「ガアアアァ!」
ケプカはもう、ケプカではなくなっていた。理性をなくし魔力をだだ漏れにして、周囲にあるものを破壊する存在でしかなかった。
「だめだってば! ねぇ、元に戻って!」
ラケルが叫びながらケプカを止めようとするが、そのための腕がまだ再生しない。それどころかケプカはラケルさえも攻撃対象と捉えたのか、彼女を見ると口を大きく開けて叫び声をあげて威嚇した。
ケプカが太くなりすぎた腕でラケルの顔面を真上から殴りつけた。「ぎゃっ!」と変な声を出してラケルは顔から床へと叩きつけられた。さらにケプカは足で何度もラケルの顔を踏みつける。
「おい! 大丈夫か!?」
ハデスがラケルに声をかけたが返事はなく、しばらくして彼女はふらつきながらもゆっくりと起き上がった。
ひび割れた床に黒い血がポタポタとこぼれ落ちる。ラケルの額はぱっくりと裂けていて、まぶたは大きく腫れあがり、先ほどまでの整った顔立ちとはまるで遠かった。
何とか立っているだけのラケルに対して、再びケプカが両腕を振り上げ攻撃を加えようとする。彼女は意識が朦朧として、気がついていないようだった。
「ちっ!」
サーシャが右手を突き出し光の魔法を放つ。それは一瞬でケプカの両肘から上を消し去った。そこから黒い血が吹き出し、「ギャアアア!」とケプカが叫び声を上げて苦しむ。
「やめて!」
ラケルがふらふらとしたまま、どこを見ているのか分からない状態でそう言った。その「やめて!」は、サーシャに対してのものだった。
「しかし、もうこやつは元に戻らんぞ!」
「あんたたちなんかにケプカは殺させない! 私が助けて……あげるからね」
ケプカは叫びながらも、無くなった腕の先から黒い泡を出して回復しようとしている。ラケルは声を頼りにケプカに近づき、体を密着させる。
「おい、お前……もしかして」
ハデスは何となく察しがついた。ラケルはケプカもろとも消え去ろうとしてるのだと。魔力が暴走した魔族を止めるには命を断つしかない。それを敵である我々にさせるくらいなら、自分がケプカの命を終わらせようということだろう。
「ケプカ。だめだよ……魔族は魔族らしく誇り高く死ななきゃ……」
サーシャが「やめるんじゃ!」と叫びながら止めようと走り出す。それを「さーたんも巻き込まれるぞ!」とハデスが抱きしめるようにして体で止める。
ラケルの全身から光があふれる。その光は二人を包み込み、間も無く爆発した。部屋中を爆風と熱線が襲い、大量の煙で何も見えなくなった。ハデスとサーシャは当然ながら、魔法の障壁でその爆発から身を防いでいた。
床も壁も天井も、派手に破壊されて吹き飛んでしまい、もはや礼拝堂の面影は残っていなかった。爆発の影響が収まった後、ケプカとラケルがいた場所には何も残っておらず、黒い煙が二筋、螺旋状に天に向かって登って行った。
「ばかたれめ……何も二人とも死ぬことはなかろうに……」
サーシャは眉を下げて悲しい表情を浮かべて、ハデスは何も言わずに、ただ宙に浮かんだ二筋の黒い煙を見つめていた。
その煙がだんだんと薄くなり、消えようかというときだった。
「あ〜あ、私も人間たちと仲良くしてみたかったなぁ」
どこからともなく、そんな声が聞こえたような気がした。
◇◆◇
ガルシアは猪の如く最上階にある王の間まで一気に突き進んだ。全ては「あの偽国王ともう一度戦いたい。そして、ボッコボコに打ちのめしたい」その思いだけだった。
途中で数名の兵士たちとすれ違い名前を呼ばれたが、それらを全て無視してひたすらに走った。
兵士たちにしてみれば、元賞金首の巨大な男がニヤニヤしながら目の前を通り過ぎていくものだから気味が悪いとしかいいようがなかった。とりあえず「ガルシア!」と声をかけてみるが、その名前を呼び終える頃にはもう大男はそこにはいなかった。
「ふはははは! 体が軽い軽い! きっと冥界で鍛えたおかげだな!」
実際はハデスがこっそりとかけてくれた魔法により基礎体力が向上しているだけだったが、ガルシアはそんなことも露知らず満足げだった。そして、あっという間に最上階の王の間に到着した。
「ふ〜」
一度大きく深呼吸をする。鼻と口から息を全て吐き出すと、
「オラァ!」
と扉を蹴って中へ入った。
「なんじゃこりゃ?!」
思わずガルシアはそう言葉に出してしまった。
部屋は薄暗く、床には赤い塗料のようなもので奇妙な文様が描かれていた。何かの魔法を発動するための魔法陣だったが、ガルシアにはそれが何なのかわからなかった。
魔法陣の周りには等間隔で奇妙な形の燭台が並べられており、その上に蝋燭が小さな炎を浮かべていた。
偽魔王……ニクラス一世はその魔法陣の中心で杖を持ち何やら怪しげな呪文を唱えていたが、目の前に現れた大男を見て目を見開いた。そして、信じられないと言った表情を浮かべて言った。
「ガルシア! 一体どうやってこの世界に戻ってきた?!」
ガルシアは驚くニクラス一世を見て、たまらなく嬉しそうに両方の拳を突き合わせながら笑った。
「グハハハハ! 約束通り地獄から戻ってきたぜぇ! お前をぶっ倒すためにな!」