なんだったんだろうな、あの頃の無茶し放題は。
とにかく学生時代は無茶をしていた。
それはもう小学生からで、
遊べるだけ遊びつくすほど、
体力が続く限り遊ぶような無茶をしていた。
そんな風に遊んでいたものだから、
宿題に使うような体力は使い果たしていて、
舟をこぐような感じで、
よれよれの文字で宿題をしていた。
加減ってものがあるだろうと思うけれど、
とにかく無茶をしていた。
また、小学生ともなれば、
大人から止められていることを片っ端からやって、
ものすごく怒られたこともあったし、
ものすごく危険なこともあった。
そうして覚えていくと言えば聞こえがいいけれど、
一歩間違えたら大事故か、
あるいは生きていなかったかもしれない。
中学高校になってくると、
夜更かしで無茶してくるようになる。
大人向けの番組は深夜にやっているから、
今の見逃し配信じゃなくてしっかり見るとなると、
夜中に起きていることになる。
また、インターネットで通信するのは、
深夜が多くて、通信が盛り上がるものだから、
夜更かしの度合いはどんどん加速していく。
ゲームも楽しいものだから、
深夜までゲームにどっぷりということもある。
おかげで学校ではフラフラになっている。
それでもよく学校まで行けたなと思う。
大人になってから同じくらいの睡眠時間だとしたら、
体力が回復しなくて起きることすらできない。
若い故の化け物体力だったのかなと思う。
ものすごく無茶をした。
でも、その無茶すら楽しかった。
大学生になると、
バイトをしながらとか、一人暮らしをしながらになり、
実家ではできなかった無茶な生活をするようになる。
節約のための無茶な食生活とか、
体力の続く限りのバイトの掛け持ちとか、
それをしながらの大学の単位を取るとか、
さらに大学生ともなれば、
酒も飲める年齢になってくる。
その生活をしながら、
さらに飲み会が頻繁に入ってきて、
本当に加減を知らない飲み方をして、
道路で倒れ込むなんて言う無茶なこともした。
生きている国が日本でよかったと、あとになって思った。
治安の悪い国だったら、
今こうして生きていられるかも怪しい。
とにかく、学生時代は無茶をしてきた。
大人になってから、学生時代の無茶は、
学生時代の特権なんだなと感じるようになる。
有り余る若さと体力、
止まらない好奇心。
なんでも挑戦してみたい気持ちも止まらない。
それらが明後日の方向に向かいがちなのが、
学生時代ということだったんだと思う。
そして、学生時代は、
大人に守られている時代だったんだなと思う。
大人の作ってくれた箱庭の中で、
学生の僕らは騒ぎながら無茶をして、
僕らの加減というものを学んでいく。
いきなり世界に飛び出して無茶をさせてしまっては、
学生の僕らは耐えられない。
だから、大人たちが守ってくれている時間があった。
その箱庭を窮屈だと思うこともあったけれど、
あの箱庭があったからこそ、
僕らはいろいろなことを学べたのだと思う。
大人になった僕らは、
僕らよりも若い学生が、
何かしら無茶をしているのを見る。
あの頃僕らを見ていた大人も、
こんな風にハラハラしていたのかなと思う。
それはまずいとか思うし、
やめとけと思うこともある。
学生がなかなかそれを聞き入れないこともわかっている。
僕らは、そんな学生たちが失敗してしまったときに、
ダメージを少なくして、
次につなげることを恐れなくしてあげることだと思う。
僕らもたくさん失敗した。
それでも次を考えられたのは、
大人がそうしてくれたからだと今では思う。
未来は僕ら大人だけが作るのでなく、
次の世代の学生も、
未来の担い手であるんだ。
学生はとっても無茶をする。
それは多分変わらない。
大人から見れば、それはハラハラするものだと思う。
でも、学生は無茶することをやめられない。
そうすることでたくさんのことを学んでいく。
学んでいって、大人になったときにそれが生きて、
さらに学生をよりよく導けるようになるのかもしれない。
世代は変わっていくけれど、
そのサイクルの基本は変わらないだろうなと思う。
あの頃無茶した僕らも大人になった。
美談にならないこともしたけれど、
汚いものきれいなものも全部まとめて、
青春であり、無茶苦茶だったんだろうなと思う。
あの頃は、なんでも輝いていた。
過ぎ去ってから、あの無茶すら輝いていたと気が付いたんだ。