目次
ブックマーク
応援する
6
コメント
シェア
通報

第61話 朝を迎えた小鳥

「そうだ・・・忘れないように書いておかなきゃ」


 小鳥はベッドボードの棚から白い手帳を取り出すと、横柄で粗雑でそれでいて純粋だった、との記憶を、ひとつひとつ丁寧に書き綴(つず)った。 



ミーンミンミンジー ミーンミンジー



 アパートに隣接する児童公園のコオロギが鳴き止み、アブラゼミが目を覚ます頃、小鳥の右手の動きが止まった。右の中指にはボールペンの痕が付いていた。とは、それ程長い時間を過ごした訳でも無かったが、その思い出は尽きる事なく、白い手帳のページを次々と埋めていった。


(こんなに、たくさん)


 拓真は日々、間隔を空けずに保険営業の合間をぬって小鳥の勤務する路面店に顔を出した。


「また来たの!?」

「また来たぞ!」

「仕事はどうしたの!?」

「おまえの顔を見ないと頑張れねぇ!」

「なに言ってんの!?」

「ほれ!」


 悪態を吐く小鳥と、両腕を広げる拓真。そんな2人の遣り取りを見ていた同僚や後輩は、気を利かせてバックヤードに姿を消した。拓真は「エネルギーチャージ」と真剣な顔で小鳥を抱きしめた。


「も、もう!もう帰ってよ!」

「顔が笑ってるぞ?」

「笑って、笑ってないから!」


 そして拓真は、「電車の痴漢防止だ」と言いながら、小鳥の退勤時間に合わせて迎えに来た。


「よっ!」

「そんな毎日、迎えに来なくて良いから!」

「顔が笑ってるぞ?」

「笑って、笑って無いから!」


 そして小鳥と拓真は、その道すがら食事に行き、一緒の電車に乗って帰宅した。小鳥の右側には、蕩(とろ)ける笑顔の拓真が吊り革に掴まり、その話題は飽きる事なく続いた。


(・・・・拓真)


 小鳥は右肩にそっと触れ、拓真の温もりを探した。けれどその姿はもう無い。”メビウスの輪”の世界の拓真は


(・・・・拓真)


 今の小鳥にとって、拓真は”死んだ”のではなく”消えてしまった”。世間から、薄情だと罵(ののし)られるかもしれないが、拓真の通夜から帰宅した小鳥の涙は呆気なく枯れ、不思議と寂しさを感じる事は無かった。


(拓真が居た事が嘘みたい。ううん、違う。自分がここに居る事が嘘なんだ)


 小鳥は、自身が、”この世界”に在(あ)るべき存在ではない事を、拓真の両親の他人行儀な言動や、田辺明美の存在、牙を剥いた黒猫のべべの姿から感じ取り、それを再認識した。


(・・・私が、2024年に戻った時、この”メビウスの輪の世界”はどうなるんだろう)


 以前、小鳥がの四十九日に戻った様に、もしかしたら、この”メビウスの輪の世界”も元通りになり、2022年4月15日の金曜日の朝に時間が巻き戻るかもしれない。


(・・・そうすれば、は生き返る)


 2024年からタイムリープして来た自分が、”メビウスの輪の世界”から消えてしまえば、2022年の小鳥と拓真の時間が再び動き出す。きっとそうだ、そうであって欲しいと小鳥は強く願った。


「そうと決まれば・・・私はもういちど、タイムリープするしかないよね」


 小鳥は白い手帳を閉じると、リビングのチェストの引き出しからの遺影をそっと取り出した。


「・・これは片付けて置かないとね」


 周囲を見回し、食器棚からパティスリーの包装紙を取り出した小鳥は、白い手帳と拓真の遺影を重ねて丁寧に包んだ。


「これで、よし・・・・・!」


 そして、スツールを袋戸棚(ふくろとだな)の下まで運ぶと扉を開け、段ボールを退かし、その一番奥に白い手帳と遺影を隠す様に仕舞い込んだ。


「・・・・よいしょっと」


 埃まみれの段ボールを、1個、2個と詰め込んでゆく。小鳥の記憶が正しければ、この袋戸棚(ふくろとだな)は2024年まで開けた事がない。無事、2022年の小鳥がこの部屋に戻って来たとしても、3人の拓真たちの記憶を目にする事は無いだろう。


「見つけちゃったらビックリするだろうなぁ、予言の書だもんなぁ」


 思わず失笑する。


(・・・・あと・・・これも、捨てなきゃ)


 小鳥はリビングの壁を見上げた。そこには、ヒナギクのドライフラワーが吊るしてあった。これはいつの日か、2022年の恋に落ちた小鳥が、両思いとなった拓真からプレゼントされるべき物だ。


「・・・・ヨイショっと」


 片手を伸ばし、その花束に手を掛けた。小さな花弁(はなびら)が涙の様にハラハラとフローリングへと落ちた。もう涙は枯れたが、こうして拓真との日々を消してゆくと、切なさが胸に込み上げた。


(バイバイ、拓真)


 燃えるごみ専用のビニール袋に思い出を詰め込んで、ごみ収集場に持って行った。小鳥は複雑な気持ちでそのごみ袋を見下ろした。


(あぁ、そうだ)


 が仰天しないように、山積みになったペットボトルやビールの空き缶をまとめて資源ごみの収集場へ運んだ。小鳥はアルコール飲料を口にしない、にも関わらず、拓真の飲み干したビールの空き缶が幾つもあれば驚くだろう。


「・・・・よし!あとは」


 あとは、2022年4月15日、花見の夜を再現する必要がある。クローゼットから毛布やタオルケットを取り出してソファの上に置いた。酔い潰れた村瀬 結 や同僚、損害保険会社の男性社員がこれを頭から被ってフローリングに転がるに違いない。


「え〜と、どれかな?どれ着てたっけ?寒かったよね?」


 そして、あの朝に着いた長袖、長ズボンのルームウェアを探し出すと袖を通した。


「カーテンは・・・カーテンは閉まってたよね?」


 確か、カーテンを開けたら「急に開けんなよ!眩しいだろ!」と怒鳴られた覚えがある。本当に口が悪い、粗雑な男性拓真だった。


(・・・・・・・・)


 小鳥はパティップの時計と携帯電話を握った。


(・・・・お祖母ばあちゃん、今度こそ私を、がいる世界に連れて行って)


 小鳥は大きく息を吸って深く吐いた。ゆっくりと瞼(まぶた)を閉じ、電車を運ぶ枕木(まくらぎ)が、規則正しく刻む音に耳を傾けた。アブラゼミの鳴き声が遠くへと去ってゆく。浅い眠りに落ちる瞬間、小鳥はパティップのスライドピースに指を掛けた。


リンゴーン リンゴーン リンゴーン リンゴーン リンゴーン リンゴーン


(6回)


チーンチーンチーンチーン


(4回)


チンチンチンチン


(4回・・・・6時04分)


 小鳥は2022年8月27日の朝を迎え、鐘の音と共に時間を飛び超えた。



                      第1部 了

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?