「……国王に会いに」
「は?王様に?流石にそれは無理だ。一体王様に何の用があるんだよ」
「話したいことがある。……あの人のことについて」
「あの人?」
デモンは黙って花壇を指差す。そこに咲いていたのは真珠色の花。そしてネームプレートには「アフロディーテ」の文字がある。
「……え?」
「この国の現王の姉であるオメガ姫、アフロディーテ様について話したいことがあるんだ」
「……お前は誰だ?」
「……デモン・バリアン男爵家の長男だ。まあもう取り潰しに合いそうな家門だがな。……あんたは国王に縁のある人なんだろ?王に会わせてくれよ。取引をしたい」
「……なぜ分かったんだ」
「そりゃ、この国に来るなり散々冷たくされてたのに優しく話しかけてくる奴がいたらおかしいと思うだろ」
「なるほどな、分かった。会わせてやるからちょっとここで待ってろ」
「ああ」
(良かった。俺はついてる。この調子なら取引も上手く進むだろう。もうしばらく待っててくれシャール、すぐに迎えに行ってやるから)
デモンは水の残りを一気に飲み干して立ち上がった。
間も無く、デモンの元に迎えの騎士が来た。警戒されているのだろう、四方を五人で囲まれて長い廊下を歩いてゆく。
「止まれ。少し待っていろ」
脅すような低い声で命じられて、デモンは腹を括った。
(どのみち今のままじゃ詰みだ。もし怒らせて処刑されたとしても仕方ない)
一介の、しかも他国の男爵家という下位貴族が国王に謁見を求めているのだ。普通は叶うはずがない。それだけこの国にとってアフロディーテの名前は特別なんだろう。美しい花の名前にするくらいに。
「入れ」
目の前のドアが開かれる。そこに広がるのは見たことも無いような巨大な大広間だ。その際奥の玉座に王は座っていた。
(よし!やるぞ)
デモンは騎士に囲まれたまま、一歩を踏み出した。
◆◆◇◇◆◆
貴族会議から三日。
ベラは自室でぼんやりと窓の外を見ていた。
空は憎らしいほどに晴れ渡り、いつものように庭園では美しい花が咲いている。
「……庭でお茶でも飲もうかしら」
ベラの呟きを聞きつけた侍女が急ぎ、手配に走る。その後ろ姿を見て、途端に外に出ていく気が失せた。
「恐れながら皇后陛下、赤ん坊の件ですが……」
恐々といった感じでつい先ほど乳母に指名した使用人が話しかけて来る。ベラは感情のこもらない目でその女を見た。
「何かあったの?」
「いえ、差し出がましいのですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「名前……名前ね」
そう言えば何も考えていなかった。
「ラ……いえ、リエル。リエルにしましょう」
「リエル様……ですか?」
乳母は信じられないという顔でベラを見た。リエルというのはこの国の言葉で『嘘』という意味だ。平民でさえそんな名前を付けるものはいない。
「そうリエル、ピッタリね」
「そ、そうでございますね……今日もお元気でいらっしゃいます。お連れしましょうか」
「いらないわ。もう下がって」
「かしこまりました。失礼いたします」
パタンとドアの閉まる音がして、部屋に再び静寂が訪れた。
ベラは静かに窓の外を眺めながら自分の人生を振り返る。
「すべて、あの人が始まりだったわ。貴方に出会わなければ私は幸せだったのかしら」
今はもう亡き、最愛の夫でありこの国の国王だったレオンドレス。だが、彼は最期まで一度たりとも自分を見る事はなかったのだ。
ベラがレオンドレスと初めて会ったのは、まだ二人とも子供だったもう五十年も前のことだ。皇太子だった彼は、婚約者を探すためのパーティを開くことになり、ベラも末席ながらその催しに参加することとなったのが始まりだった。
数合わせに呼ばれただけで、子爵家の娘など皇太子妃に選ばれるはずもない。それは分かっていたのに……。
同じ年のはずの彼は、子供ながら聡明で機転が利き、性格も穏やかで優しかった。そんなレオンドレスをベラは一瞬で好きになってしまったのだ。
当時、どこの家門にもオメガはおらず、筆頭貴族の公爵家令嬢に白羽の矢が立っていた。けれどそれは形ばかりで二人の交流はあまり上手く行っていないようだった。
それでも貴族の結婚に恋愛は関係ない。このまま令嬢と結ばれるかと思われた矢先に、あの女が現れたのだ。
「アフロディーテ、本当に嫌な奴だったわ」
オメガなので正確には男というのかもしれないが、アフロディーテは女性寄りの中性的な容姿で、目を見張るほど美しい顔立ちをしていた。レオンドレスは狩の最中に森で彼女と出会い、お互いが一瞬で恋に落ちたらしく、馬に乗せて城に連れて帰りそのまま結婚すると宣言したのだ。
しかし相手は他国の身分も分からないただ、オメガというだけの相手だ。当時の国王からも猛反対を受けたが、レオンドレスは頑として譲らなかった。
今から思えばあれが運命の番というものだったのだろう。
ベラはその時の二人の様子を思い出し、改めて腑が煮え繰り返るような屈辱を思い出す。
「候補の公爵令嬢であればまだあきらめはつく。けれど会ったばかりの素性もしれない相手なんて……」
けれど、そんなレオンドレスに根負けした国王は、もう一人、きちんとした国内貴族の令嬢を側室にする事を条件にアフロディーテを皇太子妃にする事を許した。
その話を父親であるゴーンロゼットから聞いたベラは市井の刺青職人を呼び寄せ秘密裏に胸に四葉の印を刻み、オメガと偽って見事側室の座を勝ち取ったのだ。だが、アフロディーテが生きている間、いや、死んでからも一度だってレオンドレスはベラを愛する事はないまま、この世からいなくなってしまった。
つまり、セスはレオンドレスの子ではない。相手は今では名前も思い出せない、どこかの貴族の令息だった。それを知っていながらも何一つ咎めることも追及することもなく、彼はセスを自分の息子として育てていたのだ。
……それほどレオンドレスにとってはどうでもよかったのだ。
ベラもセスも、そして王位さえも。
だからアフロディーテの子が生きていると知った時はさぞ嬉しかったに違いない。
「貴方に出会わなければよかったわね。そうすれば私もこんな酷い人間にならなくて済んだわ」
だが、今更そんな事を思っても仕方ない。それに昔のことだからと流してしまえるほど単純な感情でもないのだ。
「絶対にアフロディーテの子にこの国は渡さないわ。そんな事をするくらいならこの国を滅ぼして私も死ぬ」
その為には得体の知れない出自の赤毛の赤ん坊でも、この国の皇太子にしてみせる。
……あなたがセスにこの国を継がせようとしていたように。
ベラはそう決意して、静かに自室を後にした。
◇◇◆◆◇◇
セスの手によって地下牢に放り込まれたルーカは、長引く高熱に苦しんでいた。
傷が膿んで痛みが酷い上に、不衛生な水のせいで胃に炎症を起こしており、何も口に出来ない状態だ。
見張の兵士たちは「何も手助けをするな」と言われており、ルーカが苦しむ姿をただ見ているだけだった。
「え?ルーカ様?」
そこへ現れたのは騎士団副団長のエイベルだ。たまたま兵士長に渡すものがあり、地下牢に顔を出しただけだったが、そこに予想外の人物を認め、驚いて駆け寄った。