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第60話 陛下の見舞い

「でも今や私は名実共にこの国の皇后陛下よ。引退した年寄りの好きにはさせないわ」

 扇を開いたり閉じたりしながらベラは落ち着かない様子で部屋を歩き回った。


「そうだわ。陛下の見舞いと言ってたわね。部屋に入れるつもりはないけど勝手に入った時のために薬を片付けておかないと」


 薬剤の知識などないだろうが万が一ということもある。ベラは侍女に陛下が口にしている物すべてを別の部屋に隠すようにと命じた。



 使者が城に戻って来てからわずか二時間後、ゴートロートとアルバトロスが城に到着して謁見室で待っていると侍女が伝えに来た。

 ベラはわざとゆっくり支度をして二時間ほど待たせた後にようやく彼らの待つ部屋に足を踏み入れる。


「待たせましたね。急に訪ねて来られたので支度が間に合いませんでしたわ」


 優雅にドレスの裾を持ち上げながら国王の座る王座に腰掛けるとゴートロートの眉が分かりやすく顰められる。


「それでご用向きは?」


「陛下の見舞いに参りました。何度も書状を送りましたがお返事が芳しく無くこうして参じた次第です。もしや読めない文字がおありでしたか?それなら失礼致した」


(いつもこうだ!人を馬鹿にして!)


 ベラは血管が切れそうなくらい手を握り込んだ。通常、国王や皇后が来るまでは立ったまま待つのが決まりだが高齢だからとの理由で椅子に腰掛けているのも心底腹が立つ。


「それは失礼いたしましたねゴートロート公。けれど陛下は眠っておられるのでお会いいただけなくて申し訳ないわ」


「それはそれは。けれど眠っておられても何の問題もありません。恐れながら私と陛下は長い付き合いで先王からもくれぐれもと頼まれております。まさかそんな相手を追い返すことなどされますまい?」


「……」


(ああ言えばこう言う!なんて腹立たしい爺さんなのかしら!でもこの人を敵に回したら他の貴族が黙ってない。陛下の後ろ盾もない今、私は孤立無縁になる)


「……もちろんですわ。ただ、医者からも言われてますので少しの時間になさってください。よろしいですね」


「もちろんです。では私はこれで」


 もうお前に用はないと言わんばかりにさっさと謁見室を去る態度にベラの怒りはマグマのように吹き荒れた。


(今に見てなさいよ!いつか酷い目に遭わせてやるから!)


 それまでの我慢だ、ベラは自分にそう言い聞かせた。



 侍女に案内され国王の寝室に向かったアルバトロスとゴートロートは、部屋に入りるなり異様な匂いが漂っていることに気がついた。原因を侍女に聞くと薬の匂いがきついので香を炊いているのだと言う。


「こんな部屋にいたら余計に病気になりそうだな」


「そうですね、薬の匂いの方がまだマシなのでは」


 ゴートロートは香の匂いの中に微かに嗅いだことがある物が混じっていることに気づく。だが、他の匂いに邪魔されてうまく嗅ぎ分けられない。はるか昔の記憶だったこともあり、それがどこで嗅いだか何の匂いだったのかをどうしても思い出せなかった。


「陛下、すっかりやつれてしまわれて……」


 眠っているのか意識がないのか、国王は微動だにしない。脈を取って見るが、いつ止まってもおかしくないような弱々しい物だった。


「医者は何と言っている?」


 控えていた侍女の話では原因は分からないらしい。既に一ヶ月近くこの状態で水薬だけを定期的に飲ませているのだと答えた。


 ゴートロートは布団を捲ると国王の体を確認し始めた。


「全身土気色、発疹も浮腫もない。心拍は弱めだが不規則ではないし……おや?」


「叔父上?医療の心得が?」


 アルバトロスの驚いた様子に、ゴートロードは囁くような小声で答える。


「若い頃少しな。そうでなければあんな状態のシャールを預かるわけなかろう」


「そうだったのですか」


 あらゆることに精通しているとは思っていたがまさか医学にまで。


(叔父上とシャールは会うべくして会ったのかもしれない)


 アルバトロスはゴートロートの広い背中を頼もしい思いで見守った。



「アルバトロス」


「なんでしょうか」


「少しカーテンを開けてくれるか。確認したいことがあるんだが暗くてよく見えない」


「はい」


 アルバトロスがカーテンを開けようとしたその時、乱暴にドアを開けて皇后が飛び込んできた。


「何をなさってるの?!恐れ多くも陛下のお体に触れるなんていくら公でも許されませんわよ!」


 尋常ではない剣幕で金切り声を上げるベラに圧倒され、二人は部屋を追い出される。そして人を射殺しそうな勢いで睨みつける彼女にドアをバタンと閉められてしまった。


「……やれやれ。もう少し見たかったんだがな」


「仕方ありません。ここは一旦引きましょう」


「そうだな……。もう一つの心配事もあるしな」


「……アルジャーノンですね」


「そうだ」


 ゴートロートはヤンから聞いた皇太子妃候補ルーカのことを思い出していた。もしアルジャーノンがそのオメガの部屋にいるにしても、ここまで姿が見えないというのは尋常ではない。


「もしや閉じ込められているのか?」


「え?」


「ルーカだ。お前が預かっていたと聞いているが今もか?」


「いえ、確かに幼い頃から公爵家で育ててはいましたが、瀕死のシャールに毒でとどめをさそうとしていたので生家に送り返しました」


「なんと!とんだ極悪人だな。だが従兄弟ということはダリアの子か?どうしてそんな……」


「いえ、ルーカはバリアンが他の女との間に設けた子です。ただ、実子の二人も乳母と家庭教師に預けられダリアは子育てに関わることを禁じられています」


「それはまた徹底しているな」


「はい、バリアン男爵家の教育方針だそうです」


「……ふむ」


 知ったからにはダリアの方も放ってはおけない。付き合いが細かったとはいえダリアもゴートロートの姪なのだ。


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