「いえ……ちなみに、このお菓子はどこから取り寄せをされましたか?」
「ミットフォード領と取引のある商人だが、信用のできる相手だ。安心して食べると良い」
「すみません。お昼に食べたお肉が少し重かったようで、お腹がいっぱいです」
シャールは手に持っていた残りのクッキーをそっとテーブルクロスの上に置いた。
「せっかく取り寄せたんだから、少しでも食べてくれ。なにクッキーなんてそんなにお腹の負担にはならないよ。ほら、食べさせてあげよう」
「えっ?!」
セスはシャールの口元にクッキーを差し出す。これはもう断れない状況だ。
……おかしい。どうしてこんなに執拗に勧めてくるんだ?さてはクッキーに何か混ぜてあるんだな?
「うっ……」
「シャール?」
シャールはとっさに口元を抑え、テーブルクロスをつかむ。そしてそれを思い切り引っ張っぱりながらそのまま床へと崩れ落ちた。
「シャール!!」
当然テーブルの上にあったカップやポットと一緒にクッキーも床にぶちまけられた。これでもう食べられない。
シャールはうずくまって苦しむふりをする。
これはただならぬ状態だと慌てたセスは、側で控えていた侍女に急いで医者を呼ばせた。
「シャール!大丈夫か?!俺がバカだった。母上の言うことを聞いたばかりに……!やはりだめだ。母上の言う通りにしていたら、またシャールを失ってしまう!」
(やっぱりクッキーに何か混ぜたんだな。こっそり吐き出して良かった。それにしてもミッドフォードのご当地土産だぞ?!風評被害が広がったらどうしてくれるんだ!)
「殿下!お医者様が来られました!」
勢いよくドアを開けて走ってきた侍女の後ろから、高齢の医者が姿を現した。
新しくお抱えになった、国一番の腕を持つと言われているロジャー医師だ。
「殿下、シャール様をこちらに」
セスはシャールを抱き上げ、急いでベッドに寝かせた。
「……?何か薬を飲まれましたか?」
部屋の惨状とシャールの様子を見たロジャーは、セスにそう聞いた。分かりやすくびくりと体を震わせる彼に、ロジャーは全てを察して小さくため息を吐く。
「……ちょっと意識が朦朧とするものを……クッキーに練り込んで……」
「意識が朦朧と?まさか今、市井で問題になっている媚薬ですか?」
「……ああ」
「なんでまたそんなものをご自身の妃候補に飲ませたんです?何かあったらどうされるんですか。体に合わず苦しんだり中には後遺症で子供が出来なくなる人もいるんですよ」
「なんだって?!そんな危険なものなのか?!」
「安価な材料で作ったいい加減な薬です。そんな平民のお遊び程度の物が皇室で使われるなんて嘆かわしい」
セスはグッと拳を握るが何も言い返すことが出来ない。それどころか愛するシャールを危険な目に合わせた事にとてもショックを受けていた。
「頼む、何とかして助けてやってくれ」
「もちろんです。とにかく今は解毒剤を飲ませて安静にすることが大事です。さあ、殿下も部屋にお戻りください。シャール様をゆっくり休ませて差し上げましょう」
「……分かった」
セスは肩を落として部屋を後にする。バタンとドアが閉まったのを確認してロジャーはシャールに小声で囁いた。
「シャール様、もう大丈夫ですよ」
「……ありがとう」
音がしそうなほど長いまつ毛をパチリと開いてシャールがふふっと笑う。
「助かりました先生」
「いやいや。しかし殿下も後先考えないことをされる」
「早く子供を作らせるための皇后の差金だと思います」
「……なんということだ。まだ正式に婚姻もしていないのに」
「でもこれで当分大人しくなるでしょう。先生がいてくださって良かったです」
シャールはロジャーの手を取り感謝した。
実はシャールはロジャーと面識がある。彼は以前も僅かな期間だが陛下の主治医をしていた事があり、子供の頃皇室に出入りしていた時に転んで怪我をしたシャールを治療してくれたのだ。
「しかしすっかり大きくなったね。見違えたよ。あのお転婆姫がすっかり輝くようなお姫様だ。しかも頭が切れる。あのテーブルは君が台無しにしたんだろう?」
「はい。無理やり薬の入ったお菓子を食べさせられそうになったので」
「咄嗟にそんな事が出来る君ならここでも上手くやっていけるだろう」
その言葉にシャールは苦笑いをする。
ロジャーはシャールの肩を優しく叩いて「私は君の味方だよ」と伝えてくれた。
「怪しまれないように薬を出しておくけど体にいい薬草を煎じただけの物だから安心して飲むといい」
「ありがとうございます」
診察カバンを片付けて部屋を後にするロジャーを見送り、シャールは心強い味方を得たと安堵する。
(前の医者は皇后の傀儡だったからね。どんな薬も安心して飲む事ができなかったし)
それにしても皇后は本当に何を考えているのか。子供ならルーカのお腹にいるのだからそれで良いはずなのに。
優勢オメガの自分から産まれるであろう、より血統のいいアルファを求めているのだろうか。一体何がそこまで彼女を追い立てるのだろう。
(でもお陰でセスを牽制する事ができた。これは凄くありがたいな)
隙あらばシャールを閨に誘おうとするセスを拒絶する事が出来る。やはり天は自分の味方だとシャールはほくそ笑んだ。
(あんまり元気だと疑われるから少し寝ようかな。今日は1日ダラダラと過ごせそう)
シャールはうきうきとベッドに横になり、目を閉じる。……だが、その楽しい気持ちも次の瞬間、木っ端微塵に壊された。
「シャール!体調悪いんだって?!」
ルーカがドアを勢いよく開けて飛び込んで来たのだ。
(ああもう勘弁して欲しい。なんでルーカは僕に付きまとうんだ)
「どうしたの?ロジャーはそっとしておくようにって言うだけで教えてくれなかったんだ。何があったの?」
キラキラとした目で人の不幸を楽しもうとするルーカは新しいおもちゃを見つけた子供のようだ。
(そっとしておくようにと言われたならそっとしておいて欲しいんだけど!!)
けれどルーカは止まらない。
「もしかして皇后陛下かセスに毒でも盛られた?やっぱりシャールが邪魔なんだね」
ベッドの上に座り楽しそうに勝手なことを喋り続けるルーカに流石のシャールもカチンときた。
「そうだね。毒みたいなもんだよ」
「えっ?!やっぱり?!だってもう後継の心配はないしシャールなんていらないもんね?」
そう言って愛しそうにお腹を撫でるルーカに、シャールはふっと笑い声を漏らす。
「……何がおかしいんだよ」
「別に。可哀想だなって」