「ええ、支援している所があるので良かったら推薦状を書きますよ。勉強を教える学校と職業訓練の学校があります。
手に職をつけるのもいいかもしれませんよ」
「本当ですか……?行きたいです!学校!おじいちゃんが死んで一人になったらどうしようってずっと思ってました。……嫌な態度をとっていた私にこんなお優しい言葉をくださるなんて……申し訳ありませんでした」
目に涙を溜めてノアは顔を伏せた。
(やっぱりわざとだったのか)
そうは思うが、ノアの境遇を思うと責めることは出来ない。
「良いんですよ」
「シャール様……!いつかこのご恩はお返しします。ありがとうございます!……私ったらアルジャーノンさんが結婚してくれたら幸せになれるなんて……でもそれも一人立ちとは違いますもんね」
「え?結婚?」
アルジャーノンが目を見開いている。
(気付いてなかったの。ノアさん可哀想。こうは言ってるけど、この人も確かにアルジャーノンを好きだったに違いないのに)
「じゃあお祖父様に相談して連絡ください」
シャールは自分の連絡先をサラサラと書いてその紙をノアに手渡した。
「良かったわねえノアさん」
「はい!」
最初と比べてすっかり表情の明るくなった彼女を囲み、食事会は最後まで楽しく進んだ。
「シャール様、そろそろ馬車を用意しましょう。お送りしますが公爵邸に向かっていいんですよね?」
「はい、お願いします」
今頃セスはシャールの置き手紙を読んでいることだろう。
そこにはセスの生活態度を理由に婚約破棄をしたい旨の内容がしたためてある。追ってミッドフォード侯爵家からも同様の正式な文書を送る予定だ。ようやく自分の家に帰れると思うと、今から楽しみでならない。
「早くお祖父様にも会いたい。父上や母上、それにマロルーやアミルにも」
「これからはいつでも会えますね」
「うん」
シャールは馬車の揺れのせいにしてそっとアルジャーノンの手を握った。
「どういうことなの!?」
ベラは手に持っていたシャールからの手紙をクシャクシャにまるめて部屋の隅に叩きつけた。
「どういうことかなんて知りたいのは俺の方ですよ」
セスは憮然として度数の高い酒を瓶ごと煽っている。
「酒なんか飲んでも解決しないでしょ!あんたがちゃんとシャールを繋ぎ止めて置かないからでしょ!知ってるのよ、また新しい女がいるんでしょ。それもルーカの侍女だそうね。ルーカに知られたらまた殺されるわよ」
「ルーカの癇癪なんていつものことでしょう。相手にしてられない」
「でも、もうルーカの子供だけが頼りよ。この際目が赤くても我慢するわ。アフロディーテの子が見つかった以上、こっちは既にあなたにアルファの継承者がいることを盾に王座に着く権利を主張するわ」
「はあ……」
「あんたがもう少ししっかりしてたら私がこんなに苦労する事もなかったのに」
「オメガだって嘘ついた時点で母上の負けは決まってたんだよ。過ぎた物を欲しがっても手に負えないでしょう。もう前皇后の息子に王座を譲って金だけ貰いましょう。それでどこかで暮らすんです」
「……セス、前皇后の息子が誰か知ってる?」
「いえ。俺には関係ないので」
そう行ってまたセスは酒を煽った。
「アルジャーノンよ。皇室騎士団にいたあの男」
「え?あいつが?灯台下暗しだな」
「しかもシャールと恋仲よ。あの男と結婚してシャールは皇后になるつもりなのよ」
「は?なに言って……まさか本当に?」
「次の国王を決める貴族会議では筆頭貴族の三つがアルジャーノンを推すと連絡が来たわ。そして皇后はシャールなの!優勢オメガ姫に選ばれたのはあなたじゃなくてアルジャーノンなのよ!」
「そんな……!!」
セスは怒りのあまり持っていた酒瓶を床に叩きつける。血のように赤い液体が床を舐めた。
「許せない……シャールは俺のものだ。俺だけの物なのに」
セスの目はどろりと醜く濁っていた。それは酒のせいだけではない。
憎しみや執着、妬みが凝縮し煮凝ったように沈んでいる。
そして三者三様の思惑の中、貴族会議の日が近づいてきた。
※※※※※※※※
その頃、ミッドフォード公爵邸では、ようやく家に戻った孫を、ゴートロートは片時も離さない勢いで可愛がっていた。
「それにしてもベラの奴は本当に狡猾で卑怯で強欲だな」
まさにその通り!と口に出すのもはしたないと思ったシャールは、「そうですね」と相槌だけを打った。
「けれどセスから伝令もありませんし、婚約破棄については納得してくれたようです。今のところ、それで十分です」
「だが、そんなあっさりとシャールを諦めるだろうか」
確かに、セスはともかく皇后がこんなに静かなのは不気味だ。嫌がらせの一つくらいあっても不思議ではないのに。
「シャール様、そろそろお時間ですよ」
「ありがとう、マロルー。お祖父さまちょっと席を外しますね」
「どうしたのだ?どこに行く?」
「もうすぐアルジャーノンが来るんです。着いたら一緒にご挨拶に来ますね」
ゴートロートは面白くなさそうに「来なくていい」と不貞腐れた。
「ふふっお祖父さまったら。今日は市井で小さな祭りがあるんです。たまには一緒に出掛けようかと誘ってくれただけですよ」
透き通った頬に朱を咲かせ、初々しく微笑むシャールにゴートロートはもう何も言えない。
「仕方ない。今日はあいつに譲るとしよう。挨拶には来なくていいから早く行きなさい」
「ありがとうございます。また夜にお食事を持って来ますね。それまでゆっくりとお休みください。体調が悪くなければ明日は庭でお茶を飲みましょう」
「分かった分かった。早く行きなさい」
「はい」
シャールはお辞儀をしてゴートロートの部屋を出た。
「シャール様、お着替えをお手伝いします」
「ありがとう」
アミルが選んだのは市井でもあまり目立たないドレスと、小さな石のついたネックレスだった。
「アミルごめんね、今日はもう少し華やかにしてくれる?」
「え?良いのですか?市井で目立ってしまいますが……」
「うん、悪目立ちしない程度に目を引く様にして欲しいんだ」
「何かお考えがあるんですね。承知しました。お任せください」
少し考えてアミルが出してくれたのは、丈は短めだが見るからに生地の良いドレスだった。紫のグラデーションが美しく、胸元には小さいが本物の宝石がいくつも散りばめてある。
「髪はどうされますか?フード付きのマントを使われますよね?」
「ううん。今日はこのままで行くよ」
「えっ?!」
アミルが驚くのも無理はない。シャールの輝く絹糸のような銀髪は、オメガ特有のものだ。ひとたび外に出れば注目を集めること必至なのだから。
「危険な目に遭いませんか?市井にはよからぬ者もいます。攫われでもしたら……」
「大丈夫。今日はアルジャーノンと一緒だからね」
「それなら安心ですが……」
「ふふっ。アルジャーノンに敵う相手なんていないよ」
「まあもう惚気ですか?私も早く素敵な旦那様を探さなきゃ」
「応援してるよ」
シャールとアミルは顔を見合わせて笑った。
国で一番高貴なオメガ姫。しかも皇太子の婚約者である自分が、男を連れて歩くのだ。それが何を意味するか、シャールは十分以上に理解している。瞬く間にその噂は広がり、相手が誰か詮索が始まるだろう。
陛下が崩御された今、アルジャーノンをお披露目するような舞踏会が城で開かれることは絶対に無い。それなら各方面で注目を集め、人々の興味をひいた上で公爵家で彼を紹介する。そこで彼の立場を、そして彼こそが次期国王に相応しいとこの国の全ての民に知らしめるつもりだ。