ブライト王国の王室は今やその存在自体が風前の灯だった。
わずかに残っていた味方の貴族たちは、こぞって他国へ移住し、他国に移るような財力のない者たちは親戚を頼って亡命を始めた。
それは平民たちも例外ではない。
昨年の不作の煽りを受け畑を手放す者が続出し、食料が足りなくなって町には浮浪者が溢れている。そんな状況になっても王室は何の手も打たずほったらかしのままだ。
「……セスはどこにいるの。呼んできてちょうだい」
皇后ベラは、古くから自分に仕える侍女にそう指示するが侍女の答えはいつも同じだ。
「市井に視察に行かれているようです」
「……視察ねぇ。便利な言葉だわ」
ベラは知っていた。最近、セスが市井で平民たちに混じって薬を使った危ない遊びに興じていることを。
「……リエルは?」
「……お静かにされています。あの……よろしければ!」
「黙りなさい。もういいわ」
「……かしこまりました」
ベラのやることは山積みだ。一人でこの国に起こるすべてのことに対応しなければならないのだ。側近は皆いなくなってしまった。金の管理を任せていた者も、いつの間に逃げていなくなっていた。……金塊や現金をすべて持ち出して。
「構わないわ。もうすぐ税が入ってくる時期よ。それがあれば先月の嵐で壊れた城の壁が修復できる」
国の象徴である城が、一部とはいえ崩れているなんて許せない。完璧でなければならない。せめて自分と、この城だけでも。
民の家や畑なんて二の次だ。そんなものどうとでもなるだろう。
「皇后陛下、よろしいですか」
名ばかりの宰相がベラの部屋を訪ねて来た。礼儀も何もなっていない。その証拠にノックもなしに扉を開けるのだから。
「……なんなの」
けれど、残り少ない使用人は大事にしなければ。これ以上人が減ればこの大きな城は立ち行かなくなる。
「えーっと子爵様が来られてます。ご実家の」
……まったく平民上がりの成金貴族は言葉遣いもなってない。ベラは怒鳴りつけたいのを堪えて「通して」と椅子に座った。
「ベラ、久しぶりだな。何の用だ?」
ゴーンロゼット子爵は尊大な態度で一番大きなソファに座り、足をテーブルの上に投げ出した。
「……おやめください。みっともない」
「わははは!みっともないのはお前だろう」
「……なんですの。藪から棒に」
ゴーンロゼット子爵は、葉巻を取り出し、口に咥える。そしてにやにやと嫌な笑いをその太りすぎた顔に貼り付けた。
(馬鹿にして……!私が皇后になった時は、あんなに媚び諂っていたくせに!)
ベラは膝に置いた指でドレスをぎゅっと掴む。悔しい。けれど、藁をも掴みたい今の自分にとっては、こんな父親でも大事な後ろ盾なのだ。
「父上、ご相談なんですが、領地の税収を上げたいんですの。この状況でしょう?国を建て直すにはお金がないと。しかもアルジャーノンがエイガーに行ったと聞きました。もしあいつがエイガーの王位を継いでこの国に攻め込んだら……。その為には、大きな軍隊を作っておかなくてはなりません」
捲し立てるベラをポカンとした顔で見ていたゴーンロゼットは、話の途中で笑い出した。
「……何がおかしいんですの」
「いや、お前!軍隊って!そんなもの一朝一夕で作れるわけないだろうが。それに税収なんてどこから取るんだ?民はもう食べる物もなく、路上で生活しているのに。税を取れるような者は、もう国内にはいない」
「そんな……!じゃあどうすれば!?」
「どうも出来ん。攻め込まれたら降伏しろ。それしかない」
「そんな!じゃあ私たちはどうなるの?」
「……私たちというのはお前とセスか?」
「何を仰ってるの?お父様もでしょ?」
「はは、そうだろうな」
ゴーンロゼットは力無く作り笑いをする。その様子にベラは嫌な予感がした。
「……お前が胸にオメガの印を入れると言い出した時に止めていればな……」
「なんですの、今更。お父様も乗り気だったじゃありませんか」
「ああ、本当に今更だ。嘘をついて皇室に入って、アフロディーテ様を暗殺しようとして、最後は本当に国王陛下まで殺してしまうとは。我が娘ながら恐ろしいよ」
「……幸せになるためなの。仕方なかったのよ!」
「それでお前は、幸せになれたのか?」
「…………」
「今日は別れの挨拶に来た。他国に逃げることにしたからな」
「そんな!お父様まで!ひどいわ!」
「この国にいても先がない。お前と共に泥舟で沈むつもりはないんだよ。ベラ」
ゴーンロゼットはそれだけ言うと、扉を閉めて出て行った。
ベラはその後ろ姿を、感情のこもらない目でいつまでも見つめていた。
その日、夜遅くなってもセスは城に戻ってこなかった。
流石に心配になったベラは、騎士団長に昇格したエイベルに、探しにいくようにと命じた。
「あー、何だよこんな夜に呼び出しなんて……」
エイベルは、ぶつぶつ言いながらも、二人の部下と一緒にセスが行きそうな酒場に向かう準備を始める。
「……団長、何だか様子がおかしいです」
部下の一人が、不安そうな顔でエイベルの方を見た。
「なにが?」