ほんの短い距離なのにアルジャーノンは手を抜かない。きちんとシャールをテーブルまでエスコートすると、シャンパンを差し出した。
「……綺麗だね」
シャンパングラスをシャンデリアにかざすと、まるで日暮れの空に上がる繊細な花火のようで、シャールはようやく緊張から解き放たれた。口に含むと甘味と優しい刺激が心地よく喉で弾ける。
「ねえアルジャーノン、城はどんな様子?セスや皇后に酷いことされてない?」
「ええ。通常二人と顔を合わせる機会なんてありませんから普段通りです。騎士団の連中にも行方不明の間の記憶がないと言っていますので特に問題はありません」
「……ルーカとも会ってない?」
「ええ。ルーカ様は別宮にお住まいなので私の事は知らないんじゃないかと思います。最近はすっかり静かに過ごしているようで侍女もほっとしていましたよ」
「そうなんだ。ずっとそのままだといいんだけどね」
やらなくてはいけない事や、考えなくてはいけない事が山積みなんだから、せめて大人しくしてて欲しい。そうは思うが、きっとルーカはまた問題を起こすだろう。
(……まあ仕方ない。それがルーカだ。それに僕は一人じゃない)
シャールは隣にいるアルジャーノンをそっと見上げた。彼の横顔は精悍で彫刻のように美しい。見ているだけでドキドキと落ち着かなくなって、彼の手に自分の指をギュッと絡めた。
「……シャール様」
「なに?手を繋いじゃだめなの?そんな事言ったら頬にキスしちゃうよ?」
ぷうっと頬を膨らませるシャールに、アルジャーノンは真っ赤になり、慌てて手を握り返した。
「……っ!!なんてことを言うんですか!違います!入り口の方が騒がしいなと……」
ああ。そう言う事か、良かった。
「行ってみる?」
「そうですね」
けれど二人が動くより先に、沢山の着飾った人たちが、楽しそうにおしゃべりをしながら広間に入って来た。それは想像していたよりも多く、シャールは驚いて声も出ない。
「……みんな来てくれたんだ」
「シャール様のデート目撃作戦が効いたんじゃないですか?」
「ふふっそれもあるかもね」
「まあ!主役がこんなところにいたのね!シャール様ご無沙汰しています」
「エメル公爵夫人!帰国してくださったんですね!!お会いしたかったです!」
「そりゃ麗しのオメガ姫様からの招待状ですもの。海くらい超えますわ」
「ありがとうございます!」
久しぶりに見る顔も多く、シャールは懐かしさに涙ぐむ。
「さあ、行こう。みんなに紹介するよ」
シャールはアルジャーノンの手を取り、人々の輪の中に入っていった。
しばらくして招待客が全員揃った所で、アルバトロスが乾杯の発声をした。そして隣にアルジャーノンを呼び、彼を紹介した。
「彼は皇室騎士団の副団長を務めている、アルジャーノン・ジュベルです。ご存知の方も多いかと思いますが、実は今回は彼のために舞踏会を開きました。後ほど詳しく話をさせていただくので、まずは歓談いただいて彼の人となりを知っていただきたいと思っております」
広間中から拍手が沸き起こった。そして早速、様々な家門の人々がアルジャーノンを取り囲む。
「近くで拝見するのは初めてだわ。素敵な方ね」
「さすが騎士団の副団長だ。体も鍛えておられる。今まで戦場に出たことは?」
誰に対しても穏やかに微笑み、柔らかく言葉を返すアルジャーノン。しかしそこには、いつもシャールに見せるような、気恥ずかしげな表情や照れたそぶりは微塵もない。
(あれは僕だけに見せる素のアルジャーノンなんだね。本当に可愛い人)
貴族たちの興味は尽きる事がない。そのうち音楽が始まったのでシャールはアルジャーノンに助け舟を出すために、彼の側まで行き、そのほっそりとした手を差し伸べた。
「皆様、ダンスの時間です。どうぞお楽しみください。アルジャーノン様、エスコートしていただけますか?」
「勿論です、シャール様」
人の輪からするりと抜け出し、シャールの手を取る。そして真珠のような輝きを放つ手の甲に唇を寄せた。
周りから息を呑む声が広がり、感嘆のため息が漏れる。
二人は皆の羨望の眼差しを纏いながら広間の中央に躍り出た。
「助かりましたシャール様。皆さん良い方達なんですが、一斉に話されるので返事が追いつかなくて……」
困り顔で苦笑いをするアルジャーノンが愛しくて、シャールは更に体を密着させた。
「……シャール様、私がアルファの力を取り戻したらこんな風に触れてはいけませんよ」
「アルジャーノン、顔が赤いね」
「当たり前です。揶揄うのはやめてください」
「ふふっこれからアルジャーノンの正体についての発表があるのに、こんなに照れた顔は見せられないもんね」
「……シャール様……」
シャールは楽しそうにくるりとターンして再びアルジャーノンの腕の中に戻る。そして何よりも落ち着くその香りを肺一杯に吸い込んだ。
「両親の後ろに隠れてアルジャーノンと踊りたそうにしているお嬢さんたちが沢山いるけど、これから先も最初のダンスは、僕だからね」
「勿論です」
その言葉が本当であると証明するかのように、アルジャーノンはオーバーターンをした後でシャールの体を強くホールドした。
「ふふっ大好き」
「……もうやめて下さい。真顔を保てません」
アルジャーノンのギブアップを合図にしたかのように音楽が止まり、アルバトロスが再び壇上に立った。……いよいよアルジャーノンのお披露目だ。
「皆様、ご歓談中ですがここで改めてアルジャーノン・ジュベル副団長についてご紹介します」
その声に促され、アルジャーノンはアルバトロスの隣に立った。
「その前に一つお知らせがあります。我が家の至宝であるシャール・ミッドフォードはセス王子との婚姻を白紙に戻すこととなりました。原因は王子の素行に起因するものです」
一瞬広間全体がざわついたが、セスの悪行は今や諸外国にも届いているので、さもありなんと頷く者も多くいた。
「それを踏まえ、ミッドフォード家は新たな縁として、シャールをアルジャーノン様に託すことといたしました。……その件に関して皆様にお伝えしたい事があります」
アルバトロスは一呼吸置いてから皆をまっすぐに見据え、話を始める。
「皆様も聞かれた事がおありかと思います。前皇后のアフロディーテ様が市井で陛下のお子を出産されたという噂を」
一体何の話なのかと、皆が戸惑いながら聞いている中で、アルバトロスの声は一層大きくなった。
「そのお子こそ、アルジャーノン様なのです」
一瞬の沈黙の後、広間は蜂の巣を突ついたような騒ぎに包まれる。それはそうだろう。その話が本当ならアルジャーノンは国王の座に着くべき人なのだから。
「証拠はあるんですか?!」
突然声を張り上げたのは皇后の実家である子爵家と縁の深いポルボ子爵家の当主だ。……招待状など出していないはずなのだが。
だがその声を聞いて、一部猜疑心が強い家門の人間が同じように疑いの目をアルジャーノンに向けた。
「皆さん落ち着いてください。なんの根拠もなくこんな話はいたしません」
親交の深い多くの家門は落ち着いてアルバトロスの話に耳を傾けているが、それ以外の者たちは半信半疑でアルバトロスとポルボ家の当主を見ている。
(あのアフロディーテ様の名前が入ったネックレスがあればあんな男黙らせることが出来たのに!)
シャールは歯痒い思いでことの成り行きを見守った。けれど皇后は用心深く、結局取り返すチャンスは無かったのだ。