そんなこと構うものか。今この状態から逃げることが先決だ。そう考えたアリアは急ぎ皇太子のいる本城に向かった。
「皇太子殿下はおられますか!ルーカ様が大変です」
必死で訴えるアリアにセスの部屋を守っていた兵士たちは気の毒そうな顔をした。
「皇太子殿下はシャール様のお部屋においでです。でも誰も近寄らせるなと仰せなので行っても会うことは出来ません」
「そんな……」
ここでようやくアリアは他の侍女たちの哀れみを含んだ視線の意味を理解した。セスはルーカに会うつもりはないのだ。
(そんな……連れて帰れなかったらもっと酷い目に遭わされるじゃないの!)
絶望に打ちひしがれたアリアはその場で蹲り泣き出した。けれどそこにセスが現れたのだ。アリアは目を輝かせ駆け寄った。
「殿下!お願いがございます!ルーカ様が大変ご機嫌が悪く殿下に会いたいと仰っておられます。どうか別宮にお越しいただけませんでしょうか!」
「どうして俺がルーカの機嫌を取らねばならないのだ!」
先程シャールに冷たく部屋から追い出されたセスからしてみれば、自分の機嫌こそ誰かに取って欲しいと思うばかりだ。
「そんなこと仰らず!このまま戻ったら私はルーカ様に殺されてしまします!」
「どけ!」
アリアは必死でセスにすがりつく。それを振り払おうとした時、セスの腕にアリアの豊満な胸が当たった。
「まあ……確かに殺されるのはもったいないな……」
よく見ると整った顔をしている年若いアリアにセスの食指が動く。アリアは何を言われているのか分からなかったが「助かるかもしれない」その一心で懸命に頷いた。
「ルーカの様子を部屋でゆっくり聞かせてくれ」
「!!はい!是非!」
黙ってドアの前に立っている兵士たちの(やれやれまたか。可哀想に)というため息の中、セスはアリアを伴い部屋のドアの中に消えた。
「アリアは?まだ戻らないの?」
使いに出してからもう二時間近い。流石に暴れ疲れたルーカはベッドに寄りかかり、果物を口に運んでいた。
「はい、様子を見て参りましょうか」
「いいよもう。どうせセスは来ないんだ。アリアは罰が怖くて逃げたんだろ」
無理を言ってしまった。アリアの事は気に入っていたのに。
ルーカは塞ぎこんだ気持ちのまま大きくなってきたお腹を撫でる。するとそこにデモンが顔を出した。
「お兄様!」
「こらこら飛び起きたらお腹の子どもがびっくりするぞ」
「いいんだよもう。それより今日はどうしたの?いつも父上と一緒に城に来てるのに、僕のとこには全然来てくれなかったじゃないか」
「ごめん、父上の手伝いをしてるから忙しいんだ。でもたまには可愛い弟の顔も見ないとね」
「お兄様大好き!でも僕はオメガ姫だから妹って言って」
「はいはいごめん」
笑いながらふざけ合う二人は誰からみても仲睦まじい兄弟だ。久しぶりにルーカの機嫌が治ったので侍女たちは心底ほっとした。
「兄様と積もる話があるからみんな出ていって」
「かしこまりました」
顔には出さないが皆は心の中で安堵のため息を吐いた。そして我先にと部屋を後にする。
全員出ていったのを確認してデモンはルーカと向き合った。
「ルーカ、シャールと陛下の様子がおかしい」
「おかしいって何?」
「会うたびに二人でこそこそ何か話してる。会うたびというより毎朝わざと時間を合わせてすれ違えるようにしてるんじゃないかな」
「何のために?」
「何か企んでるんじゃないかな。何か気付いたことはないか?」
「うーーーん。別宮に来てから全然会ってないから……あ、もしかしてシャールは陛下と浮気しているんじゃない?!」
お前じゃあるまいし……デモンは役に立たないルーカに会いに来たことを後悔した。
「それはないと思うな。何か気付いたことがあったら教えてくれるか?」
「分かった!ちゃんと見張っとく」
「その調子だ」
デモンはルーカに近づいてその小さな頭を撫でる。シャールほどでは無いが昔は可愛い顔をしていたのに。
すっかり肌は荒れ、髪もまったく艶が無い。なにより目が吊り上がり血走っていて昔の面影はかけらも無くなっていた。
(殿下を夢中にさせてシャールから引き離してほしかったのに。まったく役に立たないな)
デモンが心のなかでそんなことを考えているなんて知る由もないルーカは、うっとりとセスのされるがままになっていた。
森の外れの小さな小屋では今日も働き者の三人が忙しく動き回っていた。
「アナ!これだけあれば十分よありがとう」
「でも染料にするんだろう?濃い色に染めるなら思ってるより沢山いると思うぞ」
「そうかしら……」
「ああ、もう少し取ってくる」
「ありがとう」
ノアが作ったカゴを持って森に消えるアルジャーノンをノアと祖父は頼もしい気持ちで見送った。
「ノア、いい人を拾ったのう」
「本当ね。優しいし申し分ないわ。沢山材料を集めてくれるから何でも作れるようになって生活も随分楽になったもの」
お世辞ではない。現金での収入が増えたので週に二度ほどは食卓に卵や肉を並べられるようになったのだ。
「ははっ随分と入れ込んでおるな。お前らを見ていると本当の夫婦のようじゃ。これでわしがいなくなっても安心じゃ」
「えっ!?おじいちゃんが考えてるようなものじゃないわよ!?」
「見てたらわかる。頑張れ」
「もおっ!」
顔を赤くして祖父のからかいに拗ねるノアだが、事は祖父の言うように簡単にはいかない。
(もうアナが来てから半月。でも一向に距離感は変わらない。私に魅力が無いのかしら)
ノアは肩までしかない短い黒髪を引っ張る。昔から伸びたら売るを繰り返していたが、アナがいてくれたらもう売らなくていいかもしれない。そうしたら綺麗に結って少し紅も差そうと思った。
「このまま記憶なんか戻らんとここでのんびり暮らせたらいいんじゃがなあ」
「そうね。服もボロボロだったし酷い生活してたんじゃないかしら。可哀想なくらい痩せてたし。今じゃあんなに逞しいのに」
私が彼を幸せにしてあげたい。
それがノアの何よりの願いだった。
日が暮れる頃、染料にする木の実だけではなく、よく実った甘い果実を両手いっぱいのお土産にアルジャーノンが帰って来た。
「美味しそう!山桃ね。デザートを作るわ。今夜は山鳥のシチューよ」
「大好物だ」
「知ってる!」
そんな二人のやり取りを祖父は微笑ましく見ている。その時、「すみません」という声と共にドアを叩く音がした。