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静かな波の音が体中に溶け込んでいく。
所々、温かいような冷たいような音はゆっくりと包み始める。
包まれるのと同時に、指先が動くのをあきらめて行った。
これは、よくない。
このままでは、このままでは……。
「ん……?」
瞼に光が差し込み、智也は目を開けた。
ぼんやりとした視界にはいつも使っているデスクとパソコンが映る。
耳には時計の秒針が進む音が、無機質に奏でている。
「っ、つつつ…。」
体を起こそうとすると、こめかみに鋭い痛みが走り、頭全体が重くなるのを感じた。
体の場所を確認すると、ソファに座っていたため、変な姿勢で寝てしまっていたのだと理解する。
戻った際に、感情と呼吸のコントロールが出来なくなり、ソファに座り込んだことは記憶に残っている。
ここに入れた安心とさっきまでの疲労が蓄積し、眠るよりも気絶していたのだ。
「っと……?」
目の前の状況を確認しようと周囲に目をやろうとした時、
「あ、やっと起きた。」
重い頭をゆっくり後ろに向けると、マグカップを2つ持っている涼音がいた。
「もー、いきなり倒れこむからびっくりしたっての!」
塗れたタオルを智也の顔に投げる。
「ぶ!」
タオルで顔を拭きながら目の端で涼音を見上げると、
頬をぷくっと膨らませながら、マグカップを2つ持っている涼音がいた。
マグカップを机に置き、勢いよく智也の隣に座り、腕を組んで智也を睨む。
カップの中にはコーヒーが揺らめいている。
「わりぃ……随分迷惑をかけたようだな……。」
頭を抑えながら前かがみになり、起きる前の記憶を辿っていた。
最後まで覚えていたのは、涼音の肩で息をしていた事であった。
「ほんとよ!こーんなか弱いレディに迷惑かけるなんて!失格!」
悪態をつきながらカップの中身を一口飲む。
智也もコーヒーを一口呷った。
「うぐ……。」
甘い。かなり甘い。というかほぼ砂糖の味だ。
というより、俺が甘いものが大の苦手という事を知っていないはずがない。
自分と間違えたか、それともわざと入れたのか……。
いや、ここまで迷惑を掛けといてこのことを伝えるのは違う。
智也はあれこれ考えた後、むせ返りそうなのを抑えながら、コーヒーを胃の中に入れた。
「ハァ……。」
あまりの甘さに項垂れる。
ため息をつきながらマグカップを机に置くと、目の端でニヤニヤしている涼音が見えた。
「……お前、これ」
「ええ!もちろん当然砂糖は入ってまーす!」
飛び切り大きく明るい声で話しているが、目が一切笑っていない。
その目を見て、帰ってから何かをやらかしたのだなと悟った。
「あ、そうですか……。」
だが、飲んだ後に体が幾何か楽になっていった。
考えれば、智也は今朝からコーヒーしか飲んでいない。
体を動かす材料を丸1日入れていなかったのだ。
学校に出向く前に何か食事をとればよかったと
ほんの少し後悔していた。
「まあ、行ったのは正解だったな。」
「ん?ああ、調査ね。」
「かなりの収穫はあった。それ以上も…。」
「あ、そう。って、起きてすぐにその話?!」
「お前も集めただろ?だから、早めに話そうと思っていたんだ。あー、今何時だ。」
「19時49分。あんた、2時間も寝てたわよ。」
「みたいだな。ハァ。」
背もたれに身体を預ける。
午前、ここを出たのが11時34分。学校には12時14分についていた。
学校を出たのが15時丁度。
走って帰ったため、戻ってきたのは15時40分頃だったのだろう。
そして、戻って気絶する。
我ながらやらかした失態であった。
しかも、厄介な事に学校から走るまでの記憶が道路しかないのも気に食わない。
精神が限界に来ていたとは言え、「あんな子供騙し」を見抜けず、心に負けて帰って来る。
実に滑稽で、情けない現実だ。
「でー?学校の様子はどうだったの?」
涼音はパソコンを取り出し、キーボードを打ち込みながら智也に質問する。
「結論から言えば、人間の仕業じゃなない。」
智也の一言に涼音の動きが止まる。
目を見開き、ゆっくりと顔を上げ、智也の目をまっすぐ見た。
「……マジで言ってんの?」
「嘘をついてどうする。」
涼音がため息を吐き、頭に手を当てた。
「…まあ、そうかもしれないと思ったけど。」
「何かあったのか?」
「これ見て。」
涼音がパソコンの画面を見せる。
画面には、例の動画と様々な英語の羅列が並んでいる画面が複数見える。
「またこりゃ…。物凄い文字の量だな……。」
「注目はここ。各企業サイトの管理の場所に、いくつか攻撃された後があるんだけど…。」
軽快なタイピング音を鳴らすと、複数の画面の中の一文に、黄色のマーカー線が引かれる。
「これ、ぜーんぶ同じ奴からの攻撃なのよ。」
「何…?」
「この最後の文字列が全部一緒なの。気味悪い。マーキングのつもりかしら。」
「マーキング?」
「大抵足がつくのなんて残さないわ。けど、こいつは自分がやったってのをアピールしてる。」
エンターキーを押すと、同じ文字列がずらりと並ぶ。
「何のためだ?」
「さあ、そこまでは。ただの馬鹿か、裏の意図があるのか…。」
「被害は?」
「セキュリティではじかれてるから無し。まあ、常日頃来てるものと、何ら変わりはないわね。」
「その程度なら、誰も気に留めないな。」
「うん。まあ、話題になったからイタズラ半分で特定してるやつらはちらほらいるね。ま、私じゃないから絶対特定できないけど。」
「できたのか。」
「それがね~。」
再びキーボードをいじり、エンターキーを押すと、画面上に様々な建物が映し出されている。
「こいつさ~、この建物たちから同時に攻撃したんだよね。」
「たちから…?」
「そ。普通、1つの端末で1個。なのに、全く同じ攻撃を、これから送信したの。普通に考えてあり得ない。」
建物の数は100を超えている。
全く同じものをこれだけ場所が違う所から同時刻に送り付けたというのだ。
アカウントの文字も寸分たがわず一致している事から、
「なのに、お互いを攻撃し合ってんの。ますます訳が分からないわ。」
「つまり、送信先と攻撃された側の物が同じという事か。」
「当たり。さらに、攻撃された時間が完全に一致してるの。」
攻撃を感知するログのページが一斉に開かれる。
そして時間の場所に黄色のマーカー線がひかれた。
時刻は4月19日午後12時43分となっている。
「4月……。」
智也は一瞬で記憶を手繰り寄せる。
その時間は斉藤由美が「コックリ」に向けて
「遊子を死なせるにはどうすればいい?」
と質問をした時刻と完全に同じであった。
「なんだこの偶然は…。」
「ほんとよ。こーんな完全一致は人間じゃ無理。何らかのサーバーを使って一斉に、ね。重要なセキュリティに攻撃を仕掛けているから、素人が作ったものじゃない。何らかの犯罪グループの可能性もあるけど…。だとしたら突破できるものを作るわ。」
「ん?あ、ああそうだな。」
「これ、洗おうとしたんだけど、どうやっても本体の端末にたどり着かないの。と言うより、本体が無いという方が正しいかしら…。」
「本体が無い?」
一呼吸付き、涼音がキーボードに打ち込みを始める。
「パソコンとかの端末なら、その電波を拾う。けど、このプログラムは発信場所が不明。作者も不明。何なら、作成日まで不明よ。」
複数のウィンドウが展開されていく。
それぞれの画面の文字列に赤いマーカー線がひかれていき、すべてのウィンドウでエラーマークが表示された。
「そんなもの作れるのか?」
「無理ね。必ずコンピューターかスマホで開く。使い捨てでもその発信源はなんとなく追えるのにね。」
「じゃあ、一体どうやって…。」
「媒体を使わずに出来る方法は1つだけある。」
「……!いや、まさか。」
「痕跡が無いのもそれでなら説明がつくの。ネットで作られたものなら、ね。」
「馬鹿な。あり得ないだろ。」
そう言いつつも、目の前にある状況証拠が現実を突きつけていた。
涼音のハッキング技術は国家も使用する程の正確さと精密さを持ち合わせている。
ハッキングのデーターに嘘は無い。
それが彼女の口癖でもあるのだ。
もう一つ、智也があり得ないと判断した理由。
実体のない電波の中で自由自在になにかを作る事が出来る存在は1つしか無い。
「……AIか。」