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第67話 5月4日②

 小鳥が軽自動車の後部座席のドアを開けると、見覚えのある風景が目の前に広がった。そこは2023年7月7日にバーベキューを楽しんだキャンプ場だった。


「小鳥!またぼんやりして!運ぶの手伝いなさいよ!」

「あ、うん。ごめん!今行く!」


 小鳥はプラスティックの折り畳み椅子を両腕に抱え、駐車場を横切った。駐車場の降り口から砂利道を暫く歩くと道は右に逸(そ)れ、やがて青々とした芝生広場がひらけた。そこには流し台や東屋(あずまや)が建ち、心地よい木陰を作っている。


(懐かしいな・・・でも、新しい)


 東屋(あずまや)の屋根は当然の事、2023年よりも新しく、赤いペンキが塗られていた。そして、バーベキューコンロは湖に面した位置にあり、その周囲には真新しい木製のベンチが点々と配置されていた。


(同じだ、同じ、なにも変わっていない)


 小鳥は、椅子を並べながら男子大学生の集団を盗み見た。折り畳みの机や色彩豊かなパラソルを運ぶその姿に混じり、クーラーボックスを運ぶ拓真の横顔を見付けた。


(・・・・・・あ)


 無愛想だが、一緒にクーラーボックスを持つ女子大学生と一言、二言、言葉を交わしている。本来ならば自身があの場所に居る筈だと思うと、小鳥の胸はチクリと針で刺された様に痛んだ。


「なに見てんの?好みの人でもいた?」

「そんなんじゃないけど」

「ぼんやりしていたら獲(と)られちゃうわよ」

「獲(と)られちゃうって?」

「捕獲よ、捕獲」

「捕獲って・・・動物みたいに」

「動物上等!当たり前じゃない!異性間交流会は弱肉強食の世界よ!」


 村瀬 結 は男子大学生を品定めする女豹の群れを指差した。


「弱肉強食って」

「あんたみたいにぼんやりしてたら、ここで肉食って『はい、さよなら』よ!?」

「だって、バーベキューだし」

「はあ!?」


 小鳥はその迫力に気圧(けお)された。


「あぁ!苛々するわね!じゃあ、なんで新しい服買ったの!?」

「それは」

「髪もバッサリ切って!イメチェンして!」

「だって」

「メイクだってしてるじゃない!なに、その口紅!?新色なの!?」

「うん、新色だって言ってた」

「くぅぅぅ!新色!でも今は、新色の口紅とかそんな事はどうでも良いのよ!」

「口紅の色は 結 が聞いたんじゃない!」

「とにかく!彼氏の1人や2人、見つけて帰りなさいよ!」


 村瀬 結 は、小鳥に紙皿や紙コップを押し付けると男子大学生の輪の中に入って行った。小鳥は大きな溜め息を吐くとビニール袋の封を破いて、紙皿や紙コップ、割り箸をテーブルに準備し始めた。


(・・・あ)


 ふと、横目で見た視線の先には、蕩(とろ)ける様な笑顔の高梨拓真が、上級生に絡まれ戯(じゃ)れ合っていた。


も、あんな風に笑うんだ)


 普段は吊り上がり気味の凛々しい眉が緩み、目尻が下がる。小鳥はその笑顔に吸い寄せられ、身動きを止めた。その時、突風がテーブルの紙コップを巻き上げ、それはコロコロと芝生の上を転がった。


「・・・やっ!ちょっ!」


 小鳥が、慌てふためきそれらを追い掛けていると、誰かが身を屈めて一緒に紙コップを拾い集め始めた。


「ありがとうございます!」

「いや、良いんだよ」

「・・・・・・・!」


 紙コップを手に立っていたのは、田中吾郎だった。田中吾郎がその場に居たのは、偶々(たまたま)の偶然か、それとも意図的なものか小鳥には分からなかったが、背筋に冷たいものが走った。


「あ、ありがとうございます」

「小鳥ちゃん、1人で準備をしてるの?手伝おうか?」

「いえ、大丈夫です」

「そう?」

「はい」

「じゃあ、僕の手伝いもしてくれない?」

「お手伝い・・・ですか?」

「あのクーラーボックスを一緒に運んで欲しいんだ」


 クーラーボックスは拓真たちが屯(たむろ)している木製のベンチに置かれていた。小鳥はここで無下(むげ)に断る事も不自然で、渋々、田中吾郎の後を追(つ)いて行った。その間も、田中吾郎は小鳥に話し掛けて来たが、そんなものは耳を素通りした。


(拓真の声だ。拓真の声がする)


 は、その全てがと同じだった。


(・・・拓真だ)


 小鳥は、拓真から顔を逸らし下を向いてその横を歩いた。その場を通り過ぎようとしたその時、1人の男子大学生が小鳥に声を掛けて来た。軽自動車を運転していた読書サークルの上級生だった。


「小鳥ちゃん」

「あ、はい」

「この子、小鳥ちゃんって名前なんだ」

「へぇ、そうなんだ。変わった名前だね」

「変わったって、おま、失礼だろ!」

「ごっ、ごめんね」

「いえ、大丈夫です」


 小鳥は、その場に居た男子大学生の注目の的となった。あれ程までに、目立たぬ様に気遣っていた事が水泡に帰(き)した。小鳥は要らぬ事をした田中吾郎を心から恨んだ。ふと視線を上げると佐々木隆二が微笑み、少し驚いた面持ちの拓真が居た。


(・・・拓真?)


「あ、あの」

「小鳥ちゃん?君、小鳥ちゃんって言うんだ」

「はい」


 佐々木隆二が小鳥に歩み寄り、拓真の背中を叩いた。


「ねぇ、小鳥ちゃん」

「はい?」

「小鳥ちゃんは、田中先輩の手伝いをしているの?」

「はい」

「じゃあ。俺たちも小鳥ちゃんと一緒に、頑張って手伝っちゃおうかなぁ」

「チッ」


 田中吾郎は小さく舌打ちをした。


「ありがとうございます」

「良いよ、良いよ。可愛い子には優しいの、俺」


 この”メビウスの輪”の世界での佐々木隆二は、お調子者だった。


「・・・・・」


 拓真は寡黙で無愛想だった。


と同じだ)


 小鳥は、この”メビウスの輪”の世界に存在するの気質や性質が、にどこか通じるものを感じ、少し安堵した。


(でも)


 不本意にも、拓真との接点が生じてしまった。


「拓真、おまえも手伝えよ」

「あ、うん」

「先輩、田中先輩と俺はこのクーラーボックスね」

「・・・分かったよ」


 田中吾郎は不貞腐(ふてくさ)れながら、佐々木隆二と一緒に、飲料水が入った重量のあるクーラーボックスを肩に担いだ。


「拓真と小鳥ちゃんはそっち」

「うん、分かった」


 残るはバーベキューの主役、肉のパックが詰まった比較的軽いクーラーボックスだった。


「じゃあ、そっち持って下さい」

「・・・はい」


 小鳥は逸る鼓動を深呼吸で整えながら、拓真と一緒にクーラーボックスの両端を持って芝生を踏んだ。その間、小鳥は、無愛想な横顔を直視する事が出来ず、目線を下方へと落とした。


(・・・え!?)


 その時、小鳥は我が目を疑った。


(・・・ムーンフェイズだ)


 の左手首には、黄色い月が顔を覗かせるシルバーの腕時計があった。ムーンフェイズは、月齢や月の満ち欠けを文字盤に表示させる機能を持った腕時計だ。一般的に、文字盤の一部に半円の窓が設けられ、そこに月齢に合わせた月の図柄が現れる。


(同じ、同じ時計!どうしてがこれを持っているの!?)


 その、使い込んだムーンフェイズは、2023年10月15日に小鳥がに誕生日祝いに贈った時計と酷似していた。

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