目次
ブックマーク
応援する
5
コメント
シェア
通報

第63話 北國学園

 キャンパスまでは徒歩で15分弱、小鳥の歩幅は軽快にアスファルトを踏んだ。28歳の時よりも身体が軽く、羽根が生えている様だった。


(これが歳を取るという事か)


 小鳥はしみじみと歳月の流れを噛み締めながら横断歩道の手前で信号待ちをした。すると隣に立っていた数人の女子大生が小鳥の顔を見て微笑んだ。朧(おぼろ)げな記憶の中の見知った顔、顔、顔。


「須賀さん、おはよう!」

「あ、はは・・・お、おはよう」


 朝の挨拶をされても、愛想笑いで誤魔化しながら手を振るしかなかった。


(やばい、記憶力がやばい!名前が思い出せない!)


 2022年にタイムリープした時は、アパレルメーカーの上役や同僚の名前は胸にぶら下がったネームタグで確認する事が出来た。今回はそんな訳にはゆかない。ブツブツ独り言を呟いていた小鳥は、ようやく辿り着いたその建物を懐かしく仰ぎ見た。


(あー・・・・ここだ、ここ)


 アメリカ楓(かえで)の街路樹が並ぶそこには、古びたレンガ造りのキャンパスがあった。2023年にと訪れた時には、洒落たコンクリートのキャンパスに建て替えられていた。


(えーと)


 小鳥は不確かな記憶を頼りに、教育学部の生徒用個人ロッカーの前に立ち、腕組みをした。


(確か・・・私のロッカーは、右から3番目、上から2番目)


 喉がゴクリと鳴った。ナンバー式南京錠の数字を合わせてゆく。


(0、2、1、4)


 小鳥の暗証番号は大概、誕生日だ。これで鍵が開かなければ、テキストやノートが無い状態で授業を受けなければならない。


カチッ


 安堵のため息が漏れた。小鳥の心配を他所(よそ)に南京錠は呆気なく外れ、無事、テキストを取り出す事が出来た。


「はぁ、良かった」


 そして、もうひとつ安堵した事がある。北國学園は小学校から中学校、そして高等学校と、エスカレーター式で進学する一貫校だ。拠って、生徒たちは大概顔見知りだ。然し乍ら、小鳥は外部の高等学校から入学した為、同級生の名前と顔が一致しなくとも許される筈だ。


(うんうん、許される、許される!)


 苦肉の策だが、同級生の名前については『あぁ、ええと・・ぁ!○○さんだよね!』と会話の中から導き出し、1人ひとり覚える事にした。そして、教室の場所についてはなんとなく記憶している。間違えた時は、天然惚(てんねんぼ)けを装うのもありだと思った。


(なるべく目立たないように、隅っこで、ひっそりと)


 そして、授業で座る席は、一番うしろの窓際に陣取った。他の生徒たちはいつの間にかグループが出来ていて纏(まとま)って着座していた。小鳥は離れ小島、ポツンと1人ぼっち状態。学生食堂でのランチも時間帯をずらした。


(地味な服装、ぼっちめし、授業では離れて座る。これなら目立たないわ)


 天かすが浮かんだ、たぬきうどんを啜(すす)っていた小鳥はひとつの疑問に辿り着いた。本来の自身の大学時代は地味なりにも友人は居た。ランチも複数人で食べていた。今とは違う光景。


(きっと、ここは”メビウスの輪”の世界なんだろうな)


 そこで小鳥は箸をトレーに置いた。


(でも、ちょっと待って?)


 との世界も、小鳥が気付かなかっただけで、”メビウスの輪”の世界だったとは考えられないか?小鳥は、急に自分の行動に自信が持てなくなって来た。


(ど、どれが本当の拓真なの!?私は、本当の私なの!?)


 けれど、ただひとつ変わらない事があった。それは、拓真が黒いワンボックスカーに轢(ひ)かれて死ぬという結末だった。


(それだけは嫌!それだけは止めないと!)


 小鳥がうどんの丼の出汁を飲み干すと、目の前に誰かが立った。テーブル席が空く事を待っているのかと思い、立ちあがろうと椅子を引くと、聞き覚えのある声が降って来た。


「須賀さん、レポートの提出、今日までなんだけど、出してくれない?」

「はい?」

「私、先生の所に全員のレポート集めて、提出しないといけないんだけど?」

「は、はいぃぃ!?」


 腰に手を当てて小鳥を見下ろしていたのは村瀬 結むらせゆい だった。


「ゆ、・・・・・結」

「はぁ?」

「あ、ごめんなさい!村瀬さん、村瀬さんでしたよね!」

「そうだけど?」


 つい、2022年の癖で「結」と呼び捨てにしてしまい、村瀬 結 は怪訝そうな面立ちになってしまった。この”メビウスの輪”の世界では、村瀬 結 は大学の同級生として登場した。そして村瀬 結 は、アパレルメーカーと同じブランドの服を着ていた。


(ああ、学生時代から着ていたとか言ってたなぁ)


 やはりこの世界はほんの少しずつ、重なり合っている様だ。


「聞いてる?」

「あっ、うっ、うん!」

「じゃあ、5限目が終わるまでに渡して」

「あ、あの」

「なに」

「なんのレポートでしょうか?」

「なに!あんた1ページも書いてないの!?」

「ごめんなさい!」


 小鳥は村瀬 結 に引き摺られ教室の椅子に座らされた。この世界の村瀬 結も世話好きで快活、これらの一件以降、小鳥は村瀬 結 と一緒に過ごす事が多くなった。


「それにしてもさ、あんた、その服・・・・なんとかしなさいよ」

「私もそう思ってるんだけど」

「今時、その服はないわよ!?」

「そうだよね」

「今度の休みに付き合うから、洋服買いに行くわよ!」

「う、うん。ありがとう」


 そして次の土曜日。


 小鳥は電車の吊り革に掴まり外の風景を眺めた。その風景は2024年とは全く異なり、背の高いビル群は無くどこまでも平坦な世界が広がっていた。


(10年ひと昔って本当だったんだ。全然違う)


「須賀さん!こっちこっち!」

「お待たせしました!」

「大丈夫、ほら行くよ!」


 駅で待ち合わせた2人の足は、レンガ畳の舗道を歩いた。用水路に垂れる柳の枝、沈丁花(じんちょうげ)の花の香り。それは小鳥が通い慣れた道だった。


「私の行きつけの店なんだけど、そんなに高くないから」

「・・・・ここ」

「あぁ、このまえオープンしたばっかりなの、知ってたの?」

「ううん、初めて・・・見た」


 それはシミひとつない白い壁、真新しい燕脂(えんじ)色の張り出し屋根、見覚えのあるキャラクターのオブジェが小鳥を出迎えた。


(懐かしい)


 ほんのまで小鳥はこの店で接客をしていた。そして毎日のように拓真が顔を出した。その蕩(とろ)ける様な笑顔を思い出し、小鳥は目頭を熱くした。


「なに、目が赤いわよ?」

「ゴミが入っちゃった」

「コンタクトなんでしょ?大丈夫?」

「目薬があるから、大丈夫」


 そこで、村瀬 結 は小鳥の背中を押した。


「そ?ほら、なにを買うの?ワンピース?スカート?」

「村瀬さんが選んで」

「じゃあ!ワンピースかな!1枚でも着こなせるから!何色が好きなの?」

「水色、かな」

「あぁ、その地味な水色は無しよ!」


 小鳥は、パステルカラーの淡い水色で、細かいギンガムチェックのワンピースを試着した。


「可愛いすぎない?」


 それは白い糸瓜襟(へちまえり)でパフスリーブの7部袖、脹脛(ふくらはぎ)丈のジャストウエストで、華奢な小鳥によく似合った。


「まぁ、良いんじゃない?」

「そうかな」

「その三つ編みが気に入らないけれど、カントリー調だと思えば許容範囲」

「許容範囲、髪、切った方が良い?」

「まぁ、追々ね」


 小鳥はショップバッグに入ったワンピースを見たが、この服には見覚えがない。


(重なっている事もあるけれど、全然違う事もあるんだ)


 ふと不安になる。


(・・・・拓真はこの世界に居るんだろうか?)


「じゃあ、またね!」

「ありがとう」

「今度から、あんたの事は小鳥って呼ぶわ」

「うん」

「私の事は 結 で良いからね」

「分かった、結、またね」


ガタンガタン ガタンガタン


 村瀬 結 と別れた小鳥は、電車を乗り継いで拓真のアパートを目指して歩いた。


(・・・・ふぅ)


 それは余りに遠く、スニーカーの踵(かかと)が痛んだが、小鳥は必死に歩いた。


(こんなに遠かったんだ)


 すると、片側3車線だった車道はまだ片側1車線でとても狭く、舗道の向こうには梨畑が広がっていた。拓真のアパートの近くにあったコンビニエンスストアは影も形もなく、古びた農機具が置かれた小屋が建っていた。


キャン キャン キャン キャン


 わん太郎はまだ仔犬で、赤い首輪をして可愛らしい声で吠えていた。


(・・・・拓真)


 そこにタイル壁の2階建てのアパートは無く、猫の額の様な田畠があるだけだった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?