レオンドレスが目覚めてから三日目、ようやくルーカが皇太子妃の部屋を開け渡した。……いや、追い出されたと言った方が正しいだろう。セスに庭園でのお茶会に誘われ、浮かれて参加したものの、その間に全ての荷物は運び出され、ルーカが戻って来た時にはすっかり引っ越しは終わっていた。
「おかしいと思ったんだ!セスが僕をお茶会に誘うなんて!」
床をだんだんと踏み鳴らすルーカに侍女たちはお腹の子を気遣いハラハラするが、本人はお構いなしだ。本当に子供が欲しかったのか疑問である。
「それで?僕の新しい部屋はどこなの?!」
「ご、ご案内します」
侍女の一人が恐る恐る近付くとキッと睨みつけセスを呼んで!と大声を出した。
「セスに案内してもらう!だって騙されたんだから!」
「……はい、お呼びして参ります」
だがルーカはようやく呼び出したセスに、ネックレスにしていた隠し部屋の鍵を取り上げられ、激昂しすぎて意識を失った。そして使用人に部屋まで運ばれるという珍事が繰り広げられたのだ。
「目が覚めたらうるさいだろうなあ」
「なにかいった?」
すっかり空っぽになった皇太子妃部屋で、一人ごちるセスをシャールが振り返る。
「いや何でもない」
この美しい人が喜ぶのならルーカがどんなに癇癪を起こそうが平気だ。セスは気を取り直してシャールの手に隠し部屋の鍵を落とす。
「懐かしい。少し見ていてもいいですか?いずれまた僕の部屋になるんだし」
「ああ、構わない。シャールの部屋になることは間違い無いからな」
「ふふっじゃあ後で一緒にお茶でも飲みましょう。僕の部屋で待っててください」
「いいのか?!分かった!用意しておくから早く戻ってくるんだぞ」
「分かってます。すぐ行きますから」
部屋を出る時、セスはシャールをぎゅっと抱きしめた。シャールの眉間に深い皺が刻まれたが浮かれているセスには見えていない。
「はぁ……やっといなくなった。よし始めるよ」
「はいシャール様」
皇太子妃部屋の暖炉を見つめるシャール。その側にどこから現れたのかメアリーがいる。
「シャール様、この暖炉ですね」
「そう」
「せーの!で動かすよ」
「はい!せーの……うわっ!」
思ったより軽くて二人でつんのめりそうになったが、短い階段の先に半地下の部屋があった。
シャールは急いで鍵穴に鍵を差し込む。
「アルジャーノン?」
小声で呼びかけながらドアを開けて二人で部屋に入った。けれどそこに人影はない。
「ここじゃなかったんですかね」
「……いや、生活感がある。確かに誰かがここにいたんだよ」
それがアルジャーノンとは限らないけど……。
シャールはぐるりと部屋を見回す。
その時ふと、アルジャーノンの匂いを感じた。
「ここにいた」
「え?なんですか?」
「アルジャーノンの匂いがする!」
確かにこれは彼のフェロモンの匂いだ!
シャールは足早に部屋の中ほどまで行き、ソファーの前で足を止めた。
「……どうされました?」
「…………」
シャールの視線の先を辿ったメアリーは喉をヒュッと鳴らした。
ソファーの向こう側。
その床に黒い髪が見える。
誰かが倒れているのだ。
「ア……アル……」
シャールはそれを確認することが出来ない。心臓が早鐘を打ち、背中を冷や汗が流れた。
「シャール様、私が見て参ります。ここにいて下さい」
メアリーがシャールに見えないようにさっと前に回ってソファーの向こう側を覗き込んだ。
「……シャール様」
「…………なに」
「人形のようです」
「……え?」
メアリーはひょいっとその黒い髪をした物を片手で掴んでこちらに持って来た。確かにそれは粗末な人形だった。けれど大きさは大人の男くらいある。
「……なにこれ」
「さあ……」
「あーーびっくりした」
腰が抜けたように床に座り込むシャールはその人形に僅かだがアルジャーノンの面影を見た気がした。
「こんな不細工な人形を見てどうして彼を思い出すんだろう。それにしてもアルジャーノンじゃなくてよかった……」
「本当ですね」
だが、ここにいたのは確かだ。どこかに連れて行かれたのだろうか?また捜索は振り出しに戻ったということだ。
(一体どこにいるのアルジャーノン……)
自分の足で探しに行けないのがもどかしい。自分なら獣のように匂いを辿って探せそうなのに……。
「……取り敢えずここは閉めて出ようか」
「はい。……この不細工な人形はどうしますか?」
「このまま置いておこう」
ルーカの物だろうか。よく分からないけれど。
そして二人は隠し部屋をきちんと元通りにして皇太子妃の部屋を出た。
シャールが自室に戻ると部屋ではセスがシャールの帰りを待っていた。
「さあ、シャールの好きなお菓子も用意させたぞ。座るがいい」
(僕の部屋なんだけど)
そうは思いつつもシャールは黙って椅子に腰掛けた。
なんでもいいから早く終わって欲しい。シャールはそのことしか考えていなかった。
だが……。
「……あれ?これはもしかして黒糖のクッキーですか?」
目の前に置かれていたのは大好きな懐かしいお菓子だ。
「ミットフォード領の特産品らしいな。シャールが好きだと聞いて取り寄せたんだ」
「ありがとうございます」
シャールはここに来て初めてセスに心からお礼を言った。
早速一つ手に取ると独特の甘い香りが鼻腔をくすぐる。
サクッ……。
(……あれ?)
だが、以前食べたものとは味が違う。何がと言われると返答に困るが、雑味というか、後口に妙な苦味が残るのだ。
「シャールどうかしたのか?」