アルジャーノンがドアを開けると、皇室騎士団でアルジャーノンが可愛がっていた一番年若いミシェルが立っていた。
「どちらさまですか?」
アルジャーノンが問うも、ミシェルは彼の顔を凝視して言葉を無くしている。
「あの……」
「……!失礼いたしました!僕をお忘れですか?」
「え?」
何事かと様子を見に来たノアはあまりの緊張感に口を挟めず、事の成り行きを固唾を飲んで見守っていた。
「すみません、ちょっと事故で記憶が曖昧になってまして……」
「そうでしたか……おいたわしい」
そう言うなりミシェルは片膝をついて胸に手を当て頭を下げる。
「お探ししておりました!アルジャーノン皇室第二騎士団副団長……いえ、アルジャーノン・アルベルト・ドナロルド皇太子殿下!」
アルジャーノンの後ろでノアが、声にならない叫び声を上げた。
(皇太子?皇太子ですって?!)
あまりに遠い人だ。家族になりたいだなんて考えることがおこがまし過ぎるくらいに。
けれどきっぱりと諦めるにはノアはアナを好きになり過ぎていた。
「アルジャーノン……」
「はい、徐々に思い出してください。この後すぐ馬車でお迎えに上がります。まずはご実家のジュベル侯爵家にお連れいたしますので少しお待ちください」
それだけ言うとミシェルは走って暗闇の森に消えていった。小さな小屋はさっきまでとは打って変わって静まり返っている。
「……良かったわねアナ……いえ、アルジャーノン殿下。今の人に会って何か思い出しましたか?」
「少しずつ……」
「良かった」
アナは可哀想な人ではなかった。何か事情があって酷い目に合わされた皇太子。魔法は解けたのだ。もうノアが好きだなんて口が裂けても言ってはいけない。
「帰る支度をしないと。良かったら私が編んだカゴを持っていっていただけませんか。せめてもの贈り物です。捨ててくれても構いませんから。それと……」
何か話していないと泣きそうな気持ちを奮い立たせ何とか笑顔を作る。そんなノアを見て祖父は痛ましい思いで顔を伏せた。
「ノア」
「な、なんでしょうか」
「本当にありがとう。ノアは命の恩人だ」
「いえとんでもございません」
「一緒に来てくれないだろうか。礼がしたい」
「……はい」
金が欲しいわけでは無かった。けれど着いて行けば、あと僅かでもこの人の側にいられる。その思いだけでノアは頷いた。
「……迎えが来たようだ」
「ちょ……ちょっと待ってください!支度をします!」
せめて一番綺麗な服を来てずっと取っておいた赤い靴を履こう。万が一、億が一でも縁が続けば身分違いの恋でも叶うかもしれない。実家は侯爵家と言った。皇太子の実家が侯爵家というのは何か事情があるんだろう。けれどアルジャーノンの両親に会って気に入って貰えたらもしかしたら。
そんな希望にすがらなければ正気を保てないノアは、髪をとかし紅を塗り迎えの馬車に乗った。
「お嬢さん、あのご老人は一緒でなくて良かったのですか?」
「はい、おじいちゃ……祖父は腰を痛めているので馬車での移動はできないのです」
「そうでしたか」
ノアは今まで見たことのない豪華な馬車に乗り、侯爵邸を目指した。何より隣にアルジャーノンがいると言うだけでまるでデートにでも行くような浮ついた気持ちが止まらない。
「殿下、何か思い出しましたか」
「……ああ、俺はルーカの所にいた。そこから連れ出され生き埋めにされたんだ」
「犯人は分かりますか?」
「……顔は見てない。食事を食べたあと急に眠くなって目がさめたら土に埋められた棺の中だった。記憶が混乱してるんだが、皇太子というのは何だったのかは全然思い出せない」
「その辺りはご存じなくて当然です。改めてご説明させていただきます」
「分かった」
貴族としての記憶を取り戻したからか、アルジャーノンはまったく知らない人のようだ。ノアは付いて来た事を一瞬後悔したが、目が合って微笑まれるとやはり何も変わってないと安心する。
(とにかくお行儀よく。ご両親に好かれますように)
程なくして馬車は侯爵邸に到着した。降りる際に、アルジャーノンに差し出された手を握った時は飛び上がるくらい嬉しかったが、何でもないふりをして澄ました顔も出来た。
(よし大丈夫。それにしても見たこと無いくらい大きい家。もうお城ね)
ノアは震える足を叱咤激励しながらアルジャーノンと共に屋敷のドアを開けた。
「アルジャーノン!!」
「父上、母上戻りました」
「良かった!無事に見つかって!どれだけ心配したことか!」
二人は泣きながらアルジャーノンを抱きしめる。けれど息子の方が二人よりはるかに背が高いので逆に抱きしめられているようだ。
「おや?こちらの方は?」
ノアは緊張に震えながらも精一杯の笑顔で挨拶をする。
「僕を助けてくれたんです。彼女がいなければあのまま死んでました」
「まあ、可愛らしいお嬢さんだと思ったら命の恩人なのね。是非お礼をさせて欲しいわ!今夜は遅いから泊まっていってくださいな。明日ゆっくりお話しましょう」
(可愛らしいお嬢さんだって!それに優しくて素敵なご両親)
思わずこの家でアルジャーノンと一緒に暮らすことを想像したノアははにかんで俯いた。
「そうそう、どうしても貴方に会いたいって方が来てるのよ」
「僕に?」
侯爵夫人はいたずらっ子のような顔で視線を上にあげる。
その人はエントランスから二階に続く階段の上にいた。
慌てて駆けつけたのか、夜着の上に薄絹だけを纏って髪も束ねず長いまま。
それでも光り輝くほどの美しさだった。
同じ人間とは思えないその姿にノアは息を呑む。
「……シャール?」
「アルジャーノン!」
駆け下りようとするシャールより階段を駆け上がるアルジャーノンの方が早かった。
二人が強く抱き合う様子はどんな演劇や絵画より幸せに満ち溢れ、涙で汚れた顔でさえこの世の何よりも綺麗だった。
ノアは魂が抜けたようにそんな二人をぼんやりと見つめていた。
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「お帰りなさい」
侯爵邸の客間に二人きりになったシャールとアルジャーノンは手を取り合い互いを見つめた。
「ミシェルに聞きました。やっぱりルーカの仕業だったんですね」
「はい、そのせいで手紙も書けず心配をおかけしてすみませんでした」
「ううん。生きてるって分かってたから」
「?どうしてですか?」
シャールはアルジャーノンがいなかった間のことをすべて彼に話して聞かせた。彼がこの国の正当な後継者であるということまで。