―ガチャン!ドン!
「ん?」
激しい物音とともに、事務室のドアが開ける音がした。
重い足音が扉の外から響いてくる。
ーバン!!
大きな音を立てて、開いた扉が壁にぶつかる音がした。
「お帰りー…?」
涼音はソファで寝転がりながら、パソコンで遊んでいた。
いつもなら特に気にもしないのだが、
あまりにも大きな音がしたため、ヘッドフォンを外していた。
首だけ上にあげ、智也の姿を確認する。
「ハァ…ハァ…ハァ…」
入ってきた智也は項垂れており、浅い呼吸を何度も繰り返していた。
よろめきながらも片手で扉を閉めると、智也はその場に座り込んだ。
「ちょいちょい!マジでどうしたの!」
涼音は慌てて体を起こし、智也に駆け寄る。
髪を上げ顔を確認すると、まだ肌寒い時期だというのに、額から滝のように汗をかき、目の焦点が合っていなかった。
「汗ヤバ!ちょっと待ってて!」
涼音は給湯室の奥へ行き、タオルとガラスコップに水を持って、智也の前にしゃがみ込む。
「はい。ゆっくりね。」
コップに手を添えながら、ゆっくり傾けて口の中に注いでいく。
だが、上手く行かず口から全て溢れてしまう。
「口開けて。大丈夫だから。」
その言葉で、智也は少し口を開ける。
涼音はその隙間から少しずつ水を入れていく。
ある程度入ったところで、嚥下した。
体の中に水が染み渡っていく。
「ハァ…ハァ…。ふう…。」
喉に潤いが戻ったため、呼吸に意識を集中させようとする。
だが頭を上げる力が出ない。
頭の重みで首が下に向いていくため気道が開かない。
「ほら、肩、使っていいから」
涼音は両手を広げ、智也の顔の前に肩を出した。
智也は朦朧しながらも頭を涼音の肩に預ける。
女性の肩に乗せるのは非常に申し訳ないと思うが、そこまで気を回す余裕はなかった。
涼音は智也の背中をゆっくりとさすりながら、タオルで頬や首についてる汗を拭う。
幼い子供をあやすように、優しく包み込むように。
5分くらい立つと、呼吸音がゆったりと穏やかな物に変わっていき、智也は顔を上げ、ドアに頭をつけた。
「…落ち着いた?」
「ああ……すまない……。」
涼音は智也の額にタオルを当て、汗を拭い、コップを渡す。
受け取ると水を一気に飲み干した。
「はぁ……。頼む……。」
「はいはい。」
コップを受け取ると再び水をなみなみに注いで戻る。
「ほい。」
もう一度コップを受け取ると、また一気に飲み干した。
「はぁ……。」
飲み終わると、ようやく落ち着いたのか顔色にも血色が戻って来ていた。
「わりぃな……。」
「っとにもう!びっくりしたわよ。」
「ああ…。」
智也はゆっくりと立ち上がり、ふらつきながらもソファに沈み込んだ。
背もたれに首を預け、天井を見上げた。
「ほれ。」
声とともに智也の額に冷たさが広がる。
涼音が氷袋を持って来てくれた。
「ああ、すまん。」
「いいのよ。私って気が利くでしょ?」
智也の顔を覗きながら涼音がウィンクする。
「自分で言うもんじゃないだろ…。」
「何よ~。こーんなカワイ子ちゃんに看病してもらえるなんて感謝しなさいよ。」
「カワイ子ちゃんって…。」
「はーい。とりあえずゆっくりしてなさい!」
両肩をポンッと手を当て、涼音は給湯室の方にに向かった。
飾らないやり取りをしていく内に、智也の身体から力が融け出していく。
ようやく心臓の鼓動も一定の速度に戻って来ていた。
脳内に絡み合っていた感情も記憶もゆっくりとほどけていく。
ほどける心地よさを感じながら智也は目を閉じた。
—————
「あー、そういえばさっきクッキー買って…って、寝てるし。」
クッキーを持ちながら、涼音は智也の右隣に座った。
智也の顔を見ると静かな寝息を立てている。
表情は和らいでおり、リラックスしているようであった。
「寝てる時だけね…。」
起こさないようにそっと氷袋を取る。
両手いっぱいの量を入れたため、ずっしりと重みがあり、とても冷たかった。
「せっかくビターにしたのに。」
持ってきたクッキーの箱と袋を開けて、1つ口に放り込む。
1口サイズの小さなクッキー。
ニュースでやっていた、巷で話題の「大人の贅沢クッキー」と言う文言で売られていたお菓子だ。
それを見た涼音は、早速今朝お店に向かった。
瞬く間にトレンド入りしたクッキーのお店は長蛇の列が出来ていた。
それでも、涼音は2時間以上待って、ようやく最後の1つ箱を手に入れる事が出来た。
ずっと立ちっぱなしだったため、ふくらはぎが疲労で痛み出していた。
朝から思わぬ労働をした涼音の前に甘い匂いが鼻を擽った。
香りの方を見ると、木漏れ日に差し掛かったカフェで、新作のココアが売り出されていたため、並んだ自分のご褒美としてココアを購入。
買った後は足取りも軽くなり、ご満悦で事務所に向かったのだった。
噛むとサクッとした舌触りの良い触感が広がり、後からほろ苦さが来た。
「う~ん…。私には苦い。」
テーブルに残りを置き、持ってきたココアで口直しをする。
いつもならこの時間は2人だけで、様々な話題を議論していた。
前の話では、カモノハシは哺乳類か両生類かみたいな話題で2時間も話していた。
話が弾み過ぎて気が付いた時には日が暮れてしまったのだ。
だから、今日は午前中から時間の許す限り、たくさん話そうと色々仕込んできたのだが……。
今日はタイミングが嚙み合わなかったのだ。
「ふぅ…。」
ココアを飲み切り、手を組んで体を伸ばす。
そのまま手で目元を覆い、
「……ばーか。」
ぽつりとつぶやいた。