「皇后陛下、もう食べる物がありません」
侍女が力無く頭を下げた。
「なんでも良いから探してらっしゃい!でも変な物食べさせたら承知しないわよ!」
ベラは苛々しながら彼女を怒鳴りつける。
「けれどお金もありませんので……」
「お前が物乞いでもなんでもして稼いできたら良いでしょ!」
「……はい」
侍女は肩を落として家を出て行った。
──ここは秘密裏に王族が所有する隠れ家だ。人里離れた山の中にあり、三人は這々の体でこの家に辿りついた。
突発的な出来事での逃亡だったため、仕えているのは城から一緒に連れて来た侍女一人。
そのため、出来る事も限られていた。
「母上うるさいです。頭に響く」
「飲み過ぎよ!あなたがあの子に酒ばかり買って来させるからお金が無くなったんでしょ!」
持ち出せた金は、ほんの僅か。それも底を尽いてしまった。残っているのはベラの宝石類だが、最寄りの小さな街ではとても買い取ってもらえないような極上品ばかりで、お金に変えることが出来なかった。
「どうすれば良いの。……そうだわ、他国へ逃げましょう。大きな街へ出ればこの宝石が売れるわ」
「はぁ……そうですね」
「ほら!エイガーに行けばシャールがいるんでしょう?あなたも会いたがっていたじゃない!シャールに助けて貰いましょう!あなたもそう言ってたわよね?!」
「……はあ」
「セス!どうしてあなたはそんなに他人事なの!」
「……だって今までも母上はすべて自分で解決してきたじゃないですか。俺の言葉に耳を傾けたことがありましたか?」
「……何を言ってるの。すべてあなたを国王にするためよ。貴方のために……」
「自分のため、でしょう?」
(どうしたって言うの?そんな冷たい目で……)
ベラは、見たことのない顔をしている一人息子に背中を震わせた。
「……まったくもう!お腹が空いてるから気が立っているのね。もうすぐ侍女が帰ってくるわ。……あ、ほら!ドアの開く音がしたわよね?」
気まずい空気の中、これ幸いとばかりにドアに向かったベルだが、目の前にいたのは見誤る事もできないほど、以前自分の近くにいた者たちだった。
「……エイベル!それに王室騎士団も……!やっと助けに来たのね!遅いわよ!何してたの!」
ベラは心底ホッとした。ようやくこれで逃げられる。……その安心感から、彼らが誰一人として騎士団の制服を着ていない事に気づかない。
「ベラ元皇后陛下、及びセス元皇太子殿下。先制政治、圧政の罪により拘束します」
エイベルが片手を挙げると、騎士団だった者たちが部屋に雪崩れ込み、二人を縛り上げる。
「なっ?!元ってなに?!やめなさい!私はこの国の皇后よ!!離しなさい!エイベル!!」
精一杯の力で争うベラだが、騎士団が相手ではまるで歯が立たない。
「あんたたち!覚えてなさいよ!?私にこんなこと──!!」
渾身の力で叫びながら暴れていたベラだが、エイベルの後ろに先ほど家から出て行った侍女がいる事に気がつき、驚愕に目を見開いた。
「……おまえ……っ!裏切ったわね!」
目を血走らせ、鬼の形相で侍女に掴みかかろうとするベラに、以前のような華やかさや高貴さは何一つなかった。
今はもう、すべての者を憎み恨んで、絶望の淵を自ら滑り落ちていくのみだ。
「早く連れていけ」
エイベルの合図で皇后とセスが引きずられながら馬車に乗せられる。
残ったのは、暴れたせいで抜け落ちた長い髪と、悲鳴の名残だけだった。
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「……良かったのか?君はもう何十年も皇后に仕えていたのに」
二人を乗せた馬車が走り出した。エイベルはそれをいつまでも見送っている侍女に尋ねる。
彼女からはベラが憎いという感情は伝わって来ない。どうして密告しようと思ったのだろうとエイベルは不思議で仕方なかった。
「皇后のことは今でも大切に思ってます。ベラ様が側室として初めて城に来た日、期待に頬を染めていた可愛らしいお顔を今も覚えてますから」
「じゃあ、何故」
「姉も城勤めで、リエル様の乳母をしておりました。でも沢山の使用人が解雇された時に一緒に辞めさせられました。……というより殺されたんです。城の秘密を守るためでしょうね。随分と無茶な方法でお金を集めていたみたいですし」
「姉上の復讐か……」
「それだけではありません。私もリエル様の世話をしていました。姉がいなくなって、リエル様の部屋に誰も入らないよう鍵が付けられるまでは」
「……リエル様は残念だった。兵士たちと一緒に、有り物ではあるがそれなりに立派な墓を作って皆で花を手向けたよ」
「……部屋から出された時点でもう泣く元気もなかったんです。そもそも手遅れだったのでしょう。仕方がありませんがそうやってきちんと弔ってもらえたのなら良かった。……けれど、報いは受けないといけないわ。あの赤ん坊には何の罪もないのに。……そうでしょう?」
「……ああ」
エイベルはやりきれない思いで空を見上げる。この国の主たちは、あまりにも罪を犯し過ぎた。
「……処罰はアルジャーノン殿下が帰ってからになるだろうが」
「ええ、極刑を望みます」
言葉とは裏腹に、侍女の目は憐れみと寂しさに沈んでいた。