分厚いカーテンを引いた部屋は陽が昇っても夜のように暗い。周りを照らすのはランプの僅かな灯りのみ。そんな場所でセスはぼんやりと酒を飲んでいる。
ベッドには最近お気に入りの愛人でルーカの侍女だったアリアが眠っており、床はおびただしい数の酒瓶で溢れていた。
「シャール……どうして俺を捨てたんだ。国王にはなれなくてもお前さえいれば良かったのに」
「……んんっ……殿下?何か仰いましたか?」
セスの独り言で目を覚ましたアリアが、寝ぼけ顔で体を起こしセスを見遣った。セスは、夜を共にしている相手が愛する人ではないという事実から目を背けるように、無視を決め込んで酒瓶から直接酒を胃に流し込み、苦い顔をする。
「殿下……あ、セス様とお呼びする方がいいんですよね。セス様、お腹すきませんか?」
「……黙れ!」
「えっ?」
昨晩の睦言を思い出し名前を呼んだ彼女に、セスは激高してグラスを投げつけた。そして堪えていた感情を吐き出すように、彼女に向って「出ていけ!」と叫ぶ。
「そんな!だって殿下がそう呼べと……」
優しかったセスの変わりようにアリアは蒼白となってその腕に縋りついた。
「そんなこと仰らないで!ここから出たら私はルーカ様に殺されます!何でもいう事を聞いて大人しくしてますからこの部屋から追い出さないでください!」
「……こい」
「え?」
「じゃあシャールを連れて来い!」
「シャ……シャール様を?」
先日何かがあってシャールが城を出たことは食事を運んで来たメイドに聞いて知ってはいたが、自分ごときがお願いしても、高貴なオメガ姫が頼みを聞いてくれるとは到底思えない。
「私がどうやってシャール様を連れて来られると言うのですか!」
「何でもすると言っただろう!誘拐でも何でもいい。シャールをアルジャーノンから引き離して俺のところに連れて来い!でなければ二度と俺の前に姿を見せるな!」
「そ……そんな!」
(無理だ、そんなこと出来るわけがない。そもそもシャール様がどこにいらっしゃるのかも分からないのに!けれど部屋を出されたら間違いなく殺される)
アリアに選択の余地はない。だがシャールを連れ戻すと言って城の外に出てしまえば逃げられるのではないか?アリアは一縷の望みに賭けようと腹を括った。
「承知しました私の愛する殿下。貴方様のために必ずやシャール様をお連れします。そのために私に幾ばくかのお金と城から出る許可をいただけますか」
「……良いだろう」
セスは引き出しから取り出した数枚の金貨をアリアに投げて寄越し、許可のために書記官を呼ぶよう護衛に言いつける。その間にアリアは素早く洋服を身にまとい身だしなみを整えた。
(よし、これだけあれば船でこの国を離れられる。向こうで家を借りて落ち着いたら家族に手紙を書こう)
アリアは両親に甘やかされ可愛がられていたが、しょせん領地もない貧乏男爵の末娘だ。自分がいなくなれば驚くだろが、兄姉がいるので親のことは心配ない。この機会に外国で暮らすのも悪くないだろう。そう考えて、書記官の用意した通行証とお金を持ち、彼女は部屋を出た。
……だが、そんな甘い考えもすぐに消えてなくなることになる。
何故なら部屋の前にはルーカが恐ろしい顔で腕を組み、仁王立ちしていたのだから。
***************
その日、ミッドフォード公爵邸の使用人たちは、揃って朝から忙しく走り回っていた。なんせ数年ぶりに邸で舞踏会が開かれることが決まったのだ
。
何度も催促をしているにも関わらず、シャールの婚約解消について王室からは未だ何の返答もなかったため、業を煮やしたアルバトロスは先にアルジャーノンのお披露目をすると決めたのだ。親交のある国内の貴族に加え、現在は外国に移住してしまった旧知の家門にまで招待状を送った。見捨てた国の事などもうどうでもいいと考え、来ない者も多いだろう。それでもその胸に、僅かでも何かが棘のように引っかかっているとしたなら……。ぜひ力を貸して欲しい、そんな願いを込めてアルバトロスは大勢の人を招待した。
「料理と飲み物の数は読めないね。どうしようかな……」
シャールが注文書を見ながら唸っていると、アルバトロスが来てリストを差し出す。
「招待客の数と合わせればいい。来る者が少なければ使用人たちに食べさせればいいだろう。足りないよりマシだ」
「そうよ、お父様の言う通りよ?シャール。ご招待したのにお食事が足りないなんてとんでもなく失礼よ」
「分かりました。じゃあそうしますね」
二人の言葉に従い、注文書に数字を書き込んでいくが、正直なところ招待した人数の半分も来てくれれば御の字と思っていた。
(パーティでアルジャーノンを紹介するということは、完全に今の皇后やセスと袂を分かつことになる。国内の貴族はもとより、外国に逃げた家門でもそんな厄介ごとに巻き込まれるのはごめんだろうなあ)
けれど平和的にアルジャーノンを国王にするには、少しでも多くの貴族たちからの支持が必要だ。そのためにはこのパーティでなるべく多くの人にアルジャーノンのことを知って貰わなければ。
それから一か月後、いよいよ舞踏会の日がやって来た。
クランが手ずから特別に仕立て上げた琥珀色のドレスを纏ったシャールは、銀色に艶めくシャールの髪色のスーツを着たアルジャーノンと共にエントランスで招待客を待った。
既にアルジャーノンの育ての親であるジュベル侯爵夫妻と、親友サラの家門であるホーエンシュタイン侯爵夫妻が到着している。皆はそれぞれに不安な思いを抱えながら庭園の向こうにある門扉の様子を眺めていた。
「シャール、気になるのは分かるけど中にいたらどう?お茶会じゃあるまいし、主役がエントランスでお出迎えなんて聞いたことないわよ」
「サラはそんなのんきなこと言うけど……本当に皆が来てくれるか心配で仕方ないんだよ」
「分かってるわ。でもやれる事はやった。私たちもそれは同じよ。不安ならとにかく二人で先にシャンパンでも飲んでなさいよ。ほら!早く!」
「……分かったよ。アルジャーノン行こう」
「はい、シャール様お手をどうぞ」