堂々巡りの思考を繰り返した夜も、
いつかきっと、
何かしらの結論が出るはず。
朝はきっと来る。
朝はきっと来てしまう。
答えは朝とともに来るとは限らない。
けれど、思考をとめるわけにはいかなくて、
堂々巡りとわかっていても、
思考を走らせるほかにしようがない。
いつかきっと。
それは、呪いのようでもある。
いつかきっと。
答えを出さなくてはならない、呪い。
同じことを何度も何度も考える。
可能性をつぶし、
また拾い、
拾った欠片をつぶし、
思考が欠片の鋭さで血まみれになって、
思考はだんだん鈍くなる。
それでも止めることは許されない堂々巡り。
いつかきっと。いつかきっと。
壊し、組み立て、また壊し。
今まで正しいと思っていたものを壊す行為は、
とても痛むものだ。
思考に正義はあるのか。
正しいことは、本当にどこまでも正しいのか。
不変の存在しないところで、
変わらない何かを、いつかきっと見つけようとしていないか。
存在しない答え。
存在しないかもしれない答え。
尖った欠片の言葉ばかりになった思考。
一見すると尖った言葉は使えそうに見える。
尖っていれば使えるものじゃない。
思考を繰り返し、尖ったものを思考で砕き、
可能性の欠片を木っ端微塵に砕いて、
そして。
いつかきっと、
自分の本当に使える思考の可能性と言うものが、
砂の一粒程度のものだったと思って、
思考の海の砂浜で呆然と立ち尽くすとき。
それがスタートラインなのかもしれない。
いつかきっと。
その海にも朝が来る。
それがきっと答えだと思う。