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第十五話 ビターチョコレート

―ガチャン!ドン!


「ん?」

激しい物音とともに、事務室のドアが開ける音がした。

重い足音が扉の外から響いてくる。


ーバン!!

大きな音を立てて、開いた扉が壁にぶつかる音がした。


「お帰りー…?」


涼音はソファで寝転がりながら、パソコンで遊んでいた。

いつもなら特に気にもしないのだが、

あまりにも大きな音がしたため、ヘッドフォンを外していた。

首だけ上にあげ、智也の姿を確認する。


「ハァ…ハァ…ハァ…」


入ってきた智也は項垂れており、浅い呼吸を何度も繰り返していた。

よろめきながらも片手で扉を閉めると、智也はその場に座り込んだ。


「ちょいちょい!マジでどうしたの!」


涼音は慌てて体を起こし、智也に駆け寄る。

髪を上げ顔を確認すると、まだ肌寒い時期だというのに、額から滝のように汗をかき、目の焦点が合っていなかった。


「汗ヤバ!ちょっと待ってて!」


涼音は給湯室の奥へ行き、タオルとガラスコップに水を持って、智也の前にしゃがみ込む。


「はい。ゆっくりね。」


コップに手を添えながら、ゆっくり傾けて口の中に注いでいく。

だが、上手く行かず口から全て溢れてしまう。


「口開けて。大丈夫だから。」


その言葉で、智也は少し口を開ける。

涼音はその隙間から少しずつ水を入れていく。

ある程度入ったところで、嚥下した。

体の中に水が染み渡っていく。


「ハァ…ハァ…。ふう…。」


喉に潤いが戻ったため、呼吸に意識を集中させようとする。

だが頭を上げる力が出ない。

頭の重みで首が下に向いていくため気道が開かない。


「ほら、肩、使っていいから」


涼音は両手を広げ、智也の顔の前に肩を出した。

智也は朦朧しながらも頭を涼音の肩に預ける。

女性の肩に乗せるのは非常に申し訳ないと思うが、そこまで気を回す余裕はなかった。


涼音は智也の背中をゆっくりとさすりながら、タオルで頬や首についてる汗を拭う。

幼い子供をあやすように、優しく包み込むように。

5分くらい立つと、呼吸音がゆったりと穏やかな物に変わっていき、智也は顔を上げ、ドアに頭をつけた。


「…落ち着いた?」

「ああ……すまない……。」


涼音は智也の額にタオルを当て、汗を拭い、コップを渡す。

受け取ると水を一気に飲み干した。


「はぁ……。頼む……。」

「はいはい。」


コップを受け取ると再び水をなみなみに注いで戻る。


「ほい。」


もう一度コップを受け取ると、また一気に飲み干した。


「はぁ……。」


飲み終わると、ようやく落ち着いたのか顔色にも血色が戻って来ていた。


「わりぃな……。」

「っとにもう!びっくりしたわよ。」

「ああ…。」


智也はゆっくりと立ち上がり、ふらつきながらもソファに沈み込んだ。

背もたれに首を預け、天井を見上げた。


「ほれ。」


声とともに智也の額に冷たさが広がる。

涼音が氷袋を持って来てくれた。


「ああ、すまん。」

「いいのよ。私って気が利くでしょ?」


智也の顔を覗きながら涼音がウィンクする。


「自分で言うもんじゃないだろ…。」

「何よ~。こーんなカワイ子ちゃんに看病してもらえるなんて感謝しなさいよ。」

「カワイ子ちゃんって…。」

「はーい。とりあえずゆっくりしてなさい!」


両肩をポンッと手を当て、涼音は給湯室の方にに向かった。

飾らないやり取りをしていく内に、智也の身体から力が融け出していく。

ようやく心臓の鼓動も一定の速度に戻って来ていた。

脳内に絡み合っていた感情も記憶もゆっくりとほどけていく。

ほどける心地よさを感じながら智也は目を閉じた。



—————



「あー、そういえばさっきクッキー買って…って、寝てるし。」


クッキーを持ちながら、涼音は智也の右隣に座った。

智也の顔を見ると静かな寝息を立てている。

表情は和らいでおり、リラックスしているようであった。


「寝てる時だけね…。」


起こさないようにそっと氷袋を取る。

両手いっぱいの量を入れたため、ずっしりと重みがあり、とても冷たかった。


「せっかくビターにしたのに。」


持ってきたクッキーの箱と袋を開けて、1つ口に放り込む。

1口サイズの小さなクッキー。

ニュースでやっていた、巷で話題の「大人の贅沢クッキー」と言う文言で売られていたお菓子だ。

それを見た涼音は、早速今朝お店に向かった。

瞬く間にトレンド入りしたクッキーのお店は長蛇の列が出来ていた。

それでも、涼音は2時間以上待って、ようやく最後の1つ箱を手に入れる事が出来た。

ずっと立ちっぱなしだったため、ふくらはぎが疲労で痛み出していた。

朝から思わぬ労働をした涼音の前に甘い匂いが鼻を擽った。

香りの方を見ると、木漏れ日に差し掛かったカフェで、新作のココアが売り出されていたため、並んだ自分のご褒美としてココアを購入。

買った後は足取りも軽くなり、ご満悦で事務所に向かったのだった。

噛むとサクッとした舌触りの良い触感が広がり、後からほろ苦さが来た。


「う~ん…。私には苦い。」


テーブルに残りを置き、持ってきたココアで口直しをする。

いつもならこの時間は2人だけで、様々な話題を議論していた。

前の話では、カモノハシは哺乳類か両生類かみたいな話題で2時間も話していた。

話が弾み過ぎて気が付いた時には日が暮れてしまったのだ。


だから、今日は午前中から時間の許す限り、たくさん話そうと色々仕込んできたのだが……。

今日はタイミングが嚙み合わなかったのだ。


「ふぅ…。」


ココアを飲み切り、手を組んで体を伸ばす。

そのまま手で目元を覆い、


「……ばーか。」



ぽつりとつぶやいた。



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