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第138話 初めての夜

骨が軋みそうなほどの力で抱き返され、溢れる想いに息ができない。


愛しくて、可愛くて、健気なこの人に僕はどうやって報いることができるだろう。

シャールは、そんなふうに思った。


「……ずっと、貴方を見ていました。セスが公の場でも堂々とルーカを伴って貴方を蔑ろにしていた時も、貴方はいつも凛とした姿で立っていた。その姿に恋をしました。もちろんそれだけではありませんが……」


そんなのは全部、ただの虚勢だった。惨めな皇后だと思われたくない、それだけだったのに。


「我慢してた甲斐があったよ」


「シャール様、以前は貴方に何もしてあげられませんでした。こんな私ですが、今生はずっと傍にいてくださいますか」


その真剣な目にシャールはふっと微笑んだ。


「だめ」


「……?ええ?シャール様?!」


「ふふっ、じゃあ僕の言うことを聞いてくれる?」


「勿論です!なんでも仰ってください!」


悲壮な表情が何故か胸を高鳴らせる。シャールは優しくアルジャーノンの頬を自分の手で包んだ。


「シャールって呼んで。敬語もいらない」


「……善処します」


「うん、少しずつ慣れて。壁があるみたいで寂しいよ。僕たち夫婦になるのに」


「……シャール様!」


「ほらまた!」


「すみません……」


整った顔を難しく歪めているアルジャーノンが面白くて、シャールはその頬にキスをする。そして分かりやすくベッドに誘った。


「……シャール様、まだ早いです」


顔を赤らめつつ、抱きしめていた腕をおずおずと離そうとするアルジャーノン。だがシャールはそのぬくもりが遠ざかるのが寂しくて、さらにその背に腕を回し、ぎゅっと抱きしめ直した。


「母上が教えてくれた。子どもを作るためじゃなくて……愛し合うためだけに、抱き合ってもいいんだって」


そう言いながら、そっと顔を上げる。

アルジャーノンの黒い瞳が揺れて、その下に宿った情熱と慈しみのすべてが、まっすぐにシャールへと向けられていた。


「シャール様はいいんですか?」


「……少し怖いよ。正直、前生でもあんまりいい思い出がないんだ。結婚した時は既にセスはルーカを愛していたからね」


当時のことを思うと胸が締め付けられる。


ほんの数えるほどしかなかった行為だが、そのたびに奔放なルーカと比べられ、面白みがないと罵倒された。


アルジャーノンは、シャールの顔の曇りを祓うようにその頬に優しく撫でる。まるで宝石に触れるように、やさしく、やわらかく……愛しさが伝わるよう、何度も。


そして不安に揺れる瞳を見つめて額をコツンと合わせ、にっこり笑った。


「……優しくしてね」


「……勿論です」


衣擦れの音すらも恥ずかしいほど静かな寝室で、二人はゆっくりと互いの服をほどいていった。

肌が触れ合うたび、シャールは小さく息を呑む。けれど、それは恐れではなかった。温かさと、信頼のしるしだった。


「痛かったら、すぐ言って下さい」


「うん……お願い、ゆっくり……」


何しろ無垢に戻ってしまったのだ。しかも嫌な記憶しかないので余計に体は硬くなる。


アルジャーノンの指先が、丁寧に、慎重にシャールの身体を愛撫していく。

その白い肌に触れるたび、反応を一つひとつ確かめるように、時間をかけて、ふたりは愛を紡いでいった。


「もう……来て。アルジャーノン、平気だから」


ぐずぐずに溶かされたシャールは、頬を赤らめ快感に涙を浮かべながら懇願する。


「シャール、愛してる」


「え……?ああっ……!!」


唇を重ね、指を絡め、呼吸を合わせながらゆっくりと規則正しい律動が始まった。


「ア……ルジャーノン!好き!」


息も絶え絶えになりながらシャールはアルジャーノンにしがみついた。

決して無理はしないその優しさに、シャールの心はぐずぐずに溶かされて愛が溢れる。


「シャール、今度こそ側で守るから」


「……僕も……ずっと、アルジャーノンを守るよ」


「シャール……」


夜が更けていく中で、ふたりは幾度となく抱き合い、互いの存在を心と体に刻み込んだ。

初めての夜は、涙と微笑みに包まれながら、やさしく穏やかに幕を閉じた。





そしてその翌朝。

シャールは、眠たげなまま微笑んだアルジャーノンの胸の中で、幸せそうに目を細めていた。

柔らかな朝日が、レースのカーテン越しに差し込んでいた。

優しい金の光が、白い寝具を照らし、ふたりの肌をそっと包み込む。


シャールは、アルジャーノンの胸の中で身じろぎしながら、まだ夢の名残を引きずるように目を細めた。


「……おはよう……アルジャーノン」


「……おはようございます。シャール様」


低く掠れた声が、髪を優しく撫でながら返ってきた。

その声を聞いただけで、シャールの胸がじんわりと温かくなる。


「……ちゃんと、眠れましたか?」


「うん」


「体は?どこか痛むところはありませんか?……無理をさせてしまったので」


アルジャーノンの言葉に、シャールは鮮やかに昨夜のことを思い出した。


「あ、えっと。大丈夫」


(……普段はこんなに穏やかなのに、昨夜はちょっと強引だった。そのせいで僕も色んなこと口走っちゃったし……もう!恥ずかしい!)


シャールはもぞもぞとシーツに潜ろうとしたが、アルジャーノンにすぐ捕まってしまった。


「どうして逃げるんですか?」


「に、逃げてないっ……!」


「じゃあ、もう一回キスをしても?」


「……ダメ……もう朝だから……」


そう言いながらも、シャールは抵抗しなかった。

目を閉じると、唇にやわらかい感触が落ちてくる。

優しく、穏やかで、けれど僅かに熱を帯びたキス。それに気づいたシャールはまた頬をあからめた。


「昨夜は本当に幸せでした。ありがとうございます」


「……僕も。……でも、もう二度としないからね」


「えっ?!」


アルジャーノンの情けない顔にシャールは吹き出した。


「ちゃんと名前を呼んで。様は要らないし、普通に話してって言ったでしょ。そうじゃなきゃ、もうしない」


「……そんな。恥ずかしいです」


「え?」


一晩中、もっと恥ずかしいことをしたのに?

それに最中は何度もシャールと呼んでくれた。それを思い出すと、またしてもシャールは恥ずかしさに居た堪れなくなる。


「……名前を呼びすてるのはベッドの中だけじゃ駄目ですか?」


「えっ……」


アルジャーノンはシャールをそっと抱きしめながらそう囁く。


「それは反則……」


シャールは肩まで真っ赤に染めてアルジャーノンの胸をドンと叩いた。


ふたりの朝は、笑いとまどろみと祝福の気配の中、新たに始まりを迎えたのだ。

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