「……お許し……ください……殿下」
「まだ喋れるのか?アリア」
セスの部屋の床、そこには昨日まで寵愛をほしいままにしていたアリアが恐怖に全身を震わせ、蹲っていた。
着ていた服は無惨に破れ、体のあちこちから血を流していたが、もちろんセスはそんな事お構いなしだ。
「……分からないのです……言われた通りにシャール様を捕まえてきちんと馬車に乗せました。……それが突然男たちに襲われて……シャール様を連れ去られ……きゃっ!!」
話の途中で思い切り蹴り飛ばされ、アリアは部屋の端まで吹っ飛んだ。セスは激しい苛立ちを隠さず大声で喚き立てる。
「あの馬車にシャールが乗っている事がなぜバレるのだ?!そんなはずないだろう!お前がシャールを隠したんだろう!?早く居場所を吐かないと死ぬより酷い目に遭うことになるぞ!」
「……そんな……」
アリアは絶望に目を閉じる。セスの怒りを鎮めるような情報を自分は持っていない。話したくても本当に何も知らないのだ。
「……お許しください。私も襲われて怪我を……しました。私の仕業ではないのです……」
「……まだ吐かないか」
セスはテーブルの上にあった鞭を手に取る。アリアの目が恐怖に見開かれた。
「……まっ……待ってください!本当に……!」
「その強情な態度がいつまで続くかな」
ピシリと床を打つその鞭は、九尾と呼ばれるもので、九本に分かれた革紐の先端に鉛玉や金属片が付いており、肉を裂くほどの痛みを与える。
それだけならまだいいが、その鉛が当たった骨は、治療も出来ないほど粉々に砕けるのだ。
(あんなもので打たれたら死んでしまうわ!)
「セス殿下!馬車を襲わせた人に心当たりがあります!」
アリアは必死に言葉を絞り出した。恐らく……程度の話だが、もし本当にそうなら自分の疑いも晴れるし上手くいけば助けてもらえるかもしれない。
「……自分ではないと言うんだな?それで?
その犯人とは誰だ」
「ル……ルーカ様でございます!」
「ルーカ?」
アリアは昨日、部屋の前でルーカに会ったことを話した。そしてルーカからシャールを攫ってセスではなく自分の元に連れて来るよう言われたことも。
「私が戻ってもルーカ様は私に会いに来られませんでした。それは既にシャール様を手に入れたからではないでしょうか!」
「……ルーカが……」
セスは考え込むような仕草をしている。
「そうです!私がルーカ様の言うことを聞かず、シャール様をセス様の元に連れて行くと思い、先に馬車を襲って連れて行ったんだと思います!」
アリアは必死で訴えかける。早くルーカ様の所に行って欲しい!その隙に逃げられるかもしれない!そう考えながら。
「なるほど、分かった。じゃあ話を聞くから今からルーカを呼んでこい」
「えっ?……私が……ですか?」
「そうだ。もしルーカがシャールを連れ去ったなら、お前がルーカから酷い目に遭わされることはないだろう?」
「それは……そうですが」
自分が言ったのはあくまで想像だ。もしその通りではなかったら……。シャールを連れて来られなかったアリアは、ルーカに会うなり殺されるだろう。
(どちらにしても私の命はここまでだったのね。それならあの鞭で死ぬまで痛めつけられるよりルーカ様に一思いに殺して貰おう)
何が悪かったのか……私はただ死にたくなかっただけなのに。アリアはノロノロと立ち上がるとセスに一礼をして部屋を出た。
アリアがのろのろと廊下を歩いていると、同じ時期にこの城に来た洗濯場担当のルビアが、アリアを見つけて悲鳴を上げた。
「アリア!どうしたのその傷!こっちへ来て!すぐ手当をしなきゃ」
ルビアは自分は着けていたエプロンを急いで外してアリアの血を拭う。アリアは現実味のない頭でぼんやりとされるがままになっていた。
こんな風に人として扱われるのはいつぶりだろう。自分より容姿の劣るルビアが侍女になれなかった時、優越感から彼女を蔑んでいた自分を心から悔いた。
「大丈夫、私に構わないで」
「えっ?!でも……」
「今からルーカ様の所に行かないといけないの。じゃあね」
「……うん。でも戻ってきたらちゃんと手当てしないとダメよ。せっかく綺麗なのに傷が残ったら勿体無いわ」
その優しい言葉に涙が出る。けれど、ルビアと一緒にいるところを見られたら彼女も罰を受けてしまうかもしれない。そう思ったアリアは、振り向くことなく無言でルーカのいる別宮に向かった。
◇◇◆◆◇◇
「いよいよ明日は貴族会議だな」
地下の牢屋の前で、サラの父親であるダビデ・ボーエンシュタイン侯爵がポツリと呟いた。
「そうですね。……私の参加は難しそうですがね」
目の前の牢の中にいるロイド・ジュベル侯爵が自嘲気味に笑う。
「あなた、希望は捨てないでおきましょう」
彼の妻であるローズがそっとロイドの腕に手を添える。それが微かに震えていることに気がついたロイドは、その手に自分の手をぎゅっと重ねた。
「アルジャーノンのことを頼む」
ロイドがダビデをしっかりと見つめ、そう言った。その言葉には覚悟が宿っていて、ダビデの胸を騒つかせた。
「ああ、分かっている。何としてでもアルジャーノン殿下にこの国の王になっていただかなければ」
そうしなければこの国は滅ぶだろう。それもさほど遠くない未来に。
「だが、アルジャーノン殿下が即位するためにはジュベルご夫妻の存在が欠かせない。お二人に何かあったら、殿下は怒りでこの国を滅ぼしてしまいかねないからな」
冗談混じりに微笑むダビデに、夫婦はほっと息を吐いて微笑んだ。
「そうだな、あの子は親想いのいい子だから。その為には私たちがここで踏ん張らないと」
「そうとも。そろそろミッドフォード公爵が着く頃だろう。交代したら私は一旦邸に戻って作戦を立てる」
「……何も出来ず不甲斐ない」
「何を言っておられる。私たちこそすぐにここから出して差し上げられず申し訳ない」
「……私たちは何ら悪い事はしていない。ただの皇后陛下の企みでここにいるのだから休暇でも取ったつもりで堂々と過ごすさ」
「ふっ……そうだな」
ロイドとダビデは顔を見合わせて笑った。
「楽しそうだな」
そんな二人の前にアルバトロスが現れた。後ろにはいい匂いの食事や暖かそうな毛布を手にした召使が控えている。
「おお、交代の時間だな。あとは頼んだぞ」
「任せておけ……ところで少しだけ時間をもらえるか」
アルバトロスはダビデにこっそりと囁く。近くで見ると、いつも通りに思えていたアルバトロスの表情が固い。ダビデはすぐに何かあったのだと察知した。
「では先に外で待っている」
ダビデはジュベル夫妻に挨拶をして先に階段を登った。
◇◇◆◆◇◇
「待たせたな」
「いや、ジュベル夫妻は大丈夫か?」
「ああ、腕の立つ者を側に付けてきた」
差し入れの甲斐あってか、最近は兵士たちもこちら側に有利な動きをしてくれるので、勝手に侯爵夫妻をどこかへ連れて行くような事はないだろう。彼らとて正直なところ、現在のこの国の在り方に疑問を感じているのだ。
「それで?何あったのだ?」
「……シャールが何者かに攫われた」
「なんだと?!居場所に心当たりはあるのか?!」