日差しが傾き、夜空が茜色と瑠璃色が混ざり合う。
智也は帰路を歩きながら、今日までの出来事を振り返っていた。
矢森に見守られながら、智也は周囲の瓦礫、天井の様子、屋上の状態などを確認した。
「やっぱり、この場所だけくりぬかれたような感じですね。」
天井に開いている四角い穴。
パッと見て正方形と分かるくらい、崩れていた。
いや、切断されていたというべきか。
天井のジプトーンの線に沿っている場所もある。
智也は瓦礫に上り、天井の中を確認する。
すると、真青な青空が見えた。
「空?あ、屋上か。ってことは、屋上も崩れてるんですか?」
「ああ。見に行くかい?」
「お願いします。」
矢森に屋上の扉の鍵を開けてもらい、屋上に立つ。
温かい風が強く、体を揺さぶった。
「まぶし…。」
手で日差しを覆うと、直ぐに穴の場所は分かった。
灰色の床に一か所だけ、真っ黒な空間が出来ていた。
それもど真ん中に。
近づいて中を覗くと、下には瓦礫の山を確認することが出来た。
「どー見ても、自然に落ちたとは信じ難いですね。」
「ああ…。まるで、ここのコンクリート事切って落としたようなんだ。」
「経年劣化で落ちるんだったら、もっとボロボロですよね。」
切り抜かれたふちをなぞる。
ざらつきやヒビも入っておらず、滑らかな感触が手に伝わった。
「これは確かに、調べれば調べるほど分からないですね。」
「だから、事故として処理されたんだ。」
矢森がうつむきながらぽつりと話す。
元々熱心な教育者である矢森は、生徒を本当に大切にしていた。
だが、過保護にするわけでもなく、引き際もしっかりしていた。
だからこそ、校長にまでなった人望もあったのだろう。
そこまでして生徒の事を考えている矢森が、この惨劇を事故で片付けることに納得が行っていないのは当然だ。
「明らかに人為的なのに、分からない…か。屋上の鍵はそれ1本です?」
「ああ、私が管理している。不在の時は金庫の中にしまってる。」
「…なるほど、それじゃあ誰かが持ち出すことは無いですね。」
矢森はうつむいたまま智也の話を聞いている。
「まあ、それ以前に鍵を持ちだして、この場所に来たとしても、音もなくこの屋上の床に切り込みを入れることは不可能。そもそも専門の電鋸でもない限り、切れるわけがないですね。鍵は当日どこにあったのです?」
「当日は、私が持っていた。と言うより、間違えて持って行ってしまった。」
「どこか行ってたんですか?」
「いや、この日そもそも学校に職員が少なかったんだ。教職員の研修と会議があったから、自習の日でな。」
ここで智也は、あの動画に職員が1人も映っていなかった事を思い出す。
偶々映っていなかったと言われればそれまでだったが、行事の都合となれば納得がいった。
「なるほど…。事件の通報をしたのは?」
「1年の安宿先生。」
「1年生ってことは、当日は1階に?」
「ああ。各クラスの見回りをしている時に、とんでもない音が聞こえたからな。慌てて現場に行ったら…。」
矢森はうつむきながら首を振る。
これ以上話をさせるのは余りにも悲痛だろう。
今の話が合っていれば、教員の第一発見者は、事後後の様子を見ただけだ。
という事は、落下の瞬間を目撃したわけではない。
「安宿先生のご年齢は?」
「今年で、68じゃなかったかな?」
「携帯機器とかその辺の事って詳しかったりします?」
「いや、シニア用を使っているから…って、疑っているのか?!」
「ああ、すいません。念のためです。」
「なんだい。驚かせないでくれ…。」
屋上の鍵を閉め、再び瓦礫の山の前に戻る。
天井を見上げながら智也は思考を巡らせた。
(あの動画のアスペクト比は16対9の値だった。
シニア携帯とは比率が合わない。
やはり、学生の誰かがこっそり撮影していたのか…?だとしても…。)
「先生、この崩落が起きたのは4月19日12時50分頃ですよね。その時間、他の生徒達は全員教室にいる時間です。12時50分はチャイムが鳴り、3秒後にトルコ行進曲が流れる、1分20秒当たりで清掃班長が4人立って掃除の指示を出して取り組む。だから、この時間は生徒が少なくても8人はいる。だが、あの動画には2人の姿しか映っておらず、周囲に生徒が誰も居なかった。階段まで響いてる声が教室の生徒に聞こえないという事はあり得な…。」
「ちょ、ちょっと待ってくれ椎名君!少し整理させてくれ…」
矢森が慌てて制止する。
智也は何のことだと思ったが
「あ」
と、自分が作った状況を客観視した。
「すみません。」
「相変わらず、君の頭脳は凄まじいな…。」
「いやいや…そんなことは…ないですよ。」
「あの功績を持っていたら説得力ないだろう。」
「ですけど…あまり良いものじゃないですよ。」
「いやいや…そんなことは…ないですよ。」
智也は頭を押さえため息をつく。
やらかしたなと思った。
自分の異常性は幼いころから感じ取る事が出来ていた。
大多数の普通に自分が該当しない事もわかってきた。
だからこそ、訓練を重ねた。
「謙遜するな。クラスの皆、君に感謝していたじゃないか。」
「……みんな、ね。」
「ん?」
「いえ、あー、どこまで分かってます?」
「……生徒がクラスに全員いた所まで……だな。」
「最初の方じゃないですか。」
智也は屈託のない笑顔を見せる。
その笑顔を見て矢森も胸を撫で下ろす。
先程までの暗い表情も無くなり、仕事に集中できている顔だ。
「……まあ、この映像と普段の時間割に対しての生徒たちの行動が合ってないってことです。」
「だいぶ端折った気がするが?!」
素っ頓狂な声を上げて智也を見つめるが、どこを見てもふざけてる訳ではない。
矢森は何と声を掛けていいか分からなくなり、頭を掻いた。
「それ以外話すとまた止められるかもしれませんから。」
「事実だが核心を突くんじゃない。傷つくだろうが。」
ああ、懐かしい。
このやり取りも日常茶飯事だったのだ。
「ははっ。まあ、この現状を把握して思ったことは、全てが意図的に引き起こされたという事ですね。」
「意図的に…?」
「ええ、人がやったにしてはかなり信じがたい点も残るので、そこは詳しい調査をしないとですけど。」
ぐるりと周囲を見渡す。
恐らく、この場所から得れるものは「もう何もない。全部場所が変わってしまったのだ。」
「そ、そうかい。私には何が何だかさっぱりだが…。君が言うならそうなんだろうな。」
「先生、警察の捜査で何か進展があったら、連絡くれますか?これ、俺の名刺です。」
探偵事務所の電話番号と自分のスマホの電話番号を矢森に渡す。
正直、此処から新たに得られるものは無い。
が、
「場所と人の繋は確保せねばならない。」
これまでの事件よりも遥かに危険な物だ。
自分の手中に出来るものは確保しておかねば。
「ああ、ありがとう。正直、元教え子に調査してもらうとは妙な感じだが、頼んだよ。」
「もちろんです。」
2人は握手を交わした。
その時、智也は初めて矢森の顔を間近で見ることになった。
昔のように明るく、活発的であったが、目じりには深い皴が入っていた。
目元は眼鏡をしていて見えずらかったが、かなりの隈が出来ている。
智也は必ず事件を解決することを心に決めた。
調査後矢森は智也を昇降口まで送ってくれた。
外は夕日が差し込んでおり、遠くでカラスが鳴いている。
「今日はありがとうございました。」
「こちらこそ。力になってくれてありがとう。」
「じゃあ、先生も気を付けて。あまり気を落とさないでくださいね。」
「大丈夫だよ。君じゃあるまいし。」
靴を履き、矢森の方に向き直す。
「それじゃあ、失礼します。」
「またな。」
智也が校門を曲がるまで手を振り続けていた。
校舎前の信号を待ちながら智也は今日の出来事を振り返っていた。
(あの壊れ方は、この世ならざる者の仕業として間違いないな。不可解な点がいくつもあるのがその証拠だ。あるいは、嘘。誰かの証言が1つでも違っていたら、何か不都合な事がある。
…俺のいた学校…。偶然だよな…?)
考えているうちに、信号機から音が鳴り、渡れる合図を出していた。
横断歩道を渡りながら、ふと校舎を振り返る。
「え」
振り返った先に見えたのは、3階からこちらを見下ろす矢森の姿であった。
無表情のまま、こちらをじっと見つめている。
(違う!幻覚だ!)
智也は頬を叩き、駆け足で信号を後にする。
そのまま、帰路に駆け出して行った。
もう1度振り返る勇気は無かったのだ。