「誰もおらんのか?勝手に入るぞ」
律儀に声をかけつつゴートロートは先程の大神官ルベルの部屋を目指した。……だが、近づくにつれて異様な匂いが充満していることに気がついた。
若い頃戦場でかぎ慣れた匂い。これは!!
小走りでルベルの部屋までたどり着くとドアが開いている。その隙間から先程の匂いが流れ出ていたのだ。
(ああ、ルベル)
開けなくても中がどんな状況なのかゴートロートには分かった。もうこの部屋の主が息をしていないということも。
「どうして……一体なにが……」
それでも開けないわけにはいかない。ゴートロートが一歩踏み出すと想像通りの惨憺たる状況の中で見知らぬ傭兵たちが大きな剣を持って立っていた。
「なんだ?ジジイなんか用か?さっさと出ていけ」
「お前ら……誰に頼まれた」
「ジジイには関係ねーよ。死にてーのか!」
脅すように刀を振り上げる男を隣の年重の男がたしなめた。
「こいつは殺せと言われてない。それより例のペンダントを探せば任務完了だ。さっさと逃げるぞ」
ペンダント?ゴートロートは自分の胸元をぎゅっと握った。
「何だ?爺さんなんか知ってんのか。もしかして緑の宝石のペンダントを持ってるのか?」
男がつかつかと歩み寄る。ゴートロートは護身用のナイフを袖の中で構えた。
「うわああ!」
男が目の前に立った瞬間、ゴートロートのナイフが男の目を穿った。痛みに転げ回る男と殺気立つその仲間たちをおいてゴートロートが全力で走った。
「おい!こら待て!」
こんなに騒ぎになっているのに誰も来ないのは何故だ!?
ゴートロートは一目散に馬車の方へ走った。
……だが老いた足は思った以上に言うことをきかない。これでも若い頃は鬼神と呼ばれ戦場を駆け回っていたのに。
(ああ追いつかれる。けれど無駄死にはするまい。全員は無理でも二人くらいなら道連れに……)
「ゴートロート公!」
(誰だ!?)
ゴートロートが振り向くと頭からマントをかぶった男が手招きしている。敵か味方かも分からず立ち尽くしているとその男がフードを取った。
「セス殿下?」
どうしてこんなところに……。
驚いたのはゴートロートだけではない。明らかにこの国の皇太子であるセスがゴートロートを庇うように立ちはだかっているのだ。傭兵たちも、もう逃げるしかない。
「お前たち!顔は覚えたぞ!」
「ひいっ!」
怒鳴りつけるセスを尻目に傭兵たちはバラバラになって逃げ出した
「ゴートロート公、大丈夫ですか」
芝生に倒れ込んでしまったゴートロートにセスは手を差し伸べた。
「何故こんなところに」
「あの傭兵は母上が雇いました。大神官に隠し事があると知って口を割らせようとしていたんです。母上が知らない男とそんな話をしているのを聞いてこっそりとここに来ましたが……遅かった……」
「だが殿下は皇后陛下と仲が良かったはずでは」
「そんなはずありません。ずっと従うフリをしてました。母はとても恐ろしい人です」
淋しげに俯くセスにゴートロートは一抹の同情を感じた。
「そうか……助かった」
「いえ、遅いのでお送りします。こちらへどうぞ。肩につかまりますか?」
「すまない」
「ナイフは危ないので捨てていきましょう。いいですよね?騎士たちもいますから」
「ああ、もう大丈夫だろう」
ゴートロートはずっと握っていた鋭いナイフをセスに渡した。……護衛についてくれていた兵士たちはどうしただろう。傭兵にやられてしまったのだろうか。自分のせいで可哀想なことをしてしまった……
そう思いながらゴートロートが馬車に向かって歩き出したその時、背中に大きな衝撃を受けた。そしてゆっくりと前のめりに膝をつき、芝生の上に倒れ込む。
「……殿下?」
動かない首を捻って見上げるとセスが口の端を上げて下卑た笑顔を見せていた。手には先ほどの鋭いナイフが血を滴らせている。
(ああその顔、皇后ベラにそっくりだな)
ゴートロートはそこでようやくセスに背中から刺されたことに気がついた。
……どうして信じてしまったのか。あの女の息子を。
「うっ!」
首に走る痛み。ルベルから預かったペンダントが奪われていく。けれどもう意識が朦朧として指先一つ動かせない。
セスの指先からシャール瞳の色が見えた。
(シャールすまない)
このおいぼれはなんの役にも立てなかった。どうせならシャールを庇って死にたかった。私のたった一人の孫。愛しい子……
ゴートロードが最後に見たのは草原で楽しそうに笑うシャールの幻だった。
しばらくして馬を駆って追いかけてきたアルバトロスが神殿の庭でゴートロートの姿を見つけた。
「どうしてこんなことに!!」
人を呼ぼうにも神殿は静まり返って誰もいない。一体みんなどこへ行ってしまったというのだ。
どうにか公爵家に連絡をとり、なんとかゴートロートを邸に連れ帰ったが、瀕死の重症を負っていた彼は、もう助からないと医者がサジを投げるような状態だった。
「一体何があったんですか」
溢れる涙を拭いもせずアルバトロスはゴートロートの手を握る。
もちろんなんの返事もないが首元に薄く滲んだ内出血を見ておおよその犯人が分かった。
「狙いはあのペンダントですか。そりゃまずいですよね。自分の息子より優秀なアルファの王子が見つかってしまったら」
「あなた、落ち着いて。そんな怖い顔をゴートロート様に見せないで」
リリーナがアルバトロスの手を握った。今、彼の正気を繋ぎ止めているのはこのリリーナだ。
「ああ、そうだな。焦るといいことはない。しっかりと計画を立てて確実に追い込む。全員殺してやる」
「あなた、それより今はゴートロート様の回復を祈りましょう」
「ああ、そうだな」
城で待っている彼の家族同然の使用人たちにも知らせなければ。悲しむだろうな。こんなことになって本当に申し訳ない。
「全部俺のせいだ。叔父上を巻き込んだ」
「あなた!」
ピシャリと頬から破裂音がした。アルバトロスが驚いてリリーナを見上げる。
「リリーナ?」
「しっかりして!もう一度叩かれたいの?」
「ああ……すまない」
そうだ、俺がしっかりしなければ。
「悪かった。頭を冷やす」
「そうなさって。私がついてるから大丈夫よ」
アルバトロスは部屋を出ると廊下の窓を開けて冷たい空気を吸い込んだ。
そして執務室に行き、走り書きのような手紙を書いて辺境に届くよう手配をした。