「ワイシャツを脱ぐんだよ、おまえ、なに考えてんだよ」
「そ、そうか。そうだね」
「ばーか」
数分後、ベッドルームのドアがノックされ、小鳥がリビングに顔を出すと私服姿の拓真がいた。これまで、
「良いじゃん、サイズもぴったりだわ」
「そうだね、似合ってるよ」
「惚れ直すだろ?」
スーツのスラックスとのアンバランス感は否めないが、インナーの黒いTシャツと、濃灰の開襟シャツを羽織った拓真は、如何にも彼らしくとても似合っていた。それは、
「ま、まぁ。私のチョイスが良かったって事よね」
「サンキュ、嬉しいよ」
姿見を覗いていた拓真は、蕩(蕩け)そうな笑顔で振り返った。
(あぁ、その顔・・・好きだな)
小鳥はその面立ちに見惚れた。すると拓真は上目遣いで呟いた。
「でも、これどうやって持って帰るかなぁ・・・かなぁ」
その目は既に小鳥に「アパートまで送ってくれるよな?」と暗に言っていた。拓真は脱いだワイシャツと解いたネクタイを段ボールに詰めると、開襟シャツの上にスーツのジャケットを羽織った。
「なに、あんたその格好で電車に乗るつもり?」
「小鳥の車に乗るつもりだよ」
「勝手に決めないでよ!」
「じゃあ、その手に持ってんのはなんだよ」
小鳥は何気にショルダーバッグを手に立ち上がっていた。
「さぁて、帰るぞ」
「帰るぞ、じゃなくて送って下さいでしょう!?」
「はいはい、小鳥様、送って下さい」
「・・・・・もう!」
そしてアパートに着いた拓真は段ボールを抱え、ビジネスリュックを背負うとさっさと助手席のドアを閉めてしまった。
「じゃあな、サンキューな」
「あ、うん」
(なんだ・・・・今日はキスしないのか・・)
「なに、また言いたい事あるのか?」
「ううん!じゃあ、おやすみ!」
「おう、気を付けて帰れよ」
「うん!」
別れ際の口付けを期待していた小鳥は、段ボール箱から溢れ出した拓真への想い、自分の感情の変化に気が付いた。